12月21日(火)

文字数 4,780文字

大学時代からの友達で相田という奴がいる。オレと同じくクズ野郎だ。類は友を呼ぶという言葉通り、オレ達は出会ってすぐに意気投合した。ただ、オレと違って相田は良い奴だった。オレだけじゃなく、ほかの奴らも分かっているみたいだった。相田のまわりには人が集まっていた。オレの周りには誰もいなかった。けど相田はオレとよくつるんでいた。なぜかは分からないが相田はオレといる時間を気に入っているらしかった。相田がどんな奴かを伝えるために一つだけ話をしよう。

 雨の日だった。オレは大学帰りでアパートに向かって歩いていた。夕方で、まだ日は暮れていなかった。帰り道には川を横切る大きな橋がある。オレはいつも通り何気なく橋を渡る。橋を渡っている時に河川敷に赤い傘を見つけた。女だろうか?しゃがみこんで何かしているようだ。もう少し歩いて、見える角度が変わると体格と服装から男だと分かった。この時点で相田の顔が浮かんでいた。あいつは趣味の悪い赤い傘を使っていたはずだし、アパートもこの近くだ。オレには確信があった。橋の手前まで戻って、河川敷に降りる階段を探した。少し遠回りをしないといけない。河川敷に降りたオレは相田を驚かせるためにひっそりと近づいた。雨の中、しゃがみこんで何をしているのか?
ここの辺りは舗装されていない。自転車が通るにも道が悪かった。草ものび放題で人気はない。
 近づいていくと、あいつの傍になにかが見えた。茶色い何か。次第にそれが動物であることが分かった。あいつはその動物に手を触れているようだ。おそらく茶色い毛の大型犬だ。オレはゆっくり近づいた。傘で隠れているせいで、相田の顔は見えなった。雨が降り続いている。風はなかった。橋を通る自動車の音が聞こえる。相田が何をしているのかが見えてきた。

あいつは、静かに横たわる犬をゆっくりなでていた。
 
傘で顔は見えない。オレは歩みを止めた。傘をうつ雨の音が強くなる。雨の中、オレは目の前の光景を眺め続けていた。犬は雨でずぶ濡れになっている。相田の手は、犬のおなかをゆっくり往復する。ゆっくり。ゆっくり。犬はおそらく死んでいた。動いている気配がなかった。雨音が続く。オレは何も考えられなくなって、ただ雨の中で立ち尽くしていた。見とれていた。傘と相田と雨と犬。オレの世界はそれだけになった。
どれくらいの時間が経ったかわからないが、オレは元来た道を引き返すことにした。後ろを振り向き、歩き始めたところで、オレを呼ぶ声がした。
「松谷か?」
 名前を呼ばれたオレはゆっくり振り返る。相田は少し驚いたという表情をしている。少しの間オレを見つめてから、相田は視線を犬に戻した。オレは仕方なく相田のところまで歩いて行き、相田の傍に立った。
「死んどるんか?」
 オレは口を開いた。
「・・・そうみたいやな」
 相田が答える。
「さっきまでは呼吸しとったんやけどな」
「そうか・・・」
 オレは犬を見た。茶色い大型犬で首輪がついていた。腹の周りは赤黒く染まっている。飼い主から脱走したあげく、車にでも轢かれたのだろうか?
「車に轢かれたっぽいな。道端で倒れとった」
「そうか・・・」
 沈黙。雨の音がオレと相田と犬を包む。優しい空間だった。世界がオレ達だけを包んでいるような気がした。しばらくして、相田が立ち上がった。
「こいつ埋めるの手伝えや」
「埋めるんか?」
「うん。めんどいけどな。しゃあないわ」
「そうか」
 オレ達は河川敷の土を掘り返した。雨が降っていたので、ぬかるんでいて、手でもさくさく掘れた。掘り終わると、犬を入れて土をかけていく。埋め終わるころにはオレ達は雨に濡れて泥だらけになっていた。最後に大きめの石を上にのせた。
「十字架もいるなあ」
 オレは冗談を言った。
「残念ながらこいつはアンチキリストや。立てるんなら逆十字やな」
 オレ達は笑った。雨が降り続く。雨にうたれるのは気持ちがよかった。
「なあ、相田。言っとくけど、こんなことしたってお前の地獄行きは変わらへんぞ」
 オレは言ってやった。相田はこちらを見てニヤリと笑った。
「お前、知らへんのか?地獄にもいっぱい階層があるんやぞ。ちまちまでもええことしとけば、地獄の中でも楽な方に行かしてもらえるんや。だからな、ちょっとずつ徳をつんでいくのが大事やねん」
相田は犬の墓石をみつめて続けた。
「まあオレの地獄行きは変わらんやろけどな」
相田は誇らしげだった。
雨が相田と墓石を濡らす。


