フリョウヒン

文字数 3,411文字

同じ形、同じ色。綺麗な陳列、綺麗なパッケージ。
わたしみたい。となつみは苦笑いする。
本当は、このアクセサリーたちもひとつひとつが別の顔を持っている。けれど、飛び抜けて「なにか」があってはいけない。
それは、不良品でしかない。
優劣なんて関係ない。どっちにしろ、他と違うって事実だけが残る。
そう思うと、不愉快が心を鳴らす。たまらなくなって、ショーウィンドウから視線を外す。
ビル風は、彼女のピアスを揺らす。大きな輪が頰にぶつかる。
(ここにもなかったな。)
左の手首を触りながら、なつみはため息を落とす。
彼女の手首と同居するには、難しいアクセサリーたちばかりのようだ。この街には。
また明日、探しに来てみよう。諦めることができない気持ちを確かめて、駅に向かって歩き出す。
この街の二十時は、この国のどこよりも騒がしい場所のひとつだ。きっと。巨大スクリーンの前の交差点で大勢の中のひとりになりながら、彼女はぼんやり対岸を見る。
(二十歳と十九歳の狭間みたい。)
ふと、そう思った。
この巨大な交差点で行き交うたくさんの人たちは、一年のうちに出会う情報量そのもので、すれ違いは掴み取ることができない様を表しているようだった。
そのうち、年を重ねるたびに行き交う人数は減っていってしまって、出会う情報も少なくなってしまう。すれ違う人数は変わらないのに。
そう思うと、ゾッとした。知らないうちに、わたしはわたしの可能性を逃してしまっているのではないかと、守銭奴のような卑しい気持ちになった。
左の手首を握りしめて、ひとつ信号を見送った。
しばらくは渡る気力も出なさそうだと、なつみは交差点の端の甘栗屋の看板に身を寄せた。空から声が降ってきた。見知らぬ女性シンガーが大画面越しに話しかけてきた。
「ねえ。その傷どうしたの?」
手首をさらに強く握りしめて、なつみはその問いに応えようと考えを巡らせる。
(一ヶ月前。)
初めて手首を染めたのはそれくらいだったと思う。
別に家庭環境に問題があるわけでも、仕事に文句があるわけでも、人間関係が険悪なわけでもない。親はそれなりに優しいし、仕事は楽しい。友達も多い方だと思っている。
それでも、唐突に右手は左の手首をなぞった。前触れはなかったと思う。
眉毛を整える時に使うような、安全対策がされているソレだったからだろうか。思ったよりも赤くも痛くも傷にもならず、ぷつぷつと、点のように赤い丸が手首を染めた。
(時間の概念みたいだった。)
時間というものは、線やひもで表すことができるらしい。何かの本で読んだ。その中で、一番の時代遅れだという概念になつみは惹かれた。点のように、一瞬の集合体が続いている景色の方が綺麗にな気がした。
それからこのぷつぷつを見るために、なつみの右手は左の手首をなぞった。
時折みえる手首を、やはり周りは心配する。気持ちはありがたいが、すこしだけ面倒くさい。だってそこに、周りが求める理由などはない。
それからだ。この手首と同居ができるアクセサリーを探し出したのは。
(それに。)
と彼女は付け加える。
きっと、自分は他人から見れば可愛い方だ。美人の平均値で、仕事も平均値かそれ以上でこなす。きっと、求められている自分をきちんと演じている。そう思う。
そんな完璧なわたしにはきっと、今の手首は求められていない。そのことを知っているからこそ、ふさわしいアクセサリーを探さなければならないのである。
「探し物はなんですか?」
切り替わった画面から、今度はサングラスの男性が話しかける。
なつみはすこしむっとした。何故だかはわからない。
とりあえず、直近の探し物はこの手首と同居ができるアクセサリーだ。
とはいえ、モノと創造に溢れているこの街で見つけることは容易いだろうとおもっていたから、こんなに時間を要するとは思わなかった。
(なぜかしら。前はなんでもすぐ見つかったのよ。)
なつみは再び考える。
正確には、なんでも与えられていた。
手首を染めるまでは、大体のものは似合っていたし、着こなす自信もあった。
