デザイン担当、神宮さん。

文字数 13,494文字





新人の私が会社で出会った憧れの人は、
仕事以外ダメダメなイケメンでした――。





4月1日――。

今日から私はこの大手広告会社
『SKF』で働くことになっている。


(はぁ、緊張するなぁ……)

大門駅から徒歩数分。
10階建ての白いビルが、まるごとSFK社だ。


ドキドキしながら、第1クリエイティブ部のある
7階オフィスへと入る。


(第1クリエイティブ部……今日から私が
所属するチーム……)


時刻はまだ定時の10時前。

それなのに、当然のようにみんな仕事を
している。


(ど、どうしよう……。
遅刻…はしてないよね!?
誰に声をかければいいんだろう?)


新人は私以外にもいるはずだけど、
今年入社の社員は、みんな所属がバラバラ。


「困ったなぁ……きゃっ!?」



入口で突っ立っていると、頭の上がいきなり
重くなった。


(な、なになに!?)


びっくりして頭の上を触ると、
ふさっとした柔らかい感触がする。


(これって……誰かの頭!?)


「んー……いい頭置きだわ」


「わあっ!?」


うしろを確認すると、身長の高い男の人が
いた。


(お、おっきい……。巨人!?
しかも……)


しかも、どういうわけか半裸。


(もしかして、変質者!?
でも、1階には警備室があるし、
防犯カメラも……)


ボサボサ頭でボーッとしてるけど、
顔はすごく整っている。


(顔を見るとイケメンだな……。
やば、ちょっとドキドキしてきた……)


「どーしたの? 顔赤くして」


「い、いえ!! なんでも……。
というか、何で半裸で……!!」


私が焦っていると、もうひとり男の人が
近づいてきた。


「はぁ、ジン……いい加減、オフィスで
服脱いで寝るクセ、やめろよ」


「つっきー。しょうがないじゃん。
俺、もう3日帰ってないのよ?
服だって汗っぽくなるし~……」


「だったら着替えを持ってこい!!」


(3日帰ってない!?)


眠そうに『ジン』と呼ばれた長身の男の人の
言葉に、私は思わずびくりとする。


(広告制作ってかなりブラックって
知ってたけど、そこまで~~!?)


「……あ、キミ、もしかして、今日
第1クリエイティブ部に入る、新人さん?」


『つっきー』さんが、私にたずねる。


(よかったぁ!! 気づいてもらえた…)


「はいっ! 沢田悠海といいます!」


「……ちっちゃい」

「え?」

「身長いくつ?」
「……148……デス」

「ふ~ん」

「こら、ジン。女の子をいじめない!
お前がでかすぎるんだから……」

「でかいかなぁ? 180って」
「でかいよ!! 僕からしてもでかい!!」

「148だと、あご置きにちょうどいい
サイズだよね☆」

「あ~……もう」

「あ、あの……」


おどおどしていると、優しそうな顔の
つっきーさんが自己紹介を始める。


「僕は都築岳。第1クリエイティブ部の
ディレクターで、キミの指導係だよ。
で、このでかいのが……」


「…………」


「……って、おい。自己紹介くらい、
自分でしろ。寝るな」


「……はいはい」


大きくため息をついて、髪をかきあげると、
ジンさんは口を開いた。


「神宮都。第1クリエイティブ部
デザイン担当……泊まり込み3日目」


「え!! あの神宮都さんですか!?
女性だと思ってたのに……」

「……知ってるの? 俺のコト」

「MF広告大賞のデザイン部門受賞
されましたよね!! あのポスター、
私すっごく好きで!!」


MF広告大賞……。


毎年行われている、広告の大きな大賞だ。

応募するのは基本的に広告制作会社。

要するに――


この広告大賞を受賞したということは、
現在の広告業界No.1のデザイナーだと
いうことだ。


(神宮さんのポスター……すごくきれい
だったんだよね)



私は思い出す。



あの暑い夏の日、山手線のホームで見かけた
赤い偽物の夕日を――。





(あー……最悪)



『ごめん、別れよ?』
『え?』
『だって悠海ってさ……なんかつまんないから』



そういって、カレシに一方的に切られた
私は、山手線のホームに立っていた。


フラッと落ちてしまいたい衝動にかられる。



(私なんていてもいなくても世界は
回るんだよね……だったらいっそ…)



ボーッとした頭で、前を向いたそのとき。




「わぁ……」




鮮烈な赤が目に飛び込む。
あまりにもきれいな絵に、私は息を飲んだ。



「きれいな夕日……ポスターなのに……」



これが私と神宮さんとの出会い。


私はこのあと、すぐにポスターについて
調べた。


新しいプリンターの広告で、
海辺に女性が立っている絵。

それを夕日が照らし出していて……。


あまりにもきれいな光景で、
胸が締めつけられた。


ともかく、私は制作会社について調べ、
このポスターのデザインを『神宮都』という
人物が担当したことまで突き止めた。


そして、『彼女』を追いかけてSFKに
入社したんだけど……。




(まさか男でこんな変人だとは!! 
オフィスで半裸で寝るって!! 
しかも人を頭置きに使うし~!!)


