神の与え給うた食べ物

文字数 2,475文字

 大学受験のために下宿で浪人していて、その食べ物が「滋養に富んでいる」というので買ってきた。神が人に与え給うた最高の食べ物というようなことがその包装紙に書いてあったが、食べてみてこんなに美味しいものがあったのかと思った。食費をやりくりしていたので一日に一切れずつ食べることにして三、四ミリ程度のスライスにして食べ、残りは机の引き出しに仕舞った。しかししばらくするとどうしても食べたくなる。予定の一切れでやめることができなく、また一切れまた一切れと結局半分ぐらいを一挙に食べてしまった。これがチーズとの初めての出会い、今から六十年以上も前のことである。その時のチーズはプロセスチーズでいま食べてみるとそんな感激は全くない。ロックフォール、パルミジャーノ・レッジャーノ等と今ではナチュラルチーズの味になじんでしまったからだろうか。それとも食べ物の美味しさというのは、体の成長やその時の食料事情と密接な関係があり、そんなにも美味しいと感じたのは当時十九歳で丁度体が欲しており、食べ物も豊富でなかったからかも知れない。
 
 今なら美味しい食べ物と言えばまずはドリアンを挙げねばなるまい。以前勤めていた時同室だったAさんは時折タイに出かける。帰りのお土産は私が見たことも無いものだった。色は緑色、形は球形で人の頭程度、表面は鋭いトゲで覆われている。それがドリアンとの初めての出合いであった。彼が包丁で切るのだが皮が硬いのとトゲトゲのために力が入らない。ようやくにして皮を剥ぐとまっ黄色でサツマイモのような形の中身が四、五個出てきた。食べる前から一種異様な匂い。この匂いのためにタイではホテルの部屋で食べるのが禁止されているとか。
 一口食べてそのうまさにビックリした。姿形、匂いからは想像もつかない、とろーりとした舌触りとなんとも形容しがたい甘さというかうまさ! その時はほかの同僚と四、五人で食べたが、すべての人がうまいうまいと言って食べたわけではない。中には苦手だなと感じている人も居た。無理していることはその食べ方を見ればすぐにわかる。こんなにもうまいものを我慢して食べるとはドリアンにとっても不幸なこと。なんとも勿体無いことだとついついこちらの手が伸びて行ってその人の分まで食べてしまいたくなり困った。Aさんがタイへ出かけるたびにお土産のドリアンにありつけるのでホントに楽しみだった。
 あるとき例によって我々の二階の部屋でドリアンを食べていると一階の事務室の人があわてて入ってきた。聞けば一階でガス漏れの匂いがするというので大騒ぎになり、一階の部屋全部を調べたが判らなく、ついで二階を調べて辿り着いたのが我々の部屋だったということ。ドリアンの匂いはそれほどまでに強烈で最近では飛行機への持ち込みも禁止されているらしい。
 
 大学二年生の時に四人で四国へ旅をし、足摺岬の断崖絶壁を見ての帰りに樹林の中で「くわず芋」という植物に出会った。その地の天然記念物に指定されていて葉っぱや茎などは里芋に似ている。一本の茎が枯れていた。天然記念物だから採ってはいけないが、こんな枯れたのは取っ払った方がいいとナイフで切り取ると見掛けと違って茎の髄はみずみずしい美しさ。その意外性にどんな味をしているのかと、ついその髄をかじってみたらほんのりとかすかな甘さ。へー甘いんだと思っているうちに口の中が急に強い痛みを感じだした。これはいかんと吐き出したがすでに遅く、一部は胃まで行ってしまっていた。
 大変なことになった。炎症を和らげようとするのかツバがピュッピュッと口の中へ飛び出てくる、唾液の噴射、<フンシャ>、こんなことは初めてだ。そのツバを飲み込むと食道もただれてしまったのか激烈な痛さ。溜まったツバを吐き出すとこんどは口中が痛い、あわてて水を含むとその冷たさのためか少し痛みが和らぐ。胃袋は孔が空いてしまったような違和感。口中の痛みのためか舌が収縮しこわばってきた、<舌の硬直>、ナンダコレハ? しゃべることが出来なくなる? 一瞬死も頭をよぎった。
 近くの家の人に対処法を聞いてみたが知らないとのこと、泊っている寺(兼ユースホステル)なら古い知見があるかもと急いで帰り聞いたがやはりだめだった。聞くと診療所があるという、自転車を借り友達が僕を運んでくれた。駆けつけて診てもらったが医者はにべもなく「食わず芋はだれも食べたことがないので治療方法はわかりません」と、薬もくれない。頼みの医者にまで見離されるとはなんとも心細い。
 この毒は酸かアルカリのどちらかだろう、たぶんアルカリだろうから夏みかんを食べたらどうかと友が言うので食べてみたが効果不明。塩水が中和にいい可能性があるかも、ただれた食道が痛くて飲み込むのに苦労したが効果なし。吐き気がして先ほど昼に食べたうどんの破片が出てきた。寺のお爺さんが「神薬」という薬を買ってきてくれて有難く飲んだが効き目はない。どうしたらいいのか・・・、なかなか考えが浮かばない・・・、時効に望みをかけるよりもう手はないのか・・・。
 その日の夕食は刺身などが豪華版で友達がうまそうに食べる、飯を少し食べてみたがうどん粉の塊を飲み込んでいる感じ、味覚もおかしい・・・、ほとんど食べられなかった。仲間が大丈夫かと気遣ってくれる。声を掛けてもらっても良くなるものでもないが心和らぐ。しかし中にはケケケと笑っているヤツもいた。悪気がないのはわかっているが笑うとは何事か。夜床についても唾液がやはり湧いてくるので枕元に洗面器を置いて口に溜まると吐き出すので寝るのもままならなかった。
 二、三日は結局ほとんど食べられず、完全に良くなるのに一週間ぐらいかかったように思う。当時二十歳と若かったからなんとかなったものの、アホなことをしたものだ。旅はそのまま続けたのだろうがどこへ行って何を見たのか全然記憶に無い。旅から帰って「食わず芋」を辞典で調べてみると、南洋で原住民が毒矢の先に塗って使うとあった。
 神はなぜかかる「食わず芋」をお創りになったのですか。





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