一本。自分の身体にひとつ線が刻まれただけなのに、その存在はまぎれもない変化だった。それからずっと、彼女はたったひとつを探し物にしている。
(違和感があるのよ。)
目の前の女性の手首で煌めく、ブランド品のブレスレットを見て思う。
少し前までは、ブランド品が好きだったし憧れていた。
友人達が、SNSで成人祝いの品としてアップする、高級ブランドの時計やブレスレットが羨ましかった。
けれどその価値観は、今となっては周波数の合わないラジオの雑音ような違和感でしかなくなってしまった。
「ハッピーバースデートゥーユー。」
今度は、四人組の男性バンドが話しかける。
(もうすぐ。)
わたしは、あちら側にいかなきゃいけない。対岸を見つめながら焦りが身を焦がす。逃れる術などはない。なつみはそれを知っている。
(わたしはこのまま、綺麗なまま…同じまま生きてはいけないのかしら。)
不安な気持ちを抱えて、深くそう思う。
わけもわからず担ぎ出された十代というステージを降りて、二十代というステージにあがる。このステージは、自分の意思と足で踏み出さねばならないのだ。わけもわからず、なんて言い訳は通用しない。
責任、という言葉が手首を染めたのではないかとなつみは考える。
人生を失敗してはいけない。
何故、と問われたらそれは責任だと答える。
産んでもらって育ててもらって、大人になった。その過程で何人何十人何千人が関わっているのか考えた時、責任を持ってわたしはわたしの人生を成功させなくちゃいけない。
けれど、逆算しようにも目的や終着点の間のたくさんの想像できない壁が、恐れとなって彼女の足を止める。
失敗しないためには、ショーウィンドウのアクセサリーのように、「なにか」がない綺麗な人間でいつづけなきゃいけない。
(それでいいのかしら。)
勿体無い気もする。普通のまま暮らすことができる幸せは、運がよかっただけに過ぎない。その運に甘んじて、そこで立ち止まったまま「わたし」という自己を承認してもらわないまま死んでしまうことは、責任放棄ではないのか。
それでも、リスクを冒して飛び抜けることは、恐れだ。
そんな気持ちが、銀色の刃に乗って、手首を染めたのではないか。
消えない目印のように。真っ赤に。
「失敗してもいいじゃない。」
大画面からなつみが問いかける。
きっとこの画面は、なつみにしか見えていない。それでも、反論せずにはいられない。口数が多いのは不安が多いからだ。
「でも、後がないだなんて状況はごめんだわ。」
周りの目を気にして小さい声で反論する。
「あら、そもそも後になんて戻れないじゃない?人間も時間も。」
大画面のなつみは笑う。
「だったら、一回くらい飛び抜けて「なにか」あってもいいんじゃない?墓場に持って行く頃には、みんなあんたなんて忘れてるわよ。」
そうか。なつみは思った。
ずっと思っていたこの違和感は、それだったのかと。
(忘れたくないのだわ。一瞬たりとも。このわたしという時間と存在を。)
大画面には、再び女性シンガーが現れて同じ問いを口ずさんでいる。
なつみは、片方のピアスを外した。
大きめの輪のそれは、彼女の手首くらいは簡単に通せた。
彼女は、少し力を加えてゆがませる。真円は歪な形になった。まるで雨粒の後のように。それは、あの手首の赤いぷつぷつを指で潰した時のようだった。
(あーあ。もう不良品ね。)
彼女は笑う。けれど、銀の歪んだブレスレットは今までみたなによりも、手首と彼女にぴったりのたったひとつだった。
ピアスは不揃いで、ブレスレットは歪な形。きっと一生同じものはできない。
ひとつひとつが不良品のたったひとつ。
それでもなつみの心は生きていた。対岸を渡ろうとするほどに。
(これでいいのよ。)
全てを飲み込んで、少しだけいびつになった「わたし」を持つ。
フリョウヒンは、青信号のスポットライトを浴び続ける。
対岸というステージに向かうために。


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