ポスターが最高だったせいか、
夢を壊された気になってしまう。


(で、でも、神宮さんに憧れてここまで
来たんだよね……頑張らなきゃ)


「こ、これからよろしくお願いしますっ!」


「……よろしくついでに、コーヒーおごって」
「なっ!?」

「ジン! 新人さんを困らせるな! 僕が
おごってやるから……」


都築さんは、コインケースを取り出すと、
廊下にある自販機でブラックの缶コーヒーを
買う。


「ほら」
「さんきゅー」


受け取ると、それをごくごく飲む都築さん。
一気に飲み干すと、ぷはーっと息を吐く。


(本当にこの人が、あんな芸術作品って
言えるくらいのポスターを考えたの?)


デリカシーも何もなさそうなのに……と
呆れていると、都築さんが私に言った。


「……ここでジンと会ったのも縁だし、
デザイン担当デスクから案内していくよ」


「あ、ありがとうございます!」


「じゃ、俺は定時までどっか静かなところで
寝てるわ~……」

「お前も来るんだ!!」

「あ、あはは……」





「ここがデザイン担当のデスクだよ」


「…え?」


都築さんに案内されてきた場所は、
まるで戦地だった。


大きなデスクの上には、たくさんの
イラストや写真。


パソコンはみんな起動していて、
数秒ごとにピコンとメールか電子会議室からの
連絡が入ってきている。


そのデスクの下で、芋虫の死骸のように
なっている男女が数人……。


「こ、これは!?」


「昨日、納期だったんだよ。だからみんな
死んでる」


神宮さんも大あくびをすると、窓際の席に
向かう。


「じゃ~、そういうことで。よろしくね。
新人ちゃん」


「っ!!」


頭に軽く手を置かれ、びくっとする。


でも、それは一瞬のこと。


(今のって……私が小さいから、
どかせるために…!? くっ!!)


神宮さんはゴーイングマイウェイだ。


他のデザイナーさんと一緒に、
自分の寝袋にもぐるとすぐに目を閉じる。


「ったく……いいか! 今日は新人歓迎会
があるんだからな!?」


都築さんはホワイトボードにでかでかと


『新人歓迎会・今日!!!』


と書き残す。


「……デザイン担当者はいつも納期間近だと
こんな感じ」

「あの……実際帰れないんですか?」


「あ、ああ~……」


さっきまで私にはにこやかに話してくれて
いた都築さんが、視線を逸らす。


(……マジですか)




「最初にジンに会ったのが悪かったな」


「いえ! 神宮さんに憧れてこの業界を
目指したので……」


私がそう言うと、都築さんは困ったような
顔をした。


「……憧れるのはいいんだけど、
それだけじゃ、やっていけないよ」


「え?」


「ジンも僕も……長くこの世界にいるからね。
その憧れていた気持ちが、なくならないと
いいけど」


(憧れ……か。すでに打ち砕かれましたが!!)


私はそう叫びたいのを我慢した。


だって……。


(憧れていたデザイナー・神宮都が
あんな変人だったなんて!!)


オシャレなシャツとパンツで身を包み、
高いヒールをそつなく履きこなし、
シャキシャキ仕事をする美人……。


私のイメージしていた『神宮都』は
そんな女性だった。


それなのに!!


本人は男性!!
しかも会社内で半裸!!!
3日家に帰ってないってどういうことですか!!!



