第1話
文字数 1,948文字
世に存在する全てのスマートフォンに突如として出現した「世界不幸ランキング」というアプリケーション。文字通り人の不幸を数値化、それに順位付けするというものだ。
訳の分からない現象に混乱すること一日。
信憑性が高いと囁かれること一週間。
日常に溶け込むこと一年。
未だ謎に包まれているアプリケーションを世間が受け入れ始めた頃、その順位に一喜一憂する者たちが現れた。
中肉中背、無職、三十四歳、足立明人 。彼もその一人である。
「よし、今日は八二五も順位が上がった」
東京郊外にあるワンルームで、食い入るように液晶画面を見つめる。明人の声は、仄暗 い喜びを含んでいた。
その性質上、本来なら順位が上がることは不名誉なことである。世界不幸ランキングにおいて一位の人物は世界で一番不幸であり、最下位に輝いたならば全人類で最も幸福であることを意味するからだ。
日々変動するランキングで普通の人間は順位が上がることを憂い、下がれば安堵する。しかし明人は普通でなかった。
体育祭のリレーでは大事なところで転ぶ。センター試験の成績は振るわない。難儀した就職活動、やっとの思いで漕ぎ着けた勤め先は上司からパワハラを受けて退職。昼夜を問わず明け暮れたネットゲームでも神になれなかった。
挫折続きの人生が故に、一位や一番といった言葉の響きにどうしようもなく惹かれる。惹かれてしまう。ランキングには自分の名前が表示される。それが彼の自己顕示欲に拍車をかけていた。
「ついに四桁に達した!」
世界不幸ランキング実装当初の彼の順位は一億二千万。それから一年と少しの時間が経過した今、彼の順位はとうとう一億を切り、九千万台に達していた。
「でも、一位にはまだ足りない……」
最近、彼の順位は伸び悩んでいた。最初の方こそ一日に数十万以上伸びることもあったのだが、今はその勢いに陰りが見られる。
「もっと大きな不幸があれば……もっと、もっと……」
薄暗い部屋の中で、繰り返し何度も呟く。何度も、何度も。
◆◆◆
世界不幸ランキングについて未だ謎は多い。しかしながら何一つ解明されていない訳ではない。出現してからまず取り沙汰されたのは、このアプリが言うところの不幸の基準である。
客観的なのか、主観的なのか。統計や実験を元に議論が行われた結果、まず後者で間違いがないだろうと結論が下った。つまるところ、地獄にいようともそれを苦に感じていないなら不幸にカウントされないのだ。
明人の順位が伸び悩んでいる原因はまさにこれにある。不幸に執着した結果、不幸を不幸とも思えなくなってきていた。
(何か起きないだろうか……)
部屋にいても不幸はやってこない。明人は今、街へと繰り出していた。皮肉にも、引き篭っていた彼が家の外へ足を踏み出した理由は親の必死な説得でもなく、SNSに溢れる正論でもなく、ランキングが上がらないことからくる焦燥感だった。
不幸を求める彼の足は自然と人通りの少ない路地裏に向く。
「つっ……」
下を向いていて前を見ていなかった明人は、なにかとぶつかった衝撃で足がもつれ無様に地面に転がる。
「あん? おいてめぇ、俺にぶつかっといて謝りもしねえのかよ」
体格のいい男が凄んだ。明人は恐怖のあまり舌が回らない様子で狼狽する。それを見た男は口の端を釣り上げた。
「おっさん、お金ちょうだいよ。慰謝料ってやつ? 最近金なくてさぁ」
ぶつかる相手が悪かった。男はこの付近で顔の売れた無頼漢であった。
「……あ? お、い、何しや……」
前述した通り、
「ふ、不幸だ! 俺はこれから捕まってしまうだろう、これは不幸だ!」
血に塗れた手でスマートフォンを操作する。血走った目でランキングを確認した。
「なんで? なんで順位が下がってるんだっ!? 俺は不幸なのに、不幸なのに!」
止まれ、止まれと、うわ言のように繰り返す。無情にも、更新ボタンを押す度に彼の順位は下がり続けていた。
「そうだ、これならっ! が、ああぁ……」
自らの腕を切りつけた。順位は下がった。
「痛い、痛い……不幸なのに、不幸なのに……」
刃を腹に突き立てた。順位は下がった。喉を掻っ切った。順位は下がった。目を抉り抜いた。順位は下がった。順位は下がった。順位は下がった。
視力をなくした明人に見えることはなかったが、息絶える直前、彼の順位は最下位に至っていた。SNS上では並み居る著名人や富裕層を抑えて一瞬だけ最下位に輝いた謎の人物がいると噂になったが、その話題も一日もすれば途絶えた。
