第1話

文字数 3,073文字

 カズオは死んでいる。死因は失血死で、彼が住んでいるマンションに警察が駆けつけたときにはすでに心肺停止状態だった。背中には刃渡り二十センチの包丁が刺さったまま、うつぶせの状態で死後五時間が経過していた。彼を殺害したのは妻のキヨミで、発端は夫であるカズオとの些細な喧嘩だった。キヨミは犯行後に警察に自ら通報し、二時間ほど街を徘徊したあと近くの歩道橋から身を投げた。
 カズオの隣に立っているのはキヨミだ。キヨミも死者であり、カズオはキヨミに殺されたことを知らない。キヨミもカズオを殺めたことを完全に忘却している。この事実をこれから先、二人は知ることもないし知らされることもない。だが、お互いは生前では夫婦であり、自分たちが死者であることを自覚している。彼らは世間一般で言うところの幽霊であり、その姿は生前のままだ。
 カズオは話す。
「こちらの世界では私たちの存在を多くの人々は恐れて嫌うようですね。確かに死んでいる人が生きているように現れたら不思議だし、怖いのかもしれません。ですけれど生きている人との出会いのほとんどは初対面なわけで、私たちのこと誰も死んでいるなんて思わないわけです。にも関わらず私たち、つまり幽霊に対して恐怖を感じるというのは大方、状況によるものなのだと思うのです。例えば先に述べたことですが、死んだはずの人間が現れる、とか、存在を確認している人間が自分にしか見えていない、とか、誰もいないはずの場所に人がいた、などこういった現象が典型的で、幽霊を見たことがない人も聞いたことくらいはあると思います。多くの場合、こういった体験をした人々は即座に恐怖を感じて、一時的に冷静さを失ったあげく、ますます幽霊を恐れるようになります。しかし、幽霊が自分に対して物理的に危害を加えたり、その人間の生活を徹底して破綻させたというのは実生活において、ほとんど聞いたことがないと思います。なのに、なぜ幽霊を恐れる人々が多いのでしょうか。私の考えではありますが、まず幽霊が現れる場所の定番というと、人気がなく暗い所が想像できますね。というのも、人間はそもそも暗闇を本能的に恐れるようにできていますから、そういった視覚が遮られる状況になると、不安や緊張が潜在意識中に本人は意識しなくとも現れて、それらはやがて人間の感覚を鋭敏にし、意識を過剰にする働きをもちます。そうすることによって、小さな物音、光、匂い、日常生活では気が付かないような些細なことまで察知することができ、危険を未然に防ぐことができるんです。問題はそれが過剰になりすぎるあまりに、幻覚を見る、してもいない音を聞くなどの感覚を意識中に作り出してしまうことなんです。人はどんなときでも脳で現象の原因を完全に理解しようとしますから、それが不能に陥った場合、脳は混乱したあげく、それを起因として動悸、発汗、さらには理知的な思考の遅延を起こして、さらに恐怖を上乗せにするんです。もちろん、これは幽霊を確実に感覚として捉えている場合は別です。ただ、霊感が強いと自称する多くの人は先に述べたような神経過敏によるものと思って間違いないでしょう。では、なぜこうまで霊感体質といった正体不明のものが世の中にはびこるのでしょうか。
 まず考えられるのは映画やドラマ、小説、漫画、雑誌、バラエティー番組、ネットやSNSなどのメディアによる脚色された物語の氾濫が原因だと思います。これらで語られる怖い話や怪奇現象などでは必ず霊が悪役となり、悪霊の仕業などと表現されます。まるで霊現象は恐怖の根源みたいに語られますよね。それらが幼い頃から身近なメディアとして存在していると、それが日常でも起こりえるものなのだと潜在意識に植え付けられたまま成長してしまうのです。また、古くからの言い伝えや宗教から派生した文化、つまり先祖の供養や死者にまつわる日本のしきたりが根本にありますから、有り得ない現象に遭遇したとは思いつつも霊現象を確実に目の当たりにしたかのごとくに感じてしまうのです。霊現象のみならず死後の世界まで想像は及びます。ここで想像と言ったのは誰一人としてその世界を証明したことがないからです。証明といっても証拠を提示することは、あまりに不可能です。現在では様々な分野からの研究が進み、現実は多次元構造として存在していて、その別次元の住人がごくたまに目に見えてしまうとの論説もありますが、まだ確実に証明できることではありません。つまり想像の延長線上の推論なのです。確かに確認のしようがない幽霊の世界に、死後の世界、証拠がないので証明が不可能です。なぜなら本人の感覚でしか捉えることが出来ない世界なのですから。本人の感覚、それは一体なんなのでしょう。良く言われる第六感でしょうか。先に述べた、人間が生まれ育った周囲の環境が与えたものが、本人に真実めいて自覚させてしまい、本人の中で自意識を過剰にさせていった結果が私は主な原因だと思うのです。
 幽霊は何者なのか? 私は矛盾した存在です。幽霊を見ることが出来るという人間を否定しているのですから。人間に見ることが不可能にも関わらず、物的証拠も残さず、幽霊は今でも世界のあちらこちらに現れています。なぜなら幽霊という言葉が存在する限り私は人間の心の世界に具現化するのです。いつでも人々の些細な恐怖に寄り添って私達はいます。
 あなたが明日の朝、バスに乗ったとします。登校のためでも会社に行くためでも買い物に行くためでも構いません。そこであなたは毎朝のように見かける人や、初めて見かける人にも出会うでしょう。あなたはこの時に恐怖を感じたでしょうか。霊現象を目の当たりにしたでしょうか。答えは何も感じてはいないのです。それは繰り返す毎日のごく当たり前の光景だからです。幽霊なんて目に映るわけがないのです。でも、もし毎日のように見かける人々が幽霊だったとしても、あなたは何も感じることが出来ないでしょう。それは潜在意識中の霊現象に対する恐怖が現場にまるで一致しないからです。幽霊は昼間の賑やかな場所に現れるわけがないと意識に染み付いていますから、まるで何事もなくあなたの時間は過ぎていくのです。隣に座った青年が五十年も昔に亡くなった人間の幽霊だったとしても気が付かない。全ては人々の恐怖が生み出す具象なのです。

 人々の想像する力は目に見えて具現化します。物体として手に触れられるものとして存在もできます。無い物を有ると思い込めば物体はそこにあるのです。恐怖も生み出されてすぐに肥大化することもあるでしょう。恐怖は自意識過剰を招き、やがて混乱を呼びます。私達はそんなときに人間の前に現れることしか出来ない弱い存在なのです。幽霊は何も出来ない。極度に怖がり、混乱し、自分で自分を追い込むのはいつだって人間の方なのです。
 恐怖、それは死に少なからず繋がっていると考えても間違いないでしょう。しかし、その連鎖を招くのは自分だということを理解して欲しいです。
 そもそも私達の存在のルーツは人間が思う死への恐怖なのです。ですが、どうやら人々の発展と科学の進歩が死の恐怖をいつの日か乗り越えたとき、私達は過去の遺物になるのでしょうね」

 カズオとキヨミは微笑を浮かべて姿を消した。彼らが立っていた場所には何も残されていない。ただ、記憶の中には彼らが残した言葉の数々が刻まれた。想像は目に見えて具現化する、と。
 いつだってカズオとキヨミは人々の心の世界に内包されているのだ。

              了
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み