第三泡【熒】

文字数 10,367文字


水面のうたかた、余すことなく
第三泡【熒】


  第三泡【熒】



























 「竜崎さんは、どこか行きたい場所はないんですか?」

 「無いですね」

 きっぱりとそう言った竜崎は、それよりも、と続けてこう言う。

 「高本さんの身体のこともありますから、もう帰りましょう」

 エンジンをかけて帰り道を進もうとしたのだが、それに待ったをかけるようにして、信彦が言う。

 「最後に私、やりたいことがあるんです」

 どうやら、信彦は陶芸をやりたいようだ。

 真治の持ってきていた雑誌をみたから、というわけではなく、以前から興味はあったものの、やる機会が無かったそうで、折角ここまで来たのだからと思ったらしい。

 近くにそんな場所があるのかと調べてみると、車で1時間程度の場所に、陶芸体験が出来る教室があることが分かった。

 その場所に向かって車を走らせる。

 「体験ですね、こちらへどうぞ」

 中に案内されると、3人は横に並んで座り、用意されたそれを眺める。

 先生の指示に従って轆轤を回し始め、自分が作りたいものを形作って行くわけだが、竜崎はこういう作業が不得意だ。

 信彦は以前から作りたいと思っていたからある程度想像は出来ているし、真治はとにかく楽しそうにいじっていた。

 竜崎は自分の部屋を思いだし、何か必要なものはあるか考えてみるが特に無かったため、適当にコップでも作るか、という結論に至った。

 「真治くんは何を作っているんですか?」

 「コップです!簡単そうなんで!」

 「正直でいいですねぇ。竜崎さんは何を作っているんですか?」

 「・・・コップです」

 「実用的でいいですねぇ」

 何度か失敗をしたものの、なんとか形を成したそれを窯で焼く作業へと移る。

 焼き上がりまでは1カ月ほどかかるため、直接受け取りにくるか、もしくは、多少お金はかかるが配達することも出来るとのことだったので、配達してもらうことにした。

 何処に送ってほしいか、住所を記入する。

 それから、今日が最後の3人での晩餐ということで、何を食べるかという話になった。

 「私が出しますので、好きなものを食べましょう」

 その時、急に竜崎が車を停めた。

 機嫌でも悪くなったのだろうかと思っていると、そうではないらしい。

 外に出て車を確認すると、タイヤが少し凹んでいた。

 「そうだ。休みの間に新しいタイヤ買おうと思ってたんだ・・・」

 そんな大事なことを今思いだすなよと思ったが、真治はスペアはあるのか聞くと、竜崎は頷く。

 すると、真治はスペアタイヤと器具を取り出し、手際よくちゃっちゃかとタイヤを交換し始める。

 「素人だろ」

 「素人だけどこんくらい出来ますよ!俺昔っからこういうのは好きなんで!」

 まだ竜崎に対していらつきをもっている真治は、多少声を荒げてしまったものの、手を止めることは無かった。

 こうして無事に交換を終えると、何度か試し乗りをしたあと、再び3人を乗せた車は店に向かって走りだす。

 「あ、今のうちに今日泊まる宿を」

 そう言うと、信彦が携帯を操作する真治の手を止める。

 「今日は、野宿にしましょう」

 「野宿!?信さん、何言ってるんです!?」

 「テントがあります。毛布もあります。それで寝ましょう」







 食事を終えると、いよいよ野宿の準備を始める。

 どうして信彦が野宿などと言いだしたのかは分からないが、テントは簡易的に作れるもので、あっという間に出来上がる。

 毛布も買ってあったため、あとはそれで身体を包んで眠るだけだ。

 テントの上の部分は透明になっていて、身体に毛布を包ませて仰向けになると、そこから星空が見える。

 しばらく黙ったままの3人だったが、ふと、真治が口を開く。

 「なんで、金があるのにつまらないって顔してるんです?」

 「・・・それ、俺に言ってるのか」

 「つまらない顔してるのなんて竜さん以外いないでしょ」

 そういう言い方もどうかと思ったが、まだ竜崎との色々あったこのもやもやが消えていない真治は、少し棘のある言い方を選んだ。

 なんという星かなど分からないが、そこにあるだけで輝いているというのは、羨ましいような、妬ましいような。

 噤んでいた唇が、微かに動き出す。

 「人付き合いは苦手だった。今もだ。兄貴は20代で結婚して子供が出来て、妹は結婚はしてないが婚約者がいる。別にそれが羨ましいわけでもないし、そこが終着点だとも思って無い」