訳の分からない現象に混乱すること一日。
信憑性が高いと囁かれること一週間。
日常に溶け込むこと一年。
未だ謎に包まれているアプリケーションを世間が受け入れ始めた頃、その順位に一喜一憂する者たちが現れた。
中肉中背、無職、三十四歳、
「よし、今日は八二五も順位が上がった」
東京郊外にあるワンルームで、食い入るように液晶画面を見つめる。明人の声は、
その性質上、本来なら順位が上がることは不名誉なことである。世界不幸ランキングにおいて一位の人物は世界で一番不幸であり、最下位に輝いたならば全人類で最も幸福であることを意味するからだ。
日々変動するランキングで普通の人間は順位が上がることを憂い、下がれば安堵する。しかし明人は普通でなかった。
体育祭のリレーでは大事なところで転ぶ。センター試験の成績は振るわない。難儀した就職活動、やっとの思いで漕ぎ着けた勤め先は上司からパワハラを受けて退職。昼夜を問わず明け暮れたネットゲームでも神になれなかった。
挫折続きの人生が故に、一位や一番といった言葉の響きにどうしようもなく惹かれる。惹かれてしまう。ランキングには自分の名前が表示される。それが彼の自己顕示欲に拍車をかけていた。
「ついに四桁に達した!」
世界不幸ランキング実装当初の彼の順位は一億二千万。それから一年と少しの時間が経過した今、彼の順位はとうとう一億を切り、九千万台に達していた。
「でも、一位にはまだ足りない……」
最近、彼の順位は伸び悩んでいた。最初の方こそ一日に数十万以上伸びることもあったのだが、今はその勢いに陰りが見られる。
「もっと大きな不幸があれば……もっと、もっと……」
薄暗い部屋の中で、繰り返し何度も呟く。何度も、何度も。
◆◆◆
世界不幸ランキングについて未だ謎は多い。しかしながら何一つ解明されていない訳ではない。出現してからまず取り沙汰されたのは、このアプリが言うところの不幸の基準である。
客観的なのか、主観的なのか。統計や実験を元に議論が行われた結果、まず後者で間違いがないだろうと結論が下った。つまるところ、地獄にいようともそれを苦に感じていないなら不幸にカウントされないのだ。
明人の順位が伸び悩んでいる原因はまさにこれにある。不幸に執着した結果、不幸を不幸とも思えなくなってきていた。
(何か起きないだろうか……)
部屋にいても不幸はやってこない。明人は今、街へと繰り出していた。皮肉にも、引き篭っていた彼が家の外へ足を踏み出した理由は親の必死な説得でもなく、SNSに溢れる正論でもなく、ランキングが上がらないことからくる焦燥感だった。
不幸を求める彼の足は自然と人通りの少ない路地裏に向く。
「つっ……」
下を向いていて前を見ていなかった明人は、なにかとぶつかった衝撃で足がもつれ無様に地面に転がる。
「あん? おいてめぇ、俺にぶつかっといて謝りもしねえのかよ」
体格のいい男が凄んだ。明人は恐怖のあまり舌が回らない様子で狼狽する。それを見た男は口の端を釣り上げた。
「おっさん、お金ちょうだいよ。慰謝料ってやつ? 最近金なくてさぁ」
ぶつかる相手が悪かった。男はこの付近で顔の売れた無頼漢であった。
「……あ? お、い、何しや……」
前述した通り、
ぶつかる相手が悪かった
。この無頼漢が明人とぶつかってしまったことは不運と言わざるを得ない。明人は懐から取り出したナイフで男を一突き、暴れ回る男にもう一突き、数十回も刃を突き立てる頃には反応が消え失せていた。「ふ、不幸だ! 俺はこれから捕まってしまうだろう、これは不幸だ!」
血に塗れた手でスマートフォンを操作する。血走った目でランキングを確認した。
「なんで? なんで順位が下がってるんだっ!? 俺は不幸なのに、不幸なのに!」
止まれ、止まれと、うわ言のように繰り返す。無情にも、更新ボタンを押す度に彼の順位は下がり続けていた。
「そうだ、これならっ! が、ああぁ……」
自らの腕を切りつけた。順位は下がった。
「痛い、痛い……不幸なのに、不幸なのに……」
刃を腹に突き立てた。順位は下がった。喉を掻っ切った。順位は下がった。目を抉り抜いた。順位は下がった。順位は下がった。順位は下がった。
視力をなくした明人に見えることはなかったが、息絶える直前、彼の順位は最下位に至っていた。SNS上では並み居る著名人や富裕層を抑えて一瞬だけ最下位に輝いた謎の人物がいると噂になったが、その話題も一日もすれば途絶えた。