ちび捨て山
文字数 1,289文字
むかしむかしのことじゃった。豊後の国に姥捨ての風習が残る村があった。
食い扶持を減らすために老人を山の中に捨てておったと。
だが、その風習も知恵の立つお婆さんのとんちでやめることになったと。
ここまではよくある「姥捨て山」のお話じゃ。
それから時代がくだって、また村が貧しくなった時があった。
時の名主は、今度は子どもを山に捨てるよう言いつけたと。
こんな調子でかくまっている家があったと。
年の頃六つの弥平はもう何か月も納屋の中で人の目を避けておった。
そんな時、隣の大きな村から難題が出された。
隣の村は何かにつけては無理難題を言いつけて、答えられなかったら嫌がらせをしてきていたと。
解けたら高い褒美をやるとうたってはいたが、解けないだろうと高をくくってのことだった。
事実、まるで解けない難題ばかりで、たびたび村はひどい目にあっていた。
ずっと昔の姥捨ての時代にも同じように無理難題を押し付けてきていたとさ。
さっそく村中にお触れが出された。
この問題を解いたものには隣村から百俵もの米が与えられる、と。
その噂は弥平親子の家にも入ってきた。
弥平は親父に背負われて山を目指したと。
翌日、名主の屋敷に届けられたのは、見事に真っ黒な縄だったそうな。
弥平は今でいう硫酸がその谷にあることを知っていたのだとよ。
硫酸につけると、紙や木がまるで燃やしたように真っ黒になるということだ。
早速炭の縄は隣村に届けられ、米百俵で村の中はたいそう潤ったと。
名主は自分の出した命令を悔いて、二度と子どもを捨てさせなかったということだ。
弥平は大きくなると、えらい学者さんとして藩に召し抱えられたということであるよ。
むかしむかしの話だと。