 昔から頭の回転が速い方で、大人の考えていることがすぐに分かった。

 だからなのか、可愛げがないと言われた。

 目立たないようにと、国立でもない普通レベルの大学に入って、最初は不動産関係の仕事に就いた。

 仕事も効率よく出来るし、残業をする方ではないのだが、対人関係となると別問題で、愛想が良いわけでもなく、接客は皆無だった。

 車の営業はそこで当然苦労もしているが、格別成績が悪いわけでもないため、気にしていないだけだ。

 本来は別の、裏方のような仕事が向いているんだろう。

 無愛想、近寄りがたい、そういう印象なのかもしれないが、だから何だというのが竜崎の考えだった。

 「仕事はしている。やりがいがあるかはわからないが、それなりに給料ももらってる。でも、趣味は映画くらいだから、そんなに金を使う機会もない。」

 空を見たままそう言った竜崎に、今度は真治が話す。

 「俺は金無し!バイトしてるけど、バンドの必要経費とかアパート代とか税金で全部無くなる。金が欲しい!金があればそれだけで生きていける!でも今の状況も楽しくないわけじゃない」

 それに続くように、信彦が話す。

 「真治くんは、友達が沢山いそうですね」

 「おう!何かあれば、助けてくれる友達はいるけど、それは最終手段っていうか、金とか借りるのはダメだと思ってるし、バイトのシフト変わってくれとか、頼むことはそれくらいしかないですけどね」

 「折角国立の大学出てるのに、なんでバンドマンなんだよ」

 「夢なんだからいいじゃないですか!夢もなく生きてるなんて、俺には耐えられないですからね!」

 「夢があっても金が無くちゃな」

 「金があっても夢がないと」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 シーン、となってしまったテントの中で、楽しそうに笑う声が響く。

 信彦がひと笑い終えると、自分の呼吸を整えながら、ゆっくりと話し始める。

 「生きていく上で、お金は最低条件として必要ですね。それはもちろんです。お金が無ければ、部屋1つ借りることも、おにぎり1つ買う事もできませんからね」

 必要度をピラミッドで言うのなら、頂点にあるのがお金であって、それに次いで衣食住が存在している。

 信彦は両手をうーんと頭の上に持っていくと、そこで深呼吸をし、腕をまた元の位置に戻した。

 「しかし、この歳まで生きている私でさえもね、まだ、わからないんですよ。本当にお金さえあればいいのかどうか」

 生きて行くために必要なお金を稼ぐために働いて、どれだけ働いてもお金は足りなくて、心も身体も疲れ果てて、それでも家族のためにと頑張ってきた。

 「仕事が嫌いだったわけじゃありませんが、私に向いていたのか、やりがいがあったのか、正直、今でもまだわかりません。ただあの頃は、家族だけは守らねばと、ただその一心だったんです」

 定年退職後も、少しばかり違う仕事をしていがものの、奥さんが亡くなって気力を失ってしまっていた。

 家族との時間が取れていただろうか。

 自分の妻を幸せに出来ていたのだろうか。

 「答えなんてね、私もまだ出ていないんですよ」

 信彦の言葉が、宙に浮くこと無く、そのまま重みを持って竜崎と真治に降り注ぐ。

 「家族のために働いてきたのに、今となっては家族は遠くにいて、妻はいない。これから、私は一体誰の為に生きて行けばいいのか、わからないんです」

 少し寒くなってきて、何もかけていなかった真治は、身体の横に置いておいた毛布を、自分の身体にかける。

 「竜崎さんのように、お金があることはとても幸せなことです。真治くんのように、お金がなくても毎日夢に向かっていることも、とても幸せなことです」

 一方で、つまらない仕事を、つまらない顔で、つまらないと思いながら続けていくことも、お金があれば前に進める夢を、お金があれば豊かになる生活を、お金があればと思いながら働くことも、どちらも辛いことだと。

 何を基準に置いて、何を糧にして、誰の為に何の為にと考えながら生きていくことも、同じように退屈であって苦痛である。

 「お金があって楽しい。それが何よりです。しかしそれが難しい。何より難しい。思った通りの人生を歩める人なんて、そうそういません。だから、みな不満を持ちながら生きてしまうのです」