「……キミにはしばらく、僕の
アシスタントをしてもらうから」


「はい……」


「それで、当面の仕事なんだけど……」


都築さんに言われたことを、私はメモする。


(資料集めに取材現場を押さえる……。
アシスタントって、雑用なんだなぁ)


憧れていた人は全然イメージと違うし、
仕事も雑用ばっかりだけど、
一度決めたことはしっかりやらないと。



――私は覚悟を決めることにした。




新人歓迎会は、近くの居酒屋で行われた。

といっても、私が学生時代に使っていたような
安い店じゃない。


1クリ……第1クリエイティブ部の
宴会部長が毎回いい場所を押さえてくれる
そうだ。


「新人ちゃん、おはよ~……」
「神宮さん……」


(おはようって、もう夜なんだけどな)


結局あのあと、デザイン担当席の様子を
仕事の間に見ていたんだけど、
全員が起き上がったのが16時。


10時から19時がうちの会社の定時なんだけど、
そんなことはお構いなし。


『定時に起きる』と言っていた神宮さんも、
起きたのは14時過ぎだった。


その前に起きていたメンバーは、
ぼけーっとしながらメールの返信などを
していた。


(まさに生ける屍だったなぁ……。
それなのに……)



「それでは始めましょう!!
カンパーイ!!」


みんながグラスを合わせる。


さっきまで屍状態だったデザイン担当の
みんなも、

いきいきとビールを飲んでいる。


(ノリはすごくいいのね……)


「あ、ビールおかわり!! ってか、
もう5、6杯運んどいて!!」


「ええ!?」


神宮さんはすごい速さでビールを空に
していく。


(私はグレープフルーツサワー、
まだ半分も行ってないのに!!)


一生懸命ごくごくと飲んでいると、
ジョッキを軽く押さえられる。


「キミ、そんなに飲めないでしょ。
無理にペース合わせる必要、ないから」


いつの間にか神宮さんが私の隣に
座る。


「は、はい……」


(私がそんなに飲めないって、よく
わかったな……)


神宮さん、意外と気が利く人なのかも?
私がそう思っていたら……。




「ほら、遠慮しないで、たくさん食べな。
身長伸びないぞ~」


(くっ!! 前言撤回!! なんか悔しい!!)


私のお皿につまみを山ほど乗せると、
神宮さんは頭を完全に腕置きにして
ビール飲むし~~っ!!


(都築さん、助けて!!)


頼みの綱の都築さんを探すが、
部長にお酒を注いでいる。


(ダメだ……)


「新人ちゃん、食べないの?」


「『新人ちゃん』はやめてください!
沢田です!!」


「……じゃあ、『さわちゃん』?
それもつまらないなぁ~……う~ん……」


(普通に『沢田』とかでいいんだけど……)


「悠海、とか」


突然低い声で下の名前を呼び捨てにされ、
ドキッとする。


「そ、それはちょっと……」


(会って初日の人を、下の名前で呼ぶ!?
この人、危ないんじゃ…)


私は身体を少し、神宮さんから離した。


さすがにオフィスではないので、
Tシャツを着ているけど……。


朝のことをつい思い出してしまう。


(少し筋肉がついてて、
男の人らしかったっていうか……。
いや、何考えてるの!!)


「と、ともかく下の名前はなしで」


「え~……でも、部長以外みんなあだ名呼び
だからな」


「そうなんですか?」


「つっきーはわかるよね」


「都築さんですよね」


「向こうから、やまちーでしょ。
ひーがーにイトちゃん。ムラさんに
ひろっきー……」


「新人ちゃんだけ名字呼びだったら、
なんか仲間外れって感じじゃん」


(そこまで気にはしないけど……)


「ん~……」


神宮さんは新しいビールを飲みながら、
あごに手をやる。


「やっぱ思いつかねー!! いいよ、
悠海で!!」


(投げた!!!)


「んじゃ、よろしくねん☆ 悠海」


「は、はぁ……」


(なんだ、この人……)


満面の笑みを見せられると、私も
やめてほしいだなんて強く言えなくなってしまう。


よくわからないけど、胸がとくんと
少しだけ鳴った気がした――。




「…………」


縁もたけなわ。

そろそろお開きといった時間。


私は空になったジョッキやピッチャーの
数を見て唖然とした。


(店員さんが持ちきれなかったっていうのも
驚きだけど…どれだけ飲むの!? この人たち!!)


1クリのメンバーは半ばへべれけだ。


(みんな帰れるのかな……)


全員が店を出ると、デザイン担当の人たちは
なぜかオフィスのほうへ向かおうとする。

神宮さんもだ。


「ちょ、ちょっと神宮さん! 酔ってるんですか?
駅は反対側……」


「いや、帰らないけど。これから仕事」



「…………はぁっ!?」



(あれだけ飲んで、これから仕事!?
何考えてるの、この人たち!!)



私が口をあんぐりと開けていると、
都築さんが肩を叩いた。


「うちの会社、こういうところあるから。
覚悟しておいて」


はい!?
そりゃ、覚悟はした。
したけど……さすがにこれはない!!


