プロローグ ~バタフライ・エフェクト~

文字数 4,958文字

 大陸の東端。かつて日の本と呼ばれた国の桃園(とうえん)高等学校。
学校の対面のファミレスで、二人の男子高校生が歴史の教科書を開き、だらだらと話す。
その様子はまるで至って真面目に見えて、遊んでるだけのありふれた学生だ。

「なんか僕たちさ、真面目な学生に見えるね」

「バカ!ヒヅルが全く授業を聞いてない埋め合わせをしてるだけじゃあないか」

「それはごめんって!代わりにこうしてご飯奢って……ホラ!こんなパフェもオマケでつけてる!」

「どこの世界に、野郎二人でパフェを食って喜ぶヤツがいるんだか」

 話は3時間前に遡る。
「……ヅル。」
「おい、ヒヅル!いつまで寝てるんだ。
次のテストこそ歴史で赤点とっちまうぞ」
明るいカラっとした声に意識を戻される。
どうにも、歴史の先生の淡々とした解説口調は、眠気を誘って仕方がない。

「しょうがないよ。
こんな窓際の席でさ、お経のように淡々とした声を聞いてたら、誰でも眠くなる。
余裕で眠りこけちゃったんだ。
アキヒロは、よく起きてられるね」
ヒヅルが、腕を組み机に突っ伏しながらけだるげに言う。


「俺は誰かさんと違って、大体の授業を寝ててもなんとかなっちまう脳みそはしてないからなぁ、えぇ」
春先の暖かく包み込む陽光は、ヒヅル・オオミカには睡眠剤よりよく効くようだ。
もとより、授業の殆どを寝ていてもなんとかなってしまう自頭の良さが、寝てしまってもいいやという甘えを尚更助長しているからたちが悪い。

「あ、近現代史。流石に今回はやばいからさ、今日の学校終わりに教えてよ。
晩飯代くらいは出すから、お願い!」

 その結果として、彼らは実にもならなそうな勉強風景に身を落としている。
「ヒヅルわかったか?
俺らの国は、当時の環太平洋地域が9つの同盟国を経て、九重共和国(このえきょうわこく)になったんだよ」

「そこは理解した。
だけど、なぜ協力して大きな共和国にする必要があったのか?
そこがよく分かってないなぁ」

「そりゃそうだろ。
ブラダガム帝国の成立とか、そもそも世界が戦争始めた理由の授業の時、学校すら来てないものな。
俺に『なんか乗り気じゃないから〜』とかなんとか、携帯で電話してきたじゃんか」

「あ、残念でした。僕はもう次世代。
サイバー・ベルに変えたんだ。
見てよ、液晶っていうのかな?この機械から空中に3Dスクリーンが映し出されるんだ」

そう言うと、ヒヅルは買ったばかりのサイバー・ベルを、呑気に取り出す。
直前まで見ていたであろう動画サイトが、まるでそこにあるかのように空中にスクリーンに表示される。
3D上には【ブラダガム、九重東方にて領空侵犯か】との赤文字が、緑を基調としたスクリーンとのコントラストを描いて表示されていた。

「んなこたぁどうでもいいんだよ。
じゃ産業革命を迎えたのはなんで?」

「えっとぉ、遺跡がどうのこうので……その、なんやかんやあって。」

「……。もういい、俺が説明するからちゃんとノートとれ。」



 西暦1740年。
人類は世界各国で同時多発的に遺跡を発見した。
この遺跡群は、明らかに古代の技術を超えた『オーバーテクノロジー』により構成されており、数々の常識を覆すような技術が、封印されていた。
だが、その技術は各国の政府により秘匿されることとなる……。

 時は過ぎ、20年後。
人々はかつて遺跡から発見された技術を、「ヘブンズ・ギフト」と呼称。
その技術群により、人々は産業革命を迎えることとなった。

 だが、その繁栄は……あまりにも急すぎた。
たった1年で世界中を車が走り、10年で携帯端末を誰もが持ち、電波と機器類により世界中の情報を得られるようになった。

しかし、その繁栄には既に陰りがあった。
急速な発展についていける資源が、この星には残されていなかったのだ。
その結果、侵略と戦争の勃発。
ヘブンズ・ギフトの技術で上昇した兵力により、欧米諸国は戦争と併合を繰り返してひとつの大帝国『ブラダガム帝国』を名乗り世界を支配せんと動き出した。

これに抵抗すべく、東アジア・南アジア・オセアニア・南アメリカの一部たちが9ヶ国に統合された。
最終的に当時の日の本首相の提案のもと、京都を首都とする一つの国『九重共和国』が形成された。