 「信さんも不満あるんですか?」

 真治の問いかけに、信彦は少し悩む。

 「そうですねぇ。当時は不満があったかもしれませんが、この歳です。もう、忘れてしまいましたねぇ」

 「俺もそういう歳の取り方したいです」

 大人しく信彦の話を聞いていた竜崎に、信彦が優しく声をかける。

 「竜崎さんは、どういったことが不満ですか?」

 ふう、と軽く息を吐くと、竜崎は目を瞑ってその上に腕を乗せて目元を覆う。

 「何が不満なのか、わかりません」

 「・・・・・・」

 「ただ、現状、今の仕事を辞めるとなると、俺の歳ではもう転職自体が厳しいこともあって、辞めるわけにはいかないと思ってなんとか続けています。自分1人のためだけに頑張るのは、はっきりいって限界があります」

 「竜さん、やっぱり結婚したいんですね」

 「そういうわけじゃない」

 「だって、そういうことじゃないですか。自分以外の人のためにってことは、そういうことでしょう?ね?信さん?」

 信彦に同意を求めるように聞けば、信彦は小さく笑うだけだった。

 ね?ね?と真治がしつこく聞いてくるため、竜崎は面倒になって身体を横に向ける。

 その状態で腕組をするようにしていると、背中からまだ真治の声が聞こえる。

 「でもそうですよね。自分のためだけに頑張れる人って、なんか悲しいですもんね」

 「お金があるにこしたことはありませんけど、それだけでもダメだと思いますね」

 「深いなー。なんで生きてるだけでこんなに金がかかるんだろう・・・」

 「人生、生まれたときからずっと学び続け、それが終わることはありません。一体どうして、何を学ぶ為に私達はいるのでしょうねぇ」

 「・・・・・・深いいいいいいい!!信さん深いですうううううう!!!」

 うるさいと注意しようとした竜崎だったが、声を出そうとする前に、真治がまた話始めたために何も言えなくなってしまった。

 「信さんが一番幸せだなあって思う事ってなんですか?」

 「幸せですか。難しいですねぇ」

 しばらく考え込んだあと、信彦は寒さを感じたのか、身体にかけていた毛布をさらに自分の顔の近くまで引き上げる。

 それを見ていた真治は、自分の身体にかけていた毛布の半分ほどを信彦の身体の上にかけると、信彦は真治に御礼を言う。

 右半分を下にしていた竜崎は、身体の右側は少し痛みだし、反対側を向きたい気持ちではあったが、信彦の方をみて寝るのもどうかと思い、仕方なくそのままでいた。

 「本来であれば、ささいなことにも幸せを感じなければいけないのでしょうね。でも私は欲深い人間ですから、幸せだと感じたことは、子供が生まれた時や、孫が生まれた時でしょうかねぇ」

 「子供かぁ・・・。女の人と男じゃあ、感激の度合いが違うって聞いたことあるけど、どうなんですかね?」

 「それは個人差もあるでしょうね。女性は自分のお腹の中に命を宿し、それを1年近くも守り通し、自分の命をかけて赤ちゃんを生むわけですから、その大変さは私達男性には分かり得ない部分でしょうねぇ」

 「そっかぁ。やっぱり大変なんだなぁ。俺、時々女の方が色々優遇されるし、いいなーって思ってたんですけど、そういうの聞くと男で良かったなーって思っちゃいます」

 「女性に生まれようと男性に生まれようと、大変なことはあるでしょうねぇ。それをお互いに理解し合えば、今よりは少しかもしれませんが、心穏やかに過ごせるでしょうねぇ。そうなれば、ちょっとしたことで幸せと感じるかもしれません」