 今日は相田と酒を飲みに来ている。相田もオレも店にこだわるタイプではないので、適当に空いている焼き鳥屋に入った。酒に関しても特にこだわりはなく、何となくビールばかり飲んでいた。オレも相田も酒はそこそこ飲める方だった。
 オレと相田の住んでいる場所はわりと近かったので、就職してからも2~3カ月に一度ぐらいの頻度で一緒に飲んでいた。
 話題は仕事のこととか、女性関係のことが主だった。オレに彼女がいることを相田は知っていたので、有紀の話は度々あがった。有紀というのはオレの彼女の名前である。結婚の話題もあった。いい奴だったのだがモテるタイプではなかったので、相田には恋人はいなかったのだが、結婚に関する話題は好きなようだった。
「最近な」
 相田が話を始める。
「最近また友達の結婚ラッシュがきてんだよ。先週に結婚式に呼ばれてさ、そんで再来月にもまた結婚式があるんだよ」
「お前、そんなに友達おったんやな」
「お前とは違うからな。孤高気取りのさびしい人間と一緒にしたらあかん」
 オレと相田は笑った。
「ええことやんけ。見ず知らずの男女が出会って、恋に落ち、愛を育んで結婚。我が国に新たな幸せな家庭が生まれる。素晴らしいことや」
「お前はすぐに一般論を語るからな。世間が嫌いなくせに世間的なものの見方ばっかりや」
「悪かったな」
 相田の言葉は正直、図星だった。
「ああ悪いね。非常に悪い。せっかくお前として、この世の中に生きてんのに、お前の視点でものを見ないんだよ。悪いよ、悪い、最悪だよ」
「分かった、分かった。で?結婚ラッシュがどうしたんや?行きたくないんやったら行かんでええやんけ」
「そういうことやない。オレはお前と違って常人やからな、結婚願望がちゃんとあんねん」
「さいですか」
オレは適当に返事をしてビールを飲む。
「オレはな、人に生まれたからには誰かを幸せにしたいんや。誰か一人の女性をな」
 相田が熱を込めて言う。
「だって、そういうことの繰り返しでオレらだって生まれてきた訳やろ?じいちゃんのじいちゃんの、そのまたじいちゃんのさ、遠い昔からみんな愛を受け継いできてるんや。オレも同じようにしたい。オレも誰かを愛したい。そう思うんや」
 オレは黙って聞いている。相田のこの手の話は今までに何度か聞いた。表現はその度ごとに変わるが、本質は変わらない。
『人を愛したい』
 こいつの言葉はこれに集約される。
 何も答えないオレに対して、相田が言う。
「お前には分からんのやな。おかしな奴やからな、相変わらず」
「お前に言われたくねえわ」
相田は一口ビールを飲んでから続けた。
「お前、有紀ちゃんとはどうするんや?結婚する気ないんやったら別れるしかないやろ?」
 相田は有紀と面識がある。
「そうやな。近々、別れるつもりやで」
 オレは率直に答えた。相田はため息をつく。
「すごいわ、そのイカレ具合がな。呆れるの通り越して称賛に値するわ」
「どうも」
 オレはビールを一気にあおる。
「でも別にそんな珍しいことでもないやろ?今時さ、生涯未婚率もどんどん上がっとるらしいやん。オレみたいな奴がいっぱいおる証拠やろ?」
 相田は焼き鳥を食べながら反論する。
「違うな。そん中には結婚したくてもできん人がいっぱいおるんや。お金とか、容姿とかの問題でな。お前みたいにな、有紀ちゃんみたいな可愛い彼女がおるのに、わざわざ別れて独りになろうとするキチガイはそうそうおらんわ」
「さいですか」
 オレはまた適当に答える。
「ホンマにおかしいで、お前。わざわざ独りになるとかさ。捨てへんでええ幸せを自分から捨てるんやからな。幸せ恐怖症か?」
「何やそれ?」
「あるらしいやん。そういう病気。自分から幸せを手放してまうんや、お前みたいにな」