ここから、九重共和国とブラダガム帝国の戦争が、延々と続くこととなった。
当初すぐに集結すると思われた予想とは打って変わって変わり、戦争は泥沼化し100年が経過。
戦局が大きく疲弊した結果、1870年に北アメリカ大陸上の中立国『ヴァッカ連邦』にて『カッツォーノ和平条約』により一旦の終戦を、迎えることとなった。

「……んで和平条約から10年。
大分時間も経って今に至るってわけだ。
俺らが小さい頃、和平条約のニュースめっちゃやってたの、覚えてない?」

「あぁーあったね。あれってさ、教科書に載るほど凄い条約だったんだ。
100年の戦争に終止符を打つ、とか」
ヒヅルはまるで他人事のように話す。

10年間で築かれた平和の上に、彼はすっかり慣れきってしまっている。
彼が悪いわけではない、人とは慣れの生き物だ。
今生きて行けている環境を享受し続けている限り、どこかぼけた認識を持ち続けてしまう。
至極仕方のないことである。
慣れとは、人の学習能力という長所の現れであり、同時に悪い癖である。

「もし遺跡の場所がちょっと違ったり、条約締結の日が違ってたら。
戦争が起こらなかったり、逆に長引いたりしてたのかな?」

「ヒヅル分かんないぜ。
そんな大きなことじゃなくても、たった数秒の差で大きく変わったかもしれない。
『バタフライ・エフェクト』って言葉があってさ、わずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、結果が大きく変わっちまうんだってよ。」

「へぇ〜、じゃあ僕たちは、数秒・数ミリの誤差の偶然の上に今があるんだ。
一秒でも、大事にして生きようって思えたよ。」

「じゃあ次から、一秒たりとも授業で寝るなよなぁ。俺との約束だ。
さて、日も暮れてきたし帰るか。ほい、俺の食った分の金。
ごちそうさん。先に自転車取りに行ってるよ。」
そう言うと、アキヒロは足早に店の外へと出ていった。

 その刹那。
ヒヅルにも、一体何が起きたのかわからなかった。
とてつもない光。
けたたましい爆発音。
店の奥まで吹き飛ばされていた。
何が起きたか不明のまま、ゆっくりと体を起こすと、全身に電撃が走るような痛みを感じる。
焼け焦げた空気の中には、血と脂の臭みが微かに漂う。

「!!アキヒロ!」
唐突に親友のことを思い出し、ガレキと化した店の外に飛び出すと、そこには地獄が広がっていた。
壊された建物の数々。手足が千切れ動かなくなった人々。
血と煙、亡骸とガレキの街だったナニカ。

呆然とするしかなかった。
脳が、眼前の出来事を拒絶しているのを、無意識にヒヅルは感じ取った。
一歩足を踏み出したその時、そこに『転がっているモノ』を踏んだ。
僕と同じ制服、一緒の教科書。
かろうじて見えるネームプレートは「アキヒロ・ナガヤ」の文字。
折れた肋骨数本が無造作に肉を突き破り、彼の足がついていた場所は、ただ地面があるのみ。
唯一顔だけは、いつも見たアキヒロの顔だ。
目を見開いた表情のまま、永遠に時間が止まっている。

その目を見て、初めて現実に引き戻された。
本来こういう時、悲しみがこみ上げるのだろう。
ヒヅルはそんなことを考えているよりも

-僕が会計をしていなかったら-
-数秒早く店を出ていたら-
-僕が授業を真面目に聞いていたら-

「……バタフライ・エフェクト」
僕も死んでいたかもしれない。
いや、アキヒロも死ななかったかもしれない。
そんなことが、先に頭によぎった。
そこまで考えて、一気に現実に感情が追いつく。
数瞬前まで生きていた友の死に、涙が溢れてくる。膝から崩れ落ちる。
嗚咽が止まらないが、その嗚咽もけたたましいサイレンの音と遠くで、鳴り響く爆撃の音にかき消されてしまう。

 そうだ、家が。母と父、妹は無事なのか。
脳髄が、全身に走る痛みを拒否する中で、必死に家まで自転車で急ぐ。
10分も漕いだ頃には、瓦の吹き飛んだ家に着いていた。

「父さん!母さん!セイラ!」
父を母を、妹を呼びながら靴も脱がずに家に飛び込む。
「っ、お兄ちゃん!」
僕の姿を見るや、妹が駆けて来た。
僕は咄嗟に、妹を強く抱きしめた。
「ヒヅル!無事だったのね!
母さんもセイラも怪我はしたけど無事よ」

