第1話
文字数 1,998文字
「なんで、いい歳して探偵なんかやってるんですか?」
別に暴言のつもりはなかった。
実際、この場においては「真っ当な疑問」に分類される。とはいえさすがに不躾だった自覚はあるので、橘 は隣を歩く男の顔を窺った。笛木 という探偵の顔を。
「悪いかよ」
「や、すみません! でも、その」
大柄、強面、粗野な口調。笛木はそういう男だ。
刑事という立場上、こういう相手に怯んではいけない。咳払いをして橘は言葉を続けた。
「妖精案件の捜査を手伝えるのは、子どもだけのはずでしょう」
と同時、目的地に到着した。何の変哲もない真昼の住宅地。
「ここが現場です。あの、本当に笛木さんが『探偵』を務めるんで?」
「何か問題が?」
足を止めないまま笛木が首を傾げる。問題――はある、だろう。
自分がおかしいのかという気になって、橘は一つずつ確認を始めた。
「……妖精の多くはイタズラ好きなもんですから、ちょくちょく事件を起こします」
「そうだな」
「彼らは大人相手なら自由に姿を隠せるため、僕ら大人では妖精の関わる事件を捜査しきれない。しかし子どもは常に妖精を視認することが出来る」
「らしいな」
「だから、そういう捜査の際には子どもの協力が不可欠です」
幼ければ誰でもいいわけではない。見分ける目、聞き分ける耳、情報を正しく共有できる社会性等々。それらの素質を認められた子どもだけが協力者の資格を与えられる。そうした子を俗に「探偵」と呼ぶのだ。
不倫調査や人探しといった一般に想像される探偵業を営む大人も別に存在するが、こちらは今回の件に関係ない。
「でも笛木さんは大人じゃないですか……失礼ですが、おいくつで?」
うんざりしたような声で、35、との返答。見たままだ。
――橘がいわゆる妖精案件を担当するのは今日が初めてだった。上司も同僚も別件で忙しいというから、緊張しながら相棒となる探偵と一人で対面した。そしたら相手がこれだ。
名前以外ろくに教えられないまま現場に向かわされて、歩数とともに疑問が積み重なり、気付いたら口から出ていた。「なんで、いい歳して探偵なんか」。
そして今に至る。結局、なんで、という質問には回答なし。
「どんな事件だっけ?」
左右の家々を見やって笛木が問う。
「ここら一帯で、片方だけの靴が置かれるイタズラが多発しています。車の助手席に見知らぬハイヒールが置かれていて、奥さんに浮気を疑われたり。小学生の鞄に学校指定の上履きが一つ紛れ込んでいたから持ち主を探したけど、誰のものでもなかったり」
「ふうん。じゃレプラコーンか」
「れぷ……?」
「おい、有名どころの妖精だぞ。しっかりしろよ、刑事だろ」
顔をしかめた笛木が橘を睨む。かと思うと視線を横へと滑らせた。
「靴職人をやってる妖精だが、体が小さいから片足分しか靴を作れないんだ」
「はあ」
「顔は皺くちゃで、赤いジャケットと黒いブーツを身につけてる――こんな風に」
突然屈み込んだ笛木が「何か」を鷲掴みにした。
橘の目にはただ空気を掴んだようにしか見えない。その手を眼前まで持ち上げて、笛木は凄んでみせた。
「大人しかいないから油断したな? あーうるせえうるせえ! 詳しくは署で聞きますってやつだ! おい、籠 」
呆然とそれを眺めていた橘は我に返って、背中の鞄から鳥籠を取り出した。前面の扉を笛木に向けて開けると、彼が何かを放り込むような仕草をする。すぐさま独りでに扉が閉まり、またしても独りでに鍵がかかった。――籠が妖精を確保した際の反応だ。
間違いなくここに妖精がいる。
間違いなく、笛木には妖精が見えている。
「ったく、正味5分もかかってねえ。そら、帰るぞ」
「あ、は、はい!」
来た道を戻りながら、橘は何度も鳥籠と笛木を見比べた。鬱陶しそうに息をつき、笛木が渋々口を開く。
「取り替え子って知ってるか? いや愚問だった。レプラコーンも知らねえ奴に」
「すみませんね無知で」
「ヨーロッパの伝承でな。人間の子どもを気に入った妖精が、その子を攫う代わりに自分の子どもを置いていくんだ。目的は色々よ。醜い我が子を、見目のいい人間の子と取り替えたかったとかな」
そう言って、彼は自身の、厳つい顔を指した。
「俺がその取り替え子。つまり俺も妖精だよ。純血じゃないから半端者だが、おかげで妖精 の姿が見える」
もう、ずっと、呆然としっぱなしだ。
「本当に?」
何度目になるのだか、疑惑を問いにしてぶつける。
笛木は口角を上げて――
「嘘だよ。んなわけあるか」
「ちょっと! 信じかけたじゃないですか!」
ははは、と笑い声。橘は溜め息をついて、
――妖精の多くはイタズラ好き――
つい数分前の自分の言葉に、思考を一瞬停止させた。隣の男を見上げる。探偵は「いたずらっぽく」笑っている。
もう、何が真実で何が嘘か分からない。
