第2話・餃子

文字数 7,042文字

 前回アップした総務課動画はそれからも伸び続け、一週間も経った頃には二十三万回再生で落ち着いた。
 動画の再生回数が三十万回に届きそうになった頃、デザイン部の田岡部長が総務課に駆け込んできた。お客様の動画アカウントを運用しているにも関わらず、大きな成果がだせていないからだ。

「ねぇ、この会社のアカウントさぁ、バズッたみたいだけど、だれが運用してるの?」
 田岡は相変わらず横柄な口調で、朝のすがすがしい総務部フロアに割り込んできた。
「あら、田岡部長。このアカウントは総務部総務課の運用ですよ」
 総務部人事課の神岡朝子は、ゆっくりとコーヒーメーカーから落ちるコーヒーのしずくを眺めながら返事した。
「神岡さんさぁ、これって誰?が撮影して動画つくったのよ?」

 株式会社エンドリング・クリエイティブ・コミュニケーションズ、通称エンド社は百人弱の中小デザイン会社だ。地元のデザイン専門学校生やデザイン科のある大学、高校ぐらいにしか認知がない。

 ネットでバズるなんて、会社の誰もが想定していない。それだけに今回のサムギョプサル動画がウケたのはショックだったのだろう。ただ、クライアントからこの動画のことを聞かれたらあること・ないことを言って、仕事につながるかも、とヘドロのような打算さが脳内で起動していた。

 出社してきた上羽は田岡に気づくと、避けるように、息をひそめてデスク側の通路から遠回りして自分の席に向かった。
「上羽さん!おはようございます!そこ、ペーパーセメントこぼしちゃったんで、踏まないでくださいね」
 久島今日子が朝食のパンを食べながら言った。
 上羽に注目が集まる。田岡も振り返り、上羽の存在に気づいた。
「おうっ!上羽じゃないか。送別会以来だな。元気にしてるかぁ」
 上羽は田岡のことが苦手だ。田岡はデザイン部、上羽は編集部と部署こそ違うが田岡の傲慢さはデザイン部内にも浸透していた。編集部の意見など聞く必要はないというスタンスだった。

 一年目の新人デザイナーも三カ月もすれば、手の早い若手なら修正程度の仕事を任される。田岡マインドが浸透しているため、キャリア十年目ほどの上羽の後輩編集者たちの指示や意見には耳を傾けなくなる。
 部門間対立、よくあるパターンは編集部の方が上でデザイン部が下のようなヒエラルキーがある。編集部が原稿を出さないと、デザイナーは仕事ができないし、修正作業も編集部が校了を出さないと終われない。

 たとえどんな用事があっても入稿日は厳守だ。昔は印刷会社の営業が来客ブースでタバコとコーヒーを浴びるように吸い・飲み、待っていたものだ。今はデジタル入稿で、印刷会社に最終入稿データを送付するだけでいい。だが、そこには人が待っている。
 社内はデザイン部がイニシアティブを握っている。創業者の長谷川がデザイナーだったせいだと誰もが言っている。
 長谷川会長にかわいがられていると思っている田岡は会社のなかにパワーバランスという考え方、ヒエラルキー、序列、特権、なんてことを持ち込んで、デザイン部優位の立場づくりをしてきた

「田岡氏!そこ邪魔なんで、はやく自分のフロアに帰ってください」
今日子は無邪気にそして確信犯的に田岡を撃退した。かつての部下だった久島今日子ぐらいだった。田岡部長のことを、田岡氏と呼ぶのは。
 戸倉が雑巾とバケツを持って息を切らせて走ってきた。
「だれですか?ペーパーセメントぶちまけたのは!」
 田岡が所在なさそうに、神岡の方を見ている。
「また来るよ」
 朝子は入社から何万回としてきた会釈のなかでもとっておきの会釈をした。心をこめずに心をあふれさせるような、若いころクラブでアルバイトしていたときに、ママに教えてもらった技だ。

「うっとおしい、ヤツ!」
 今日子があえて聞こえるようなボリュームでつぶやいた。つぶやいたというよりも、叫んだという方がいいだろうか。
「久島さん、おはよう」
「上羽さん、靴ベッタベタですか?」
 上羽はわずかにペーパーセメントを踏みつけていた。歩くたびに、子供のビニール靴みたいにペッタペッタと音がする。

 戸倉は手際よく絞った雑巾で水拭きしながら、ペーパーセメントを取り除いていた。
「ほんと誰ですかね?もう写植も使ってないというのに、どうしてペーパーセメントなんて」
 ペーパーセメントとは、印刷物がデジタル化する前、いわゆる版下の世界でのこと。方眼紙のような分厚い版下台紙を使って印刷していた時代がある。

