第1話

文字数 2,000文字

なんだか、いやに落ち着くようなそんな雑林。落ち葉はふかふか、空気は少し土くさい。少し前まで住んでいた家を思い出させる。丁寧な事に一車線の舗道がおおよそ素直に道を繋いでいる。しっかし、この道は何処に向かうんだっけか。いつもより冴えない頭を、ガリガリ掻く。そしてまた、ふらふらと歩き出す。
 「方向音痴は一生物か。」
妻との会話でも、結婚前からよく笑われた。あなたは物を知らなすぎるって。だから、よく旅に連れてって貰った。日本全国色んな道を巡りましょうと。なのに、こんなに見たことのあるような道を思い出せない。きっと妻が居れば叱ってくれるだろうけど。今は独りみたいだ。
段々と坂が急になってきた。赤ん坊が産まれても、たばこをやめられなかった体には、胸突き八丁にも感じられた。だのに汗をかかないのは、この辺りが風は吹かないのに随分ヒンヤリしているからだろう。
九十九折の坂道を越えて道が開けると、目の前には安全第一のシールを貼ったトラクターが停車していた。しかし、人は居らず、それどころかトラクターの内部には落ち葉や蜘蛛の巣でいっぱいだった。はっとして、思い出す。ここには確かトンネルがある。計画段階では気づけなかった岩盤に当たって、ずっと昔から頓挫してるって噂のトンネル。こういうことは、多分妻に聞いたのだろう。冴えない頭でシナプスが急に繋がる感覚。来たことが無かったっけ。崩落とか危ないからと、来てなかったのかもしれない。妻なら、危ないっていうかも。じゃあこの既視感はなんだ。頭を締められるような重みがあった。
掘削機にツルハシ、ネコに麻袋。色々使うんだな。こういうのってもっと機械的になってる物だと思ってたけど。トラックの荷台の陰から、岩造りのアーチが見えた。あれが、トンネルの入口だろう。アブナイよな、入るのは流石に。硬い岩盤だったんなら、崩落って訳じゃないかもしれないけど。不良とか、溜まり場になってるかも。
尻込みする気持ちをここに括り付けたのは、そのトンネルの中の景色だった。未完の筈のトンネルは、その遥か先を明るく魅せた。微かな灯りでは無く、トンネルの先に、トンネルの形をした光がはっきりと見える。

繋がったのか?今更?

そもそも、ここまで随分急斜面だったし、誰が使うんだろうか。いや、俺の知らない街に繋がってて、皆にとっては便利なのかも。
道も舗装されてて歩けそうだったから、足を踏み入れた。照明とかついてないけど、割と明るくて歩きやすい。虫とかいないし、草も生えてない。むしろ、入る前には、割と近くに見えた明かりだったが、徐々に大きくなってはいるものの、大分長いように思えた。
 「わ!」
歪みながら反響する声。誰かに聞かれたら恥ずいけど、この調子なら誰もいなそうだ。それとなく口ずさんでいると、奥からペタペタと足音が聞こえて来た。もう取り繕えないなと、陽気なオジサンの振りをする覚悟を決めた。見えてきたシルエットは、子供らしい。じゃあ割と皆使ってる感じのトンネルなのか。逆光でシルエットだけがくっきりと映っていたが、少女はこちらを見るやいなや真っ直ぐと走り出した。
 「あの、この辺でお父さん、えっといや、無精髭生やした幸薄気な男の人を見ませんでした?」
また強い既視感を覚えた。ずん、と重く伸し掛かるようなそれは、嫌な虫の知らせかの如く頭に響く。
「えー、いや、ここに来るまでは一人だったかな。」
「そうですか…」
「逸れたの?」
「いえどちらかというと、ここで待ち合わせしてたというか。」
「携帯、貸してあげようか。ああでも、ここだと繋がらなかったりして。」
そういって少女に近づこうとしたとき、足が泥濘んだように動かなかった。そのとき、
「沙織!」
意識の深い所から強烈につんざくような叫び声がトンネルの出口から聞こえた。
「お母さん?」
少女は驚いたような顔をして狼狽えて振り返った。何度も、その声は響く。不安げに、力強く。沙織、母親、幸の薄い男、そして私。

ああ、そうか、こっちが。

そう気がつくと、トンネルは随分と見せ方を変えてみせた。黄泉の国の魑魅魍魎と亡者の巣窟。きっと私も、そういう姿をしている。ただ一筋、沙織には向こう側から太陽が照らす。
「ごめん、幸の薄さは遺伝するらしい。振り返らず、そのまま真っ直ぐ帰る。いいね?お母さんが待ってるから。」
この距離なら、暗がりと逆光で私の顔は見えないだろう。沙織の記憶には無精髭の幸の薄いおっさんとだけ記憶されればいいだろう。まだ、こちらに来るべき歳じゃない。沙織はハっとしたように動きを止めて、年柄でも無く落ち着いた深呼吸をした。
「分かったお父さん。またね。」
沙織は力強く地面を蹴り、引き返した。微塵も未練を感じさせない。そういうドライなところは、母親譲りだろう。
 このトンネルは、未完成。だが俺にはこれ以上は必要無いだろう。黄泉津大神の勝手に、これくらい抵抗できたのだから。
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