(で、でも……ここ、業界大手だし、
今から再就職なんてできない……)


「頑張るしかないのか……」


私がため息をついていると、オフィスへ
向かおうとしていた神宮さんが
急に近づいてきた。


「あれ? これからお仕事なんじゃ……」


「うん、そうだけどちょっと散歩してからにする」


(……?)


どういう風の吹き回しなのか。


神宮さんは、私たち帰宅組と一緒に
なぜか駅へと向かう。



(隣を歩かれると、やっぱり嫌でも
身長さを感じるな……)



「やっぱちっちゃいね! 悠海は!!」


「ぐっ……」


酔っているのかどうなのかわからない
テンションで、けらけら笑う神宮さん。


でも、身長が低いのは確かなので
言い返すことができない。


(どうせ私はちびっこですよ……)



「……ところでさ、ひとつ聞いていい?」


「なんですか?」


今日一日、たった一日で、私の憧れだった
『神宮都』のイメージはガラガラと崩れた。


実際の『神宮都』はヘラヘラした
軽いノリの兄ちゃん……。


(どうせ質問って言っても、大したことじゃ
ないよね。『なんでそんなにちっこいの?』
とか聞かれたら……腹立つな)



神宮さんを見上げるだけで首が疲れるので、
私は駅への道をまっすぐ見つめる。



「……なんで俺なんかのポスター、
気に入ったの?」



「え……」



神宮さんの顔を見上げると、
真剣な表情を浮かべていた――。




初めて見る表情に戸惑っているうちに、
駅へと到着してしまう。



「あ、あの……」



「……まぁ、いいや。なんでもない。
じゃあね~」



軽く手を振ると、さっさとオフィスの方向へ
歩き出す神宮さん。



(答えられなかった……)



神宮さんのポスター。
好きなところはたくさんある。


初めて見たとき、まるで自分があの海辺に
いるような感じがした。


それに、忘れられないほど鮮烈な赤。


あの赤が私の身体にも流れているんだと
思うと、胸が高鳴った。


――そう、ちゃんと言えばよかったのに、
なんで言えなかったんだろう。


「沢田さん、キミ、ここから家は近いんだよね」


「はい」


「じゃ、気をつけて。また明日」


「あ、あの! 都築さん!!」


「ん?」



都築さんを引きとめて、どうするの?

ただ、私は気になったんだ。
神宮さんがあんな表情を浮かべる理由が。


都築さんなら知ってる気がして……。
だから引きとめた。


(だけど、本人以外の口から聞くのもな……)


「なんでもありません。明日もよろしく
お願いします!」


「うん」



憧れていた人に会えた。
そんな記念日なのに……。


理想と現実がかけ離れ過ぎていたから
なのか。


初日から神宮さんに振り回されている
気がした――。



――翌日。


私は定時より早く出社した。

……はずだった。なのに……。


「なんでもうみんな出社してるんですか!?」


時刻は9時。
泊まり組以外だったら、1番だと思っていた。


新人だからまだ仕事はできないけど、
部屋の清掃ぐらいは……と考えていたのに
なぜか私以外全員そろっている。



「おはよう、沢田さん」


「都築さんっ!! 1クリのメンバーは
みんな何時に出社してるんですか!?」


「えっ……そうだな、大体始発とか?」


「始発~~!?」


(そんな……ブラックすぎる!!)


都築さんはがっくりする私をフォローする。


「あ、でもゆっくり出社できるのは
新人のうちだから。キミは10時ちょっと前
出社で構わないよ」


「だ、だからって……先輩たちが始発で
来てるのに……」


「その分給料もらってるから。むしろ、
仕事がないのに早く来てもらったら
給料泥棒になっちゃう。ね?」


(そういうことなら……仕事がないうちは
甘えていいのかな?)