 文字は今みたいにパソコンで入力ではなく、デザイナーがあらかじめ必要な文字をサイズ・書体を決めて写植屋に依頼する。
 写植屋では電算写植機を使って、文字を印画紙にプリントする。印画紙にプリントされた文字は再びデザイナーに納品される。
 瓶詰されたペーパーセメントの蓋裏は金属のスティックが一体化されていて、先端には刷毛がついている。瓶のなかでペーパーセメントまみれになった刷毛を瓶の縁で適度にこそいで、印画紙の裏に塗る。
 糊付けした印画紙をカッティングボードにいったん貼り付けて、あとはカッターとピンセットを使って必要な文字をカットする。
カッティングボード上で切った写植を剥がして、方眼紙上の版下台紙に貼り付けるのだ。こんな芸当ができるのは、ペーパーセメントが貼ったり剝がしたりできるという特性があるためだ。版下に貼り付けた写植は印刷所でフィルムに焼きこまれる。つまり、そこまでは剝がれてはいけないのだ。

 だが、どうしてこのペーパーセメントが総務部のフロアで割れてこぼれているのだろうか。もうデジタルの時代だ。ペーパーセメントなど誰も使わない。
「どうして、ペーパーセメントがここに?」
 上羽は後輩の川瀬にたずねた。
「総務課って、掃きだめでしょ。いらなくなったペーパーセメントがときどきデザイン部の棚から出てくるんですよ。でも、そのまま捨てるわけにもいかないじゃないですか。だからウチに」
「ほんと、迷惑な話ですよね」

 元デザイン部の重鎮だった渡辺が割り込んできた。二つ目のパンを食べようと、今日子が菓子パンの袋に手をかけると
「久島さん!今日は、餃子ですよ!食べ過ぎると、後悔しますよぉ」
 掃除が終わった戸倉が目で今日子を制した。
 今日は二週に一回の総務課昼メシの日だった。

 十一時四十五分のチャイムが鳴る。昼の時間が始まった。川瀬・渡辺・西の三人トリオ、社歴も年齢も元居た部署も異なる三人組は手際よくカットしたキャベツと白菜、ひき肉、味噌、しょうゆ、ごま油を用意する。

 キャベツと白菜はフードプロセッサーみじん切りに。あまり細かくカットしすぎると触感がなくなって、べちゃべちゃとしがちだ。   

 味噌としょうゆをボウルに合わせて、ごま油をたらす。菜箸でスピーディーに混ぜ合わせて、ひき肉を加える。肉に下味をつけるのだ。味付けしたひき肉に水を大さじ一杯程度。肉のうまみを逃がさないためだと、西が言うが家庭ルールだとみんなは言った。
「皆さん、手をよく洗いましょう!」

 戸倉の指示が飛ぶ。仕事中には見られないイキイキとした姿だった。この昼メシ風景もネットにアップするなら、仕事であることには変わりはなかったが。
 塩を振ってみじん切りにしたキャベツと白菜に振りかけ、菜箸で混ぜ合わせる。数分で水が滴るように出てくる。ギュッと絞り水気を切る。
「あぁ、今日子さん、そんなに絞っちゃぁ、スッカスカになりますよ」
 西の目がいつになく、広範囲にお見守りしている。
「西さんは、毎週土曜日、ご家庭で餃子づくりをしているんですよ。皮から作るらしいですよぉ」

 戸倉が白菜とキャベツ、味付けしたひき肉を合わせながら、西のオフスタイルをみんなに暴露した。西もまんざら気を悪くしてはいなかった。
 西は調理用の手袋をして、具材を混ぜ始めた。大きなボウルに移された餃子の具たち。白く粘りが出るまで合わせるのがポイントだと西は熱弁した。

 ここまでわずか十分。お昼はまだ六十五分ある。ごはんが炊けた。毎度のご飯炊き係は川瀬の役割だった。元営業部で、学生時代は相撲部。ガタイのいい川瀬は大学の相撲部時代はちゃんこ番も務めていたほどで、料理の進行管理はお手の物だった。
 料理は段取り八分というのが口癖だったが、営業も段取り八分とすればよかったもののそのあたりが抜けていた。だから、総務部総務課に流されてきたのだろうと周りは噂していた。餃子を包みはじめた。

 大き目のバットがテーブルに三つ並んだ。西は茶こしに小麦粉を入れ、バットの上でゆらゆらと振った。
 餃子がバットにくっつかないようにするためらしい。毎週餃子を作っているだけあって手際がいい。

 全員で餃子包みが始まった。市販の皮を使って、スプーンで具をすくい、皮に乗せ、包む。西は全員分の木製バターナイフを用意してきた。小ぶりなバターナイフは、木製だけあって軽く扱いやすかった。
「これくらいの量をすくうんですよ。上羽さん、すくいすぎ!ほら皮から具がはみ出てますよ」
「僕、餃子なんて作ったことなくて」
 上羽は悪戦苦闘している。戸倉や川瀬、渡辺は慣れた手つきだ。今日子は包むのをやめて、タレの準備をしている。
「いいですか、上羽さん。父の料理って妻が作りたがらないモノにするのがポイントなんですよ」
「あと、あまりお金をかけないモノだよね」
 渡辺が付け足した。戸倉の次に年長者の渡辺は昨年、長年連れ添った奥さんと離婚したばかりだ。
「ナベさん、離婚したばっかりじゃないですか。説得力ないなぁ」
 西が空気を読まないツッコミを披露したが、渡辺との関係性ができているのか、場は和やかになった。編集の西とデザイナーの渡辺は一時コンビを組んでいたらしい。
「離婚したから説得力があるんじゃないですか?」