 「だってさ、竜さん。竜さん映画観るって言ってたけど、何観るんです?もしかして、顔に似合わずラブロマンスとか観るんですか!?」

 きゃー、と、わざとらしく声を出す真治に対して、竜崎は呆れたようにため息を吐く。

 横を向いたままでいると、信彦が「身体痛くないですか?」と言ってきたため、痛くないとも言えず、もぞもぞと動いて仰向けになる。

 「推理ものとかアクションだ」

 そうぶっきらぼうに答えると、真治が身体を横にして、上半身だけを起こして腕で身体を支えながら、竜崎の顔を覗きこむようにする。

 「じゃあ、先月公開した『鬼と子』っていう逃亡アクションみたいなやつは!?観た!?あれすっげ面白かった!」

 「・・・観た」

 「どういう内容なんですか?」

 身体を再び仰向けにした真治は、その内容をとても抽象的に説明していたのだが、その説明では信彦は分からなかったらしく、竜崎は代わりにあらすじを話す。

 それがとてもわかりやすくて、信彦はうんうんと相槌を打ちながら聞いていた。

 真治もぽかーんとしながらそれを聞いており、竜崎が話し終えると、「そうそう!」と竜崎のことを称賛していた。

 「竜さん、今度一緒に映画観に行きましょうよ!信さんも!」

 「いいですねぇ。楽しそうで」

 「お前五月蠅そうだな」

 「俺静かに観るタイプですよ!映画中はポップコーン片手に大人しくしてます!」

 「美味しいですよねぇ。私はシンプルに塩味が好きです」

 「王道ですね!俺も塩が好きです!甘いポップコーンは苦手です!竜さんは?」

 「俺は食わない派だ」

 「そっちかー!!!」

 などというどうでもいい話をしばらく続けたあと、3人はようやく眠りにつく。







 翌朝、いつものように真治が一番最後に起きると、さっさと起きろと竜崎に水を渡される。

 それをぐびぐび飲んだあと、水で濡らしたタオルで顔を拭き、軽く頭もわしゃわしゃとかきまわす。

 信彦にも挨拶をして車に乗り込むと、家に帰る方向に走らせる。

 いつもであれば、真治が1人でぺちゃくちゃと喋っているところなのだが、今日はなぜか静かにしている。

 どうしたのだろうかと思い竜崎がバックミラーを覗いてみると、先程起きたばかりだというのに信彦の肩に寄りかかって寝ていた。

 やれやれと思い、赤信号になったのでブレーキを踏み、車を止める。

 青になるのを待っていると、後部座席から声がする。

 「竜崎さん、この度は本当に、ありがとうございました」

 「・・・別に、何もしていませんよ」

 「いえいえ、こうして車を運転してくださって、疲れているでしょうに」

 「大したことをしているわけじゃありません」

 謙遜しているのか、それとも本当にそう思っているのかは、竜崎本人にしかわからないが、信彦は隣でぐっすり寝ている真治の頭を撫でながら言う。

 「竜崎さんが真治くんを叱ったことは、間違っていません。あなたの堅実さや、正義感が伝わってきました。一方で、真治くんからは、この子の優しさや素直さが伝わってきました」

 きっと他人には分かり得ないだろう、理解などされないだろう、それでいいと思っていた自分の性格。

 それを受け入れてもらえたような気がして、竜崎はハンドルを握る手に力を込める。

 「あの時、あの公園に行っていなかったら、私はあなた方に出会えていませんでした。それがこうして、楽しい旅になるなんて、思ってもいませんでした」

 「・・・楽しかったんですか」

 「ええ、とても。しかし、御迷惑をかけてしまって申し訳ないと思っています。真治くんの善意を踏みにじってしまったような気がしましたし、竜崎さんの責任感もないがしろにしてしまいました」