「ちょっと!! 誰かジャケット貸して!!」



「ジャケットの前にジンは風呂だろ!
4日もオフィス泊まってるんだから!!」


「な、何の騒ぎですか?」


デザイン担当のみんなが、なぜか大騒ぎ
している。

「あ、そうそう。今日、取引先に打ち合わせ
行くから。沢田さんも準備しておいてね」


「はい、わかりました。でも平気かな……。
取引先に行くの、緊張する……」


「沢田さんは大丈夫。それより問題は
ジンだ」


(ジャケットとかお風呂とか騒いでるのは
そのせいだったのか)


「ジャケットがあっても、この辺に銭湯なんて
ねーよ!! 仕方ない、最終手段……」


「トイレの手洗い場で頭を洗うしかっ!!」


「……あの通り。沢田さん、この近辺に
住んでるでしょ? どこか銭湯、知らない?」


「銭湯……うーん、ないですね」


私が答えたあと、前髪をゴムで縛っていた
神宮さんが、ずんずんと近寄ってきて
手をぎゅっと握られる。


「悠海!! 家近いんなら、風呂!!
風呂貸してっ!!」


「はぁ!?」


「……それしかないか。さすがに4日も
風呂入ってない人間を、打ち合わせに
連れていけないからね」


「都築さんまで!?」


「お願いっ!! このとーりっ!!」

「仕事中だけど、打ち合わせのこと優先だから。
頼むよ、沢田さん」


「……わ、わかりました」


(先輩の言うことは絶対だよね。
それに、取引先にも失礼にあたるし……)


「それじゃあ……」
「行こうか、悠海!」


(準備だけは早いのね……)




「ここです」


私は住んでいるワンルームマンションに
神宮さんを連れてきた。


「結構きれいだね」
「築年数が新しいんで」

「そうじゃなくて、ちゃんと掃除してるって
褒めてるんだけど」

「人の部屋を褒める前に、
お風呂に入ってください!!
打ち合わせ、13時ですからね!!」

「わっ!」


私はバスタオルを渡すと、バスルームに
神宮さんを閉じ込めた。


(……ったく……)


ため息をついてソファに座ると、
はっとした。


……自分の部屋で男の人がお風呂に
入ってる……!!


カレシがいなくなってしばらく。
こんなこと、何年振りか。


余計なことに気づいてしまった私は、
わたわたする。


(れ、冷静に考えなきゃ。神宮さんはただ、
お風呂に入ってなかった。打ち合わせのために
お風呂を貸しただけ!!)



「ふう……悠海、ありがと。生き返った~……」


「!!!」


色々考える前に、また半裸の神宮さんが
現れる。


初日もこうだったけど、今度はふたりきりだ。


意識しないようにと思っても、
心臓の鼓動が速くなる。


(それに神宮さん……髪を上げると
やっぱり顔が整ってるって再確認させられるな……)


家に帰らないとかお風呂に入らないとか、
新人にコーヒーをおごらせようとするところを
全部差っ引けば、俳優さんも顔負けなんじゃないかとまで
思ってしまう。


「あ~……そうだ。ドライヤー……」

「洗面台の横ですっ!!!」


つい神宮さんから顔を背けてしまう。


(好きでもなんでもない人なのに……。
まぁ、憧れてはいたけど……)


しばらくすると、ドライヤーのゴーッという
音が聞こえる。



『……なんで俺なんかのポスター、
気に入ったの?』



(昨日のあの問い……。神宮さんは
なんであんなこと聞いたんだろう……)





「それでは、このハンドクリームのコンセプトは
『甘い時間』や『女性ならではのゆとり』を
表現するものを……」



「ラグジュアリー感もあるといいんじゃ
ないですか?」



「…………」


初めての取引先との打ち合わせ。

私は緊張していたが、それよりも驚いたことが
あった。



(あのテキトーそうな神宮さんが……
めっちゃ真面目に仕事してる!!!)



神宮さんはお風呂に入ったあと、
みんなが用意してくれた白いシャツと
ジャケットに着替えた。


それだけでいつもの彼とは大違い。


いかにも『仕事できます!』って感じに
生まれ変わった。


都築さんも一緒だけど、ふたりともキリッと
して打ち合わせに挑んでいる。


私はただ、一生懸命メモを取るだけだ。


(やっぱりすごいんだな。
都築さんはともかく、神宮さんも……)


初日の神宮さんはだらしなくて、
『私の憧れを返せ!』って思ったくらい。


だけど、今の神宮さんなら……。




「お疲れ様、沢田さん。今日は助かったよ」


「いえ、私は神宮さんにお風呂を貸しただけ
ですから……」


「本当に助かった。ありがとね~」


神宮さんはまるで小さい子にするように
私の頭をなでる。


(せっかくセットしたのに!!
……まぁいいか。もう夕方だし)