父の頭からは血が垂れ、周囲には家財が散らばり、母とセイラの腕には食器のガラス片が刺さり流血していた。
その様子だけで、家族に何が合ったのかがありありと分かる。
痛みに耐えながら、母が微かに言う。
「公園広場地下のシェルターに向かうのよ。
母さんが小さかった頃にできたものだから、まだ機能しているはずよ」

父がセイラを、僕が母を抱きかかえながら川沿いを一路目指した。
道中から見えるいつもの街が、焦土と化していた。
高台に見える小学校の白壁は黒く焼け、町民は動かぬまま塀にぶら下がっている。
これが現実だって言うのなら、神話の女神様はなんて残酷だ。

「戦争だ」
父が重く、曇った声で言葉を発した。
「戦争がまた始まったんだ。また多くの人が死ぬ。
聞こえるだろ、ヒヅル。爆撃機の音が俺たちを殺しに来る」
耳を澄ます。飛行音そして爆撃が悪魔の口笛のように低く不吉に鳴り響く。
そして次に聞こえたのは母の大きな一言だった。
「ヒヅル!逃げて!!!」

母の手が、僕を川へ突き落とした。
母さんの手は……こんなに小さかったっけ?
そんなことが脳裏によぎりながら、僕は冷たい春先の水底まで沈んでいった。
小さい頃に川で溺れたときの記憶が蘇る。
それは、肺に水が満ちて意識が遠のいた時のこと。
初めて死ぬと思った、あの時のことを。
そこに母の手が伸びてきて、必死にその手を掴んで引っ張り上げられたっけ。

そんな走馬灯を見ながら……走馬灯?いや、違う。
今現実に、母の手が僕に伸びてきた。
必死に掴むがそれに力はなく、引っ張り上げられることもなかった。
小さく感じる母の手をつかんだまま、水面へと上がる。
一気に肺に、血管に、脳に酸素が行き渡る。
「母さん!しっかりして!!!」
右手に握った手の先に目をやる。しかし。

手首から先には、裂けた骨とそうめんのように細かく裂けた筋肉繊維が、こびりつくだけだった。
急いで家族がいた土手へと、ゆっくりと近づいていく。
そこには焦げた家族の衣服。
賢く誰よりも優しかった父の脳は、鮮やかなピンクに輝いている。
母は……僕の手の中に残った腕が、全てだった。
焼けとろけた腸も、さっきまで声を発していた下あごも、誰のものかはもうわからない。

そしてヒヅルがどんな家族よりも大事なその人が、そこにはいなかった。
「セイラ……」
噴煙の周囲を見渡しながら、か細い声でつぶやく。
そこに最愛の者の姿が、影一つも見えないのだ。
なにかに取り憑かれるように、ふらふらと歩きながら一縷の望みにかけて、必死に目を凝らす。
だが、妹は案外すぐに見つけられた。
それも最悪の形で。

父の死体から少し離れた所に、小さな腕だけが襤褸屑のように落ちていた。
小さく握りしめられた手の中には、幼い頃に妹にあげた玩具の指輪があった。
あぁ、セイラは僕の贈りものを、ずっとずっと大切にしていてくれたんだな。
ただただ心を支配する激しい痛みに、痛哭するしかなかった。

「父さん、母さん、、セイラ……」
母の腕、妹の腕をかつての父の横にそっと、優しく置いた。
家族が、そこに揃った。
それだけがせめての救いと思うしかなかった。
周囲はファミレスで、嗅いだあの嫌なにおいと鉄臭さが充満して、鼻腔にこびりついてくる。

-家に帰るのが1秒でも遅かったら-
-僕がセイラを背負っていたら-

そう思うが、蝶のひと羽ばたきはもう変えることはできない。
ひと羽ばたきの差で友が、家族が無惨にも死んだ。
これからも、笑顔で過ごせると思った日常と共に失われた。
痛みと悲しみで涙が止まらない。どんな叫びも悪魔の唸り声も、もはや僕の慟哭をかき消すことはできなかった。

膝に力が入らなくなってくる。
今や姿勢を保持しておくこともできない。
そして僕の目の前は深い深い闇に落ちていくのだった。



新世暦111年 3月8日
ブラダガム帝国が九重共和国 日の本地区を攻撃、宣戦布告。
後に「東桜の春(とうおうのはる)」と呼ばれるこの紛争により世界はまた終わりの見えない地獄が始まるのであった。
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