第1話 ばいばい、人生

文字数 2,506文字

 私へ。

 正直疲れた。生きること。
 私はさ、私の人生を生きてないよね。ずっと思ってた。
 私は親の価値観に縛られてるって。
 私は自分の生きたいように生きたことがないって。
 誰も見ないから書くよ。まあ別にあの人たちに見られたってどうでもいいけど。どうせ、私はいなくなってるんだし。
 私はさ、ずっとあの人たちの理想を押し付けられながら生きてきたよね。
 善悪の基準も、何が大切なのかも、何がタブーなのかも。自分で判断することはほとんどなかった。だって、あの人たちが全部決めるから。あの人たちが絶対だから。
 いつから私は親の言いなりになっていたんだろう。親の敷いたレールの上を走らされていたんだろう。
 一番古い記憶は、保育園に通っていた頃。お父さんはさ、すぐに私に手を挙げたよね。何度も何度もぶたれて、蹴られて、ベランダに締め出されたこともあったし、家の外に追い出されて「帰ってくるな」と言われたこともある。食事中のマナーがなってない、って頭に納豆ぶっかけられたこともあった。あの時は、どうして自分が怒られるのかさっぱり分からなかったよ。
 でも、自分が悪いんだと思ってた。だって、親の言うことは絶対だって教えられてきたから。だから親のすることは何もかも正しくて、怒るのには正当な理由があるんだって、思い込んでた。そのころから私は、親を怒らせちゃいけない、親の言うことをきかないといけない、って思いこまされてたんだ。
 でも、今記憶を辿ってみたら、おかしいって思うんだ。
 私がアニメを見てた時、お父さんがチャンネルを変えて阪神対巨人の野球中継を見始めたことがあったよね。私はアニメを見たくてぐずった。泣き喚いた。どうして、どうしてって。そしたら、お父さんは私を殴ったんだ。うるさい、静かにしろって。私は殴られた痛みをこらえながら、部屋の隅で必死に嗚咽を堪えてたよね。野球中継の音を背に、うずくまって、動かないようにじっとしてた。お父さんの機嫌を損ねちゃいけない。怒られたくない。駄目だ、駄目だ、って。
 今なら思うよ。おかしいって。理不尽だって。最低だって。でも、あの時の私は気づけなかった。愛があったんだ。お父さんに嫌われたくなかったから。暴力を振るわれることよりも、見限られることのほうが、お父さんが私を見てくれなくなることのほうが、ずっと怖かったから。でも、あの時お父さんは本当に私を愛してくれていたんだろうか。

小学生になってからは、お母さんに縛られるようになった。
「勉強では手を抜いちゃダメ」
「一番になりなさい」
「男の子とは喋っちゃだめよ」
「ちゃんと節度を持ちなさい」
「授業中はできるだけ手を挙げなさい」
「漫画もテレビも良い影響を与えないから見ちゃダメ」
 色んなことを指示されて、禁止された。私はお母さんの言うとおりにしようとした。お母さんの望む私であるために。お母さんに嫌われないように。
 授業中は頑張って手を挙げたし、宿題も丁寧にやったし、勉強も一番になろうと必死でやった。自分の為ではなく、親のため。ううん。結局、愛されたいと願う私のためだったのかもしれない。
 でも、お母さんの言うとおりにできないことのほうが多くなった。年を重ねれば重ねるほど。授業中に手を挙げれば、「あの子調子に乗ってない?」と陰口をたたかれることを知り、私は手を挙げなくなった。友達との交流の中で、漫画の貸し借りをするようにもなったし、男子とも普通に喋るようになった。学校という場は、親がいないから。お父さんもお母さんも見ていない。ここでは自由だ。私が二人に何も言わなければ。黙っていれば。そうやって、私はどんどん親のいいつけを守らなくなっていったよね。
 だけどそうすればするほど、私の中には罪悪感が芽生えていったんだ。こんなことしちゃいけない。もし二人に知られたら、私は見限られる。嫌われる。捨てられる。もう、家には帰れない。失望される。そんな恐れが体中を渦巻いて、自分が罪人であるかのような感覚に襲われてた。醜い自分。親の言うことをきけない自分。そんな自分がどんどん積み上がっていって、今の私がいる。

 もう今は親が絶対的に正しいだなんて思ってない。押し付けられる価値観がすべてなんて思ってない。だけど、私は親に嫌われるのが怖かったんだ。ずっとずっと。こんな子だったのかと、知られるのが怖かった。親の理想とはかけ離れた、嘘つきな娘。
 今の私は、罪悪感の塊だ。自分が嫌いだ。心底醜い。
 でも、一番嫌いなのは、親に縛られ続けてきた自分だ。親のエゴから抜け出せず、臆病に愛を求め続けてきた自分だ。
 それなのに、私は必死に求めたはずの愛を、手に入れることができなかった。私は一度も満たされることがなかったんだ。親に愛されているんだって、安心したことがないんだ。
 もし、本当に愛を受けていたなら、私はこんなに自分を嫌いにならなくて済んだかもしれない。愛してほしいと思いながら、私は一度も親の愛を信じたことがなかったんだ。愛される自信がなかったんだ。

 もう、罪悪感を持ち続けることに、疲れたよ。
 あの人たちに愛されたいと思い続けることに、疲れたよ。
 あの人たちの期待に応えられない自分を思い知ることに、疲れたよ。

 こんな人生を生き続けるくらいなら、私はもう諦める。
 愛されることも、自分を好きになることも、罪悪感から解放されることも。
 
 でもね、私。
 今までずっと親の価値観の枠組みにはまろうとしてたけどさ。「自分の人生」を生きれなかったけどさ。
 この選択だけは、自分が決めたことだと思うんだ。
 自分の意志で決めた初めてが、死ぬことだなんて、笑えないけど。
 自分の人生を、自分で終わらせられるならさ、私の人生は私のモノだった、って思ってもいいのかな。 

 ……なんか嫌だな。最後まで、親が悲しむかもしれないって、思ってる自分が嫌だ。諦めきれてないじゃん。
 
 でも、ごめん。終わらせるんだ。
 もう、疲れたから。

 ばいばい、私。
 ばいばい、人生。


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