 「・・・・・・」

 特別気にしていないし、気にするほどの歳でもないのだが、信彦としては心になにか引っ掛かっていたようだ。

 窓の外を眺めながら、目を細める。

 「本当に、とても、楽しかったです。お2人には、心から感謝しています」

 徐々に暑くなってくる外の気温に、竜崎はエアコンのスイッチを入れ始める。

 窓から差し込む太陽の光が強くなってきて、肌にあたるそれが少しだけヒリヒリするような感覚にもなる。

 あまり車が通っていない道を走りながら、竜崎は一呼吸おき、口を開く。

 「高本さんがいなかったら、とっくにそいつを置いて、1人で帰っていました」

 人としてどうかと思ってしまう行動かもしれないが、竜崎としては、そういう気持ちがあった、という強い意志表現であった。

 それを聞くと、信彦はそれを薄々感じていたのか、困ったように小さく笑っていた。

 「俺の方こそ、ありがとうございました」

 その竜崎の言葉に、信彦が後部座席で頭を下げる。

 その後、着いたら起こすから寝ていていいと竜崎が信彦に伝えると、信彦は御礼を言いながら目を瞑る。

 静かになった車内で、竜崎は真治がセットしていたCDをかけると、ボリュームを小さくした。

 自分に合う曲かと聞かれると、決してそういうわけではないのだが、静かなまま運転するにはあまりに気持ちが良い太陽光で、何か刺激がないと寝てしまいそうだ。

 途中で休憩を挟みながら運転を続け、何時間か後に公園近くの駐車場に到着した。

 しばらくそのままでいたが、2人そろってまったく起きる気配が無かったため、何度かそれぞれの名前を呼ぶ。

 ようやく起きた真治は、至極不機嫌そうに顔を顰めており、目は開けているのかわからないくらい細めていた。

 信彦も起きて身体を伸ばすと、真治は徐々に覚醒していく。

 「竜さんありがとう!これ!お土産!」

 「お土産?」

 一緒に出かけていたというのにお土産とは何事だと思ったのと同時に、いつの間にそんなものを買っていたんだと疑問に思う。

 真治が竜崎に手渡したものは、風鈴だった。

 夏にふさわしく、涼しげな音色で風を報せてくれるその風物詩に、竜崎はどこに飾ればいいんだろうと考える。

 模様は違うが、同じ形の風鈴を信彦にも渡して車から降りようとすると、信彦に呼び止められたため、片足だけ投げだした状態で制止する。

 「私からも、お土産です」

 「わー!嬉しい!ありがとうございます!」

 信彦からのお土産は、お菓子だった。

 それも受け取った竜崎は、なんだか自分だけ何も買っていないことに、疎外感だったり申し訳なさがあったのだが、車を運転してくれていた御礼だと言われたため、それで納得することにした。

