第1話

文字数 2,149文字

 私にとってお正月は戦争だ。なぜなら、親族が家に集まるこの時期に、どれだけお年玉をもらえるかが非常に大事になってくるからだ。その金額次第で、買えるオモチャや人形も変わるし、今年一年の過ごし方が決まってしまうと言っても過言ではない。
 家の大広間では朝から集まった親戚たちが、宴会を行っていた。皆がお酒で顔を赤らめ、テーブルにたくさん並べられた料理を口にしている。家族のことや仕事の愚痴を楽しそうに話していたが、私にとっては少しも興味がなかった。そろそろお年玉の話題になっても良いはずだ。私はお餅を食べながら、大人たちの一挙手一投足を注意深く見ていた。
「そうだ。美香ちゃんにお年玉をあげないとな」
 そう言ったのは、テーブルの向かいに座る俊郎おじさんだった。私はその言葉に心と体を臨戦態勢にする。
「あらやだ、毎年悪いわね、俊郎さん」
 お母さんが申し訳なさそうな表情で言う。しかし、お母さんも心の中では、ほくそ笑んでいるはずだ。娘のお年玉の金額がどのくらいかで、今年一年のお小遣いの金額にも影響してくるのだから。
「いやいや、良いんだよ。俺は美香ちゃんにお年玉をあげるために、この一年仕事を頑張ってきたからね」
 俊郎おじさんは四十歳を過ぎていたが、まだ結婚していなかった。しかも倹約家であるため、貯金をたくさん持っており、お年玉の金額もかなり期待できる。
「わあい。おじさん、ありがとう」
 私は無邪気な笑みを顔に貼り付けて、俊郎おじさんの元に走る。
「はい、どうぞ」
 俊郎おじさんからポチ袋を受け取る。目をこらすと、うっすら五千円札が入っているのが分かった。その瞬間、心の中で大きなガッツポーズをする。
「おじさん、ありがとう。これで本をいっぱい買うよ」
 私は笑顔のまま、そう言った。実際は本なんて買うはずないが、こう言っておけば大人たちは金額を上げようとするのを知っている。もうこの時点で、来年のお正月のための布石を打っておかなければいけないのだ。
「美香ちゃんはえらいねえ。小学生なのに本を買おうなんて。おじさんは感心しちゃうなあ」
 俊郎おじさんは優しい表情で、何度もうなずく。完全にだまされている俊郎おじさんがあまりに滑稽で、思わず吹き出しそうになってしまうが、私は必死にこらえる。
「じゃあ、おばさんもあげようかしら」
 そう言ったのは和子おばさんだ。私は和子おばさんからポチ袋を受け取る。中身はどうやら千円のようだった。
「おばさん、ありがとう」
 私は和子おばさんにも、同じように子供らしい笑顔を向ける。少額ではあるが、私にとっては千円も貴重だ。来年も継続してお年玉をもらうためにも、金額の大小にかかわらず、誰に対しても愛嬌を振りまいておかないければいけない。
「じゃあ、おじさんからはこれをあげようかな」
 浩介おじさんがにやにやと嫌らしい笑みをしながら私に近づいてくる。
「おじさんからはこれだ」
 浩介おじさんが鞄から出したのは、手のひら大のボールだった。
「お年玉だけに、玉、なんちって」
 がはははははは。浩介おじさんは下品な笑い声をあげる。私はボールを受け取り、「ありがとう」と、できるだけ感情を押し殺した声で言う。私は金輪際この人に愛嬌を振りまくのは止めようと心に決めた。
「やあ、遅れてすまなかったね」
 しわがれ声で部屋に入ってきたのは、定春おじいちゃんだ。その姿を見て、自分の心臓の音が大きくなるのが分かる。今日一番の大物だ。私はお母さんの方を向く。ぴたりと目が合い、私たちはうなずき合う。お母さんも同じことを思っているようだ。
「おじいちゃあん」
 私は定春おじいちゃんの方へと駆け出し、おじいさんの左足に抱きつく。
「おお、美香ちゃんか。大きくなったなあ」
 おじいさんが私の頭をなでる。私はとびっきりの笑顔を見せる。
「おじいちゃん、会いたかったよ。来てくれてありがとう」
「はははは。美香ちゃんにそう言われたら、おじいさんも幸せだな」
 おじいさんは皺だらけのの顔をほころばせる。
私にとって、おじいさんの幸せなどどうでも良かった。私にとってはおじいさんの年金からいくらのお金を搾り取ることができるか、それだけしか興味はなかった。
「早速だが、お年玉をあげようかな」
 その言葉に私の心がときめく。思わずたれてしまった涎を慌てて拭き取る。
「今年はこれだ」
 おじいさんが出したのは風呂敷に包まれた四角い物体だった。風呂敷の結び目をほどくと、そこにはたくさんの本があった。
「美香ちゃんは本が好きだって言ってたからね。たくさん買ってきたんだ。これが今年のお年玉だ。いくら美香ちゃんでも、これだけあれば今年で読み切れないんじゃないかな」
 はっはっはっは。おじいさんが声をあげて笑った。
私は笑顔を保とうと努力するが、引きつってしまう。何てことだろう。金額を引き上げるために使ってきた「本好き」という武器が、ここで仇となってしまうなんて、思いもしなかった。ミッション失敗。その言葉が胸の中に浮かぶ。おじいさんに言った「ありがとう」という言葉と共に、魂まで出て行ってしまいそうだった。
 私はまぶたを閉じ、心に誓う。これからは、正直に生きていこう。
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