この鳥籠の中身への取り調べをどう進めたものか。ひとまずは、それだけを考えることにした。
別に暴言のつもりはなかった。
実際、この場においては「真っ当な疑問」に分類される。とはいえさすがに不躾だった自覚はあるので、
「悪いかよ」
「や、すみません! でも、その」
大柄、強面、粗野な口調。笛木はそういう男だ。
刑事という立場上、こういう相手に怯んではいけない。咳払いをして橘は言葉を続けた。
「妖精案件の捜査を手伝えるのは、子どもだけのはずでしょう」
と同時、目的地に到着した。何の変哲もない真昼の住宅地。
「ここが現場です。あの、本当に笛木さんが『探偵』を務めるんで?」
「何か問題が?」
足を止めないまま笛木が首を傾げる。問題――はある、だろう。
自分がおかしいのかという気になって、橘は一つずつ確認を始めた。
「……妖精の多くはイタズラ好きなもんですから、ちょくちょく事件を起こします」
「そうだな」
「彼らは大人相手なら自由に姿を隠せるため、僕ら大人では妖精の関わる事件を捜査しきれない。しかし子どもは常に妖精を視認することが出来る」
「らしいな」
「だから、そういう捜査の際には子どもの協力が不可欠です」
幼ければ誰でもいいわけではない。見分ける目、聞き分ける耳、情報を正しく共有できる社会性等々。それらの素質を認められた子どもだけが協力者の資格を与えられる。そうした子を俗に「探偵」と呼ぶのだ。
不倫調査や人探しといった一般に想像される探偵業を営む大人も別に存在するが、こちらは今回の件に関係ない。
「でも笛木さんは大人じゃないですか……失礼ですが、おいくつで?」
うんざりしたような声で、35、との返答。見たままだ。
――橘がいわゆる妖精案件を担当するのは今日が初めてだった。上司も同僚も別件で忙しいというから、緊張しながら相棒となる探偵と一人で対面した。そしたら相手がこれだ。
名前以外ろくに教えられないまま現場に向かわされて、歩数とともに疑問が積み重なり、気付いたら口から出ていた。「なんで、いい歳して探偵なんか」。
そして今に至る。結局、なんで、という質問には回答なし。
「どんな事件だっけ?」
左右の家々を見やって笛木が問う。
「ここら一帯で、片方だけの靴が置かれるイタズラが多発しています。車の助手席に見知らぬハイヒールが置かれていて、奥さんに浮気を疑われたり。小学生の鞄に学校指定の上履きが一つ紛れ込んでいたから持ち主を探したけど、誰のものでもなかったり」
「ふうん。じゃレプラコーンか」
「れぷ……?」
「おい、有名どころの妖精だぞ。しっかりしろよ、刑事だろ」
顔をしかめた笛木が橘を睨む。かと思うと視線を横へと滑らせた。
「靴職人をやってる妖精だが、体が小さいから片足分しか靴を作れないんだ」
「はあ」
「顔は皺くちゃで、赤いジャケットと黒いブーツを身につけてる――こんな風に」
突然屈み込んだ笛木が「何か」を鷲掴みにした。
橘の目にはただ空気を掴んだようにしか見えない。その手を眼前まで持ち上げて、笛木は凄んでみせた。
「大人しかいないから油断したな? あーうるせえうるせえ! 詳しくは署で聞きますってやつだ! おい、
呆然とそれを眺めていた橘は我に返って、背中の鞄から鳥籠を取り出した。前面の扉を笛木に向けて開けると、彼が何かを放り込むような仕草をする。すぐさま独りでに扉が閉まり、またしても独りでに鍵がかかった。――籠が妖精を確保した際の反応だ。
間違いなくここに妖精がいる。
間違いなく、笛木には妖精が見えている。
「ったく、正味5分もかかってねえ。そら、帰るぞ」
「あ、は、はい!」
来た道を戻りながら、橘は何度も鳥籠と笛木を見比べた。鬱陶しそうに息をつき、笛木が渋々口を開く。
「取り替え子って知ってるか? いや愚問だった。レプラコーンも知らねえ奴に」
「すみませんね無知で」
「ヨーロッパの伝承でな。人間の子どもを気に入った妖精が、その子を攫う代わりに自分の子どもを置いていくんだ。目的は色々よ。醜い我が子を、見目のいい人間の子と取り替えたかったとかな」
そう言って、彼は自身の、厳つい顔を指した。
「俺がその取り替え子。つまり俺も妖精だよ。純血じゃないから半端者だが、おかげで
もう、ずっと、呆然としっぱなしだ。
「本当に?」
何度目になるのだか、疑惑を問いにしてぶつける。
笛木は口角を上げて――
「嘘だよ。んなわけあるか」
「ちょっと! 信じかけたじゃないですか!」
ははは、と笑い声。橘は溜め息をついて、
――妖精の多くはイタズラ好き――
つい数分前の自分の言葉に、思考を一瞬停止させた。隣の男を見上げる。探偵は「いたずらっぽく」笑っている。
もう、何が真実で何が嘘か分からない。
この鳥籠の中身への取り調べをどう進めたものか。ひとまずは、それだけを考えることにした。