 ニコニコと満面の笑みでそれを受け取った真治は、信彦と竜崎に御礼を言って車から降りると、何か思いだしたように信彦の方を観る。

 「信さん!ちゃんと病院行ってくださいよ!俺が無理にでも連れて行きますからね!」

 「はいはい。ちゃんと行ってきますよ」

 大きく手を振りながら真治が去って行くと、信彦も降りる準備をする。

 「では竜崎さん、お世話になりました。疲れているでしょうから、気をつけて帰ってくださいね」

 「高本さんも、途中で倒れたりしないでくださいね」

 「ええ、そうですね」

 ドアを閉めた信彦は、出発のときよりもやや増えた荷物を抱えて歩いて行く。

 その背中が曲がり角を曲がり切るまで待つと、竜崎は再び車を走らせ、自分の家へと向かった。

 久しぶりの自分の部屋は、なんだか殺風景に見えた。

 貰ったお菓子と風鈴を一度テーブルに置くと、洗濯物をまとめて洗濯機に入れ回し始め、窓の近くに風鈴を飾ってみた。

 すぐにチリン、と綺麗に響く音を奏でるそれに、「ああ、夏だなぁ」なんて、当たり前のことを感じたりもする。

 疲れているのだと思うが、嫌な疲れではなく、信彦のお菓子をつまみながらぼーっとしていた。







 仕事の毎日がまた始まり、同じような朝を迎える。

 あれから1カ月ほど経って、何か大きな変化があったかと聞かれれば、それほど大きな変化はないだろう。

 竜崎が休日に買いだしに出かけていると、見覚えのある顔が近づいてきた。

 「竜さん!久しぶりですねえ!!元気でしたか!?」

 「・・・・・・」

 「え!?どういうリアクションですか!?覚えてないんですか!?俺ですよ!」

 「覚えてる」

 「良かった―!忘れられてたらマジで悲しいですもん!!」

 スーパーの近くで会うと思っていなかった男、真治と会って、竜崎はなんで話しかけられたんだろうと思う。

 真治は、聞いてもいないのに最近はこうだああだと話しているのを、竜崎は相槌を打つことも無く聞いていた。

 「あ!」と急に真治が声をあげると、思わず竜崎はビクッと肩を震わせる。

 「これこれ!ほら、陶芸教室で作ったコップ!これを竜さんたちに渡そうと思ったんですよね!でも家知らねーなって思ってたんですけど、会えてよかったー!!」

 少し歪な形をしたそれは、コップというにはあまりに容量が少なそうだ。

 「なんか灰皿みたいだな」

 「そうなんですよね。やっぱり上手くは行かないですよね!職人ってすごいですね!使ってくださいね!信さんは住所聞いたから、これから届けに行くんです!」

 「そうか」

 「ちゃんと病院にも行ってるみたいですよ!ああ、あの時撮った写真あるんで、竜さんにも送りますよ!」

 そう言って、真治は携帯を取り出すと、竜崎に連絡先を教えてくれと言う。

 写真なんて送らなくていいと言った竜崎だが、真治があまりにしつこく頼んでくるものだから、最終的に竜崎が折れる。

 連絡先を教えてもらった真治は、早速撮った沢山の写真を送りつける。

 鳴り続ける、写真が届いたことを報せる音に、竜崎は開くのを躊躇う。

 その時、ふと思いだした。

 「そういや、お前のCD預かってるぞ」

 「え?ああ!忘れてました!」

 店に入る前に一旦車に戻ると、真治のCDを本人に返す。

 それと同時に、受け取ったままずっとそこに入れっぱなしにしていた、自分で作ったコップを渡す。

 「竜さんが作ったやつですか?」

 まじまじとそれを見ていた真治だが、急に吹きだして笑う。

 それに対して竜崎は眉間にシワを寄せると、真治はそれに気付きながらも、コップと竜崎を交互に見て笑い続ける。

 「竜さん、不器用なんですね!」

 「お前が言うな」

 「ありがとうございます!」

 コップというにはあまりにも形が歪んでいて、どこを持てばよいのかわからないようなものだったが、真治は笑いながらもそれを受け取った。

 CDのことも御礼を言うと、信彦のもとに一緒に行かないかと誘われたが、断った。

 それからすぐに、信彦にお菓子を買ってから行くんだと、真治は店に入ろうとする。

 「岡部」

 足を止めた真治が竜崎の方を見ると、表情を変えないまま、こう言われた。

 「タイヤ、ありがとな」

 「タイヤ?・・・ああ!タイヤね!また交換してほしいときは連絡してくださいね!んでもって、また何処か行きましょうね!3人で!」

 「あと・・・がんばれよ」

 「言われなくても頑張りますよ!!」

 そう言うと、真治はさっさと店に入ってしまった。

 それから信彦の家に向かった真治は、竜崎に会ったことや、その不器用なコップのことなどを話したそうだ。

 信彦は笑いながらそれを聞いていて、真治が作ったコップと竜崎が作ったコップにお茶を淹れて飲んだ。

 信彦は信彦で、仏壇に供える仏飯器を作ったようで、綺麗にそこに飾ってある。

 「私もお2人に渡せるものなら良かったですね」

 「そんなことないですよ!奥さん喜んでますね!てか、信さん器用なんですね!めちゃくちゃ上手いじゃないですか!」

 お茶菓子を食べながら時間を過ごし、また夜のバイトへと真治は向かう。

 何も見えない、何も分からない状況だとしても、何も気付かず、何も見ないよりはマシだろう。

 真治が去っていったあと、信彦は真治からもらった風鈴を早速飾る。

 「ああ、綺麗な音ですねぇ」

 1人となってしまっても、繋がりが薄れてしまっても、自分が大事な人たちのために頑張ってきたという事実だけが、信彦をそこに存在させている。

 信彦にとって、家族が何より大事なもの。

 バイト場に到着して真治は、新しく入ってきた子に仕事を教えながらも、自分の仕事をてきぱきこなしていく。

 もうちょっと時給を上げてもらえると助かるのもまた事実ではあるが、これまで築き上げてきた信頼関係をそんなことで壊したくはない。

 バイトが終われば、その足でバンド仲間と会って歌を作って行く。

 真治にとって、夢が何より大事なもの。

 仕事は出来るが、人付き合いは相変わらず苦手なまま。

 それでも、少しずつ変わって行く自分に気付いていないわけではなく、以前よりも表情が柔らかくなったとも言われた。

 未だに何を目標にして頑張れば良いのかなど分からないが、とにかく業務をこなす。

 竜崎にとって、今が何より大事なもの。







 ピロリン・・・

 ピロリン・・・

 ピロリン・・・

 ピロリン・・・

 ピロピッ・・・

 携帯に送られ続けている写真に、竜崎は目を細め、ため息を吐くしか出来なかった。

 「・・・あいつ、何枚撮ったんだよ」

 そこに写っている自分の顔は、今の自分よりずっとしかめっ面なのだろう。

 それを確かめることはしないまま、竜崎は携帯をしまってお昼を買いに出かける。

 そして、ふと思う。

 空の青さが気持ちいいなんて、いつぶりに感じただろうと。

 だからこそ、2人に感謝しようとしたその時、またしても機械的な音が竜崎の耳に届き、顔を顰めてしまう。

 ピロリン・・・



 「多い・・・・・・」



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