「へえ」
 オレも焼き鳥をつつく。
「捨てるんやったら最初から持たへんかったらええんや。わざわざ有紀ちゃんを悲しませんでよかったんやんけ。そんなに不幸になりたいんやったら、もっといくらでも方法あるやろ?仕事辞めて、金を全部寄付して、ホームレスにでもなったらええんや」
 相田は勢いよく続ける。
「矛盾しとるんや、お前のやっとることはな。幸せになろうともしてへんし、不幸になろうともしてへん。おかしいわ、そんなん」
 相田は一気にビールを飲み干して、店員を呼び、再びビールを注文した。
「そうやな、矛盾しとるわな」
 オレは答えた。
「オレもそう思う。矛盾しとると思う。でもな・・・」
 オレは一口、ビールを飲んでから言った。
「でも、それでええと思うんや。矛盾しとるのも含めて、今のオレなんやわ。もしかしたら、いずれ矛盾せんようになるかもしれへんけど、今のオレはこうなんや。矛盾しとる。その通りや。でもそれが何や?あかんのか?何があかんのや?歪やと思う。けど、それの何があかんのや?しゃあないやろ。オレはこうやねん。こうなったんや。それだけやろ」
 オレはビールジョッキを見つめながら言った。
「ホンマにしょうない奴や。ホンマに。じゃあ、有紀ちゃんはオレがもらうわ」
 オレは笑った。
「お前には無理や。お前も生涯未婚率の向上に貢献する運命やろ」
「ひでーこと言うわ」
「お互い様や」
 二人して一気にビールをあおり、料理を漁った。
「そういやさ」
相田が話題を変える。
「お前、たしか誕生日12月やったやろ?」
「うん。12月26日やな」
「お前も今度で30歳やんな?」
「そうやな」
「じゃあさ」
 相田はサラダをつつきながら言った。
「ハガキ届いてるか?」
 オレは一瞬ぎくりとしたが、動揺を抑えて答えた。
「あのハガキか?届いてるで。家にあるわ」
「あのハガキを見るとな」
 相田は少し間を置いてから言った。
「何か嫌な気分になるわ」
 オレは答えず、ビールを飲む。
「死ねって言われてるみたいな気がするんや」
「そうか」
「嫌やねん。おかしいと思うわ。死ぬことを肯定なんかしたらあかんやろ?」
「自殺したほど辛いことがあっても生き続けなあかんってのもひどい話やと思うけどな」
「それは違う。人が自殺したくなる社会がおかしいんや。人がおかしいんちゃう。社会を変えていかなあかんのや。それやのに、国が自殺を認めるなんかおかしいわ」
 オレはうれしくなった。相田のこの誠実さがうれしくなった。
「社会のせいってのもあるかもしれへんけど、それだけじゃないやろ?自殺しない人の方が多いんやからな。自殺する人間にも問題はあるやろ?」
「また一般論か・・・」
 相田はビールをあおる。
「じゃあ、オレや有紀ちゃんが自殺したらどう思うんや?オレらのせいやと思うんか?」
 オレはため息をついて答える。
「そんな話をしてもしゃあないやろ?」
「ええんや。答えろや」
「じゃあ、オレが自殺したらどう思うんや?って聞かれたらどないや?困るやろ?」
 相田はオレをにらみつけて答える。
「オレのせいや」
「はあ?」
「オレのせいや。お前が死んだら、それはオレのせいや。オレが気づかへんかったんが悪いんや」
「お前が何様やねん。オレの何のつもりやねん」
「お前にとってオレがどういう存在か、とかどうでもええ。ただ目の前で一緒に酒飲んどる奴が死のうとしとることも見抜けへんオレを許せへんねん」
 オレはため息をつく。
「さいですか」
「そういうことじゃ」
 相田は間髪入れずに答えた。
オレはゆるむ頬をビールジョッキで隠した。
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