それに、ちょっとだけ心地よかったから……。
そんなことは口が裂けても言えないけど。



「ところで、どうだった? 昨日今日と
仕事の現場を見て」


「えーと……」


都築さんからの質問に、私はどう答えようかと
困った。


正直なところ、会社に寝泊まりしている人間が
いるということを聞いて、私は……。


「ブラック企業だって思ったでしょ~!?」


缶コーヒーを手にしながら、神宮さんが
私をからかう。


「い、いえ!! 
……ちょ、ちょっとハードな
ところだなぁとは思いましたけど、
ブラックとまでは!!」


「嘘つかなくていいよ。
うち、ブラックだよー。まぁ、働いた分
お金はもらえるけど」


のんきに言い切る神宮さん。


(都築さんも否定はしないのか……)



「ねぇ、沢田さん。この先もやっていけそう?」


「わかりませんけど、精一杯頑張ります!」



「……無理そうなら、
さっさとやめたほうがいいよ。
僕たちもそっちのほうがありがたい」



「……え?」




『……無理そうなら、
さっさとやめたほうがいいよ。
僕たちもそっちのほうがありがたい』


(なんで2日目でそこまで言われなきゃ
いけないの……?)


私は自分のベッドに寝そべって、
今日のことを思い出していた。


都築さんは先輩だし、これから色々指導して
くれるってちょっと期待していた。


それなのに……。


「まるで突き放すような言い方だった……。
神宮さんは……」


神宮さんは、ただ寂しそうな顔をしていた。


なんであんな顔をしてたんだろう。


「明日……聞いてみようかな」


(そんな勇気があれば、だけど)


私は布団の中に入ると、目を閉じる。

それでもこの夜はなかなか寝付くことが
できなかった。



(結局あんまり眠れなかった……)


「おはよー!悠海。……なんか顔色悪い?」

「あ、神宮さん……」


神宮さんはいつもより元気に見えた。


(昨日は久々に家に帰るって言ってたっけ)


「……つっきーの言葉、気にしてる?」
「!!」


(なんでこんなときだけ鋭いの!?)


「やっぱ図星っぽいね。あのさ、俺のこと
勘違いしてると思うんだよね~、キミ」


「か、勘違いも何も、まだ知り合って間もない
ですから……」


「そういうことじゃない」


神宮さんが急に私の瞳をじっと見つめる。



「……今日、夜の予定は?」
「え? と、特には……」
「21時前には上がるから、ここで」

「え……? え!?」


私にメモを渡すと、神宮さんはまたへらっとした
顔に戻り、オフィスへと入っていく。


『おはよございまーす!』という能天気な声が
廊下にまで響く。


(一体何なの? それにメモは……)


神宮さんが何をしたいのかわからない。
何を言いたいのかも。

それと、都築さんのこと……。


(今日、この場所に行けば話してもらえるのかな……)


『21:00- ZERO』


メモをしまうと、私もいつも通り
オフィスへ入っていった。



(都築さん、今日は特に変わりなかったな……。
なんだったんだろう、あの言葉)


ずっと頭の中でぐるぐると回っている
台詞。



『……無理そうなら、
さっさとやめたほうがいいよ。
僕たちもそっちのほうがありがたい』



(なんであんなこと……)


腕時計を見ると21:00。

時間ジャストにバーの扉が開く音がした。


「待った?」


(てっきり遅れると思ってたけど……)


「あ、『遅れてくるだろう』って思ってたでしょ。
だーかーら、そういうところが誤解なんだって」


考えていたことを当てられた私は驚く。


「俺、ギブソンね。……今日は少し強引に
誘ってごめんね?」


「いえ……」


「どうせ気にしてるんだろうなと思って。
都築の言葉」


普段は『つっきー』とあだ名で呼んでいるのに、
今日ははっきりと呼び捨てした。

そのことにびっくりしていると、
神宮さんが頼んだカクテルが来た。


「……都築は同期なんだよ。入社してから
ずっと一緒でさ。まあ、都築は最初、
キミみたいに下積みして……俺はいきなり
実践っていう差はあったけどね」


カクテルに口をつける神宮さんを見て、
私もカルアミルクを飲む。



「あのMF広告大賞のポスター……。
キミはあれを気に入ってくれたんだよね」


素直にこくんとうなずく。

今日の神宮さんは、いつもと違って
まともというか、年上らしいというか……。


(いつもこうだったら、きっと好きに
なっちゃったかもしれない……)


そんな思いを心に秘めながら、私は
神宮さんの手元を見つめる。

グラスの脚の部分を、私よりがっしりした手で
軽く触れる。


「あのポスターは、都築と俺で作ったものなんだ。
都築は初めてのディレクションで、
俺もやっと独り立ちできるってふたりで
意気込んでて……でも、なかなかいい案が
浮かばなかった。そのせいで……」



