第1話

文字数 1,969文字

 私は残念な気持ちでグラスを回す。
 このBARは照明が暗すぎ。
 本で知ったモッキンバード。
 その宝石のような色をじっくりと眺めたかったのに。

「隣いい?」
 ジャケットを着た男が1人、カウンターの椅子に手を掛けて聞いてくる。
 慣れているのか立ち居振舞いから自信が漂ってくる。
「どうぞ?」
 僅かに腰が引けた自分を誤魔化して大きく微笑む。
 口紅を引いたのだ、私は。
 男性が隣に座ったぐらいで慌てる事など、ない。

「ここにはよく、来るの?」
 男はハイボールを頼むと私のショートグラスをチラリとみた。
「……お酒は好きです」
 同じBARに2度行くことのない私は曖昧に答え、マスターにお酒を頼む。
「ギムレットをお願いします」
 カクテル言葉は、長い別れ。
 別れはいい。なんでも美化してくれる。
「ギムレット?かなり強いお酒じゃん」
 男の驚きに動揺した。
 女1人で強いお酒を何杯もあけるのは可愛げがないだろうか。
「小説が好きで」
 嘘ではない。ギムレットのでてくる小説は読んだことないけれど。
「小説……へぇ。俺バカだからさ、漫画しか読めないや」
 男が鼻先をかいてハイボールグラスを軽くあげる。私も少し残ったグラスを上げて応じた。
「漫画の魅せ方は本当に勉強になりますね」
 男は居心地悪そうにもぞりと動く。
 またやってしまったかと申し訳なく思う。
 きっと。もっと表面的なことでいいのだ。
 かといって、当たり障りのない言葉が浮かばない。焦る。
 だけど、口紅を引いたから。
 狼狽える気持ちを、グラスに残るお酒と飲み干す。
 スッとした味わいが鼻を抜けてふわりと頭を包み込む。

「ギムレットです」
 マスターが私の前に酒を差し出す。
 あぁ、そうだった。店を出てしまえば男はきっと勝手に美化してくれる。
 マスターから受け取ったグラスからたちのぼるライムの香りを楽しむ。
 多少失敗してもいいならば。
 こちらから話しかけてもいいかもしれない。
「お酒、好きですか?」

「まぁ、ほどほど?ねぇ?近くに美味い焼き鳥屋があるの知ってる?」
 男はハイボールを傾けると、誘うように目を細めた。
「炭火焼きですか?」
 この先をどう継ぐのが正解だろう?
 正直にいえば、私の好きな部位を出す店かどうかだけが知りたい。そして、1人で行きたい。
「君って不思議ちゃん?」
 男は大袈裟にのけぞり、私をまじまじと見る。
「どうでしょう?」
 口角をあげてみたが男にとってこの振る舞いは何点だろうか?
 男がフッと口許を緩めたのを見るに、今のところ、合格ラインなのか。
「遅くまでやってるからさ?行かない?」
 男が手を伸ばしてくる。
「もう少し呑みたいので」
 私は首をふる。
 途端に男の目が冷たく光った。伸ばしてきた手をピタリと止める。
 間違えたのだ。胃が縮むような気がする。
「君ってば、モテないでしょう?」
 イライラした声で男が言う。
「はい」
 ギムレットを、あおり素で答えていた。
 あぁ、しまった。
 あまりに芸のない返答をしてしまった。
 ギムレットの余韻が頭を支配している。

「アッハッハ」
 少し離れた所から笑い声が飛び込んできた。
 男と一緒にそちらをみる。
 少し離れたカウンターでヒョロッとしたメガネの男が此方をみていた。
「お嬢さん、私と1杯いかがです?」
 スーツ男の舌打ちが聞こえた。とっさに謝りたくなって、唇を噛む。
 口紅を、塗ったんだから。私は。

 私が動けないでいるとメガネ男が隣に座った。
「ほら、お嬢さん。この光景を切り取ればモテてる」
 メガネ男はウィンクし、私の反応を待たないでロックグラスをかたむける。
「……全く」
 マスターが寄ってきて、メガネ男のグラスに酒を足した。
「選り取りみどりだし、選ばなくてもいい。そういう店だ、ここは。」
 メガネ男は軽口を流し続ける。
「……オーナーは俺だよ」
 マスターが嗜める。
「毎日来てりゃーそんくらいわかるって」
 メガネの男は悪びれる様子もなくそう口にした。
「つまり、ろくでもない」
 マスターの毒を含んだ言葉。
 受けたメガネの男はグラスとカウンターテーブルの間に顔を埋めてクツクツと笑っている。
 あぁ、気心の知れた者同士の会話ってどうしてこうも心地がいいんだろう。
 2人の会話が一息つくのをまって、私はマスターにオーダーする。
「キールをください」
 カクテル言葉は、たしか最高の出会い。
 焼き鳥男はいつの間にかいなくなっていた。

「キールです」
 マスターが差し出し、メガネの男がすかさず言う。
「君の瞳に?」
 メガネの男の目がいたずらっぽく光る。
「ベタだなぁ」
 茶化すマスター。
「いいんだよ。お嬢さんも楽しそうだ」
 そういわれて、はじめて私は自分が笑っていることに気づいたのだった。

 口紅を落とした私はきっと、この2人を思い出す。
 うす布1枚向こうにいる2人の記憶を抱えて現実を重ねていく。
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