『都築は後輩を殺したんだ』




私は耳を疑った。


「都築さんが後輩を殺した……?
何かの間違いじゃ……」


「正確には『自殺に追い込んだ』か」


「……何があったんですか?」


「キミと同じくらいの子でさ。
ちょうど季節も今と同じ4月……。
俺たちも疲弊してた。
そこで、都築は少しきつくその子に
当たっちまったんだな」


「そんな! 少し当たったくらいで自殺
なんて……」


「俺も彼女じゃないから、気持ちをすべて
理解してるわけじゃない。だけど、その子……
俺のファンだったんだ」


『ファン』という言葉に、胸がちくりとする。


神宮さんのデザインは、私が見たポスター以外でも
評価を受けていた。


それに、本人だってちゃんとしていれば
かっこいい。

ファンがいてもおかしくはない。


「都築は広告理論に乗っ取った
ポスターを考えていた。
いわゆる『目を引く色』とか、『絵』とか……。
だけど彼女は、それを批判した。
……都築はその道のプロだったからな。
当然怒ったよ。そして彼女は……」


私たちは無言になる。


バーテンダーが空になった神宮さんのグラスを
気にし出す。


「サイドカー」


オーダーすると、バーテンダーは
私たちから離れる。


「自殺するギリギリまで、彼女は言ってた。
『俺のデザインで行ってくれ』って。
都築はそれを聞かなくて……」


「じゃあ、あのポスターは!?
どうやって作られたっていうんですか?
あの、真っ赤な夕日は……?」


「あの色は、俺の血だ」


ショックで言葉を失う。
それでも構わず、神宮さんは話を続ける。


「その子が自殺したあと、俺も死のうと
思った。そのときの血が、あの夕日の赤だ」




「俺は結局死ねなかった。あの色を見たから。
あの赤こそ、ポスターに相応しいって。
それで、都築を説得した」


「なんで……」


「ん?」


「なんでそんなことがあったのに、
神宮さんは都築さんと普通に
付き合ってるんですか?」


「当たり前の質問だけど、俺たちの関係は
当たり前じゃないんだよ。
俺たちは将来、一緒に最高の広告を作ろうって
約束してた。その約束を果たせると思った」


「つまり……神宮さんは、その自殺した子より、
都築さんとの約束の方が
大事だったってことですか?」

「……それが俺たちなんだよ。
だから都築は警告した」

「あっ……」



『……無理そうなら、
さっさとやめたほうがいいよ。
僕たちもそっちのほうがありがたい』



「あれは、

『俺たちと同じ覚悟』……人を殺してでも
後世に残るような広告を作りたいと思わないなら、
逃げろ、

って都築は言いたかったんだと思う」


「そんな……悲しすぎますよ。
せっかく私は憧れていた人に会えたのに」


「……広告は人を別れさせるものだ。
キミ、2クリの人間と交流は?」


「2クリ? 第2クリエイティブ部ですか?
同期の子がいますけど……そう言えば
連絡してないな。初日はどうだったか、
お互い話をしようって言ってたんですけどね」


「1クリと2クリは、社内で同じ案件を
奪い合ってる。足の引っ張り合い……。
都築と俺は同じ部に入ったからそんなことはなかったけど、
同じ社内に敵は潜んでる。
……こうして仲間同士を敵に変える。
広告はその武器だ」



「その考えはおかしいです」



私ははっきりと言い切った。

だって、あのポスター……血の色をした夕日の広告が
私と神宮さんを引き合わせたんだから。

カレシにフラれてふらりとレールに飛び込もうとした
私を足止めさせたのは、神宮さんのあの赤だ。


「広告は武器じゃありません。
人と人とを結ぶ、架け橋だと私は思います。
……そうじゃないと困りますよ。
私、せっかく神宮さんと出会えたんですから!」


「……キミはバカだな」

「バカではないと思いますけど……。
一応うちの会社、レベル高いですし、
就活で足切りが……」


「はは、そういう意味じゃないんだけど。
まぁいっか! 俺もいい子に出会えたってことだし」


「はぁ……」


さっきまでの暗い雰囲気が一転。
神宮さんは満面の笑みで私の頭をなでまわす。


「あの……やめてもらえませんか?
ちょっと恥ずかしいんで」


「やだー! よーし、気分もよくなってきたし、
今日は飲むぞ!」


「飲むって……!? ど、どのくらいですか!?」


歓迎会のときの飲みっぷりを知っている私は、
びくっとする。


(だ、大丈夫かなぁ……?)


不安に思っていた私の予想は当たった。


――翌朝。


「……ん」


「やっと起きてくれましたね、神宮さん」


「悠海? ……ここ、キミの部屋?」


「まさか神宮さんが酔うとは思いませんでした。
この間の飲み会のときはけろっとしてたのに」


「あれはビールのときだけ。
あー……カクテルは悪酔いするんだよ……。
頭いてぇ……」


(はぁ、これで一安心か)


結局あのあと、勝手にカクテルをバンバン
あおった神宮さんは、酔いつぶれてしまった。


普通だったらこういうの、私が酔っ払って……
みたいな流れだと思うんだけど、
なぜだか私が家まで引っ張って帰ることに
なってしまったのだ。


(ホントかどうか知らないけど、
神宮さん、家は鵠沼海岸とか言うし……。
完全に終電ない上に、帰るまで2時間はかかるのに)


タクシーを拾って何とか家まで運び、
ベッドへ横にして……なぜか家主の私が
ソファで寝るっていうね。


「ひどい話ですよ。後輩に介抱させるなんて」


「ごめん、ごめん」


「で? 食べるんですか?」


「え?」


「朝ご飯、作っちゃったんですけど」


「マジで!? なに、この新婚フラグ!!
食べる食べる!!」


(……もう、調子いい人なんだから)


でも、そんなところが神宮さんのいいところ
なのかもしれない。


昨日の話は、普通だったら
してくれないような内容だった。


後輩が自分たちのせいで自殺して……
自分も死のうとして。


人を殺してでもいい広告を作るなんて
異常な考え。


(でも……少しは考え方を変えてくれたのかな)


私は嬉しそうにテーブルにつく神宮さんを
見つめる。


(私が好きだったポスターには、
悲しい思いがあった。でも、今は……)


「4ヵ月ぶりのちゃんとしたメシ!!
白米うめー!!」


「え!? 4ヵ月、何を食べてたんですか!?」


「カップ麺とか、パンがメインかな。
すぐ食べられるやつとか、食べながら
作業できるやつ」


……この人は、放っておくと危ないのかも
しれない。


家にも帰らない。
お風呂にも入らない。
ご飯だって適当。
仕事ばかりで、そのせいで死のうとしたこともある。


なんて最悪な物件なんだろう。
それなのに私は惹かれてしまった。


この人に流れている、真っ赤な血の色に。




「……おはよう、沢田さん」


「おはようございます! 都築さん」


「ジンから聞いた。キミは……」


都築さんが言いたいことはなんとなく
わかる。


私に告げた言葉の真意。


だけど、それは知っていても知らなくても
いいことだ。


「大丈夫ですよ、都築さん。
私も神宮さんの絵が好きで、ここまで
来ましたが……あのポスターは都築さんの
力もないとできなかったものです。

……だから、私は同じ仲間としてふたりを支える
架け橋になります!」


「……はは、これは困ったね。ジンが
一目で気に入った意味がよくわかった」


「一目で気に入ったって……」


「ほら、初日。キミの頭にあご乗せてた
でしょ? ジンがあーいうことするの、
直感的に気に入った人間だけなんだよ」


「あ、あれは私がちいさいだけじゃない
ですか!?」


「どうだろうね? 
じゃ、このあとミーティングだから、
ジンとふたりで来てね」


(完全に都築さん、気づいてるのか。
さすがというか……)


「悠海ちゃ~ん!」


都築さんが立ち去った後、入れ替わりに
上機嫌な神宮さんがお弁当箱を持って
近づいてくる。


(神宮さん……ちょっと浮かれすぎに見えて
恥ずかしい……)


「どーしたの? 赤くなって」


「なんでもありません!」


「ありがと、お弁当」


「いえ。神宮さんがあまりにもアレな
食生活を送っていたので、見るに見かねた
だけですから」


「……なんでキミってそうなの? 初めて会ったときは
『すっごく好き!』って言ってくれたのに……」


「そ、それはポスターのことで……」


「でも、俺のこと好きだよね?
好きでしょ? 好きって言ってよ」


「うっ……い、嫌です! 神宮さんと話しすると、
首が疲れるし……」


「じゃあ、こうして屈めばいい?」


腰を低くすると、神宮さんは私の唇をさらっていく。


「ちょっ、社内でこういうことは……!!」


「お弁当、超おいしかったよ~。じゃ、
一緒に行こうか。ミーティング」


(この人は……っ!!)




新人の私が会社で出会った憧れの人は、
仕事以外ダメダメなイケメンでした。



でもこの人は――

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