 今日子がタレの準備を終えて、やることがなさそうな顔つきで尋ねた。
 西はポットの湯をやかんに移し、油をひいたフライパンに包んだ餃子を並べ始めた。
「火をつけてフライパンを熱々にしてから餃子を置くんじゃないんですか?」
 上羽は昔妻が餃子を作っていた工程を思い出しながら、西に聞いた。
「それだと、焦げるんですよ。皮。だから冷たいままのフライパンに油を少しひいて、並べるんです」

 西はカセットコンロに火をつけた。
「で、皮に焼き目がついてきたら、お湯をサッと入れて、ハイ、蓋!!」
 じゅわーぁとお湯が蒸発する音がする。
「お湯だと、フライパンの中が冷めないからいいんですよ」
 ガラス製の蓋の中には、グツグツとお湯が水蒸気になっていく。餃子たちが蒸されていくのがよくわかる。カセットコンロが三つフル稼働で、フライパンは二つ、うちひとつは土鍋だった。
 二つのフライパンでは焼き餃子が、土鍋では水餃子が作られていた。水餃子の方は、西が持ってきたお手製の餃子の皮が使われていた。茹でても皮が崩れにくく、モッチモチらしい。

「今日はゲストがいますよぉ」
戸倉が焼けた餃子を皿にひっくり返しながら、今日のゲスト・鳥居駿を紹介した。
「デザイン部からこちらに異動します鳥居駿です。よろしくお願いします」
「みんな拍手でお出迎え!」
 戸倉が調子よく手を叩く。みんなの目が一瞬鳥居を見た後、餃子に移っていった。焼き餃子からか、水餃子からか。
「鳥居さん、こっち来るときペーパーセメント段ボウルに入れてたでしょ。荷物の中で割れてましたよ。床にも漏れて。戸倉さん掃除してくださったんですよ」
 今日子は元上司の鳥居に強い口調で言った。
「あ、そうなんですか。戸倉さんすみません」
 鳥居はペーパーセメント事件を今知った。小さな声で戸倉に謝った。

「いいんですよ。さぁ、食べましょう!」
 戸倉の号令で餃子メシが始まった。
 焼き餃子は円状に並べられていて、水溶き片栗粉が焦げてパリパリの羽になっていた。水餃子は皮が崩れず、おたまですくい上げても、形が崩れずぷるんと音がするくらいの弾力感だった。
「みなさん!こちらが漬けタレです。酢じょうゆ、酢こしょう、焼き肉のタレ&マヨ、あとはめんつゆ&わさび、ポン酢とからしでーす」
 今日子がさっきから作っていたのは全五種類のタレだった」
「これは、選びがいがありますねぇ」
戸倉は、焼き肉のタレ&マヨタレを取り分けて、焼き餃子にたっぷりと絡ませて、白ご飯の上でワンパンさせた。
「うんんんまいですねぇ」

 西は水餃子にめんつゆ&わさびを、川瀬・渡辺は焼き餃子に酢こしょうを、上羽は焼き餃子に酢じょうゆを、みんな白ごはんにワンパンさせて食べた。
 今日子は焼き餃子にポン酢とからしをたっぷりつけて食べた。
「みんな、白ごはんにワンパンさせるんですね。西さんなんて水餃子なのにワンパンさせるんだぁ」
「久島さんこそ、焼き餃子単体なんてもったいない」
 川瀬は白ご飯を食べていない今日子に不満そうにツッこんだ。
「だって、皮って炭水化物でしょ。それと白ごはんって、お好み焼きと白ごはんみたいなもんじゃないですか」
「それが、いいんじゃないですか!!!」
 鳥居が焼き餃子に白ご飯をワンパンさせて食べながら、会話に割って入ってきた。
「ちょちょっと、鳥居さん、タレつけました?」

 川瀬が鳥居のきれいな白ご飯を見ながら言った。ワンパンさせていない白ご飯はみんなの白ご飯と違って、キレイだった。
「白ご飯はよごしちゃ、ダメなんですよ。いいですか、白はデザイナーにとってこれから何かを始めるとき、すなわち……」
「鳥居さん、タレつけると美味しいですよ。」
 鳥居の熱弁を今日子が制した。鳥居はタレが並んだテーブルを眺めた。じっと眺め、一分ほど沈黙が続いた。
鳥居は意を決したように、ポン酢とからしタレを皿にとった。そのまま焼き餃子をタレにつけて、白ごはんにワンパンさせた。

 総務課のメンバーが鳥居をじっと見つめる。鳥居の白ご飯はじわっとポン酢でにじむ。
「うぅ、うまいです」
「でしょ。そのご飯のところがおいしいんです」
「そ、それは餃子に失礼だなぁ」
西が追加の餃子を焼きながら、今日子に言った。総務課から大きな笑い声がこぼれる。いつしか緊張もほぐれ、鳥居も笑顔になっていた。
「いろんなタレがあっていいんですよね。餃子も人も」
 戸倉がいつもの調子でまとめにかかった。

「ねぇ、上羽さん、戸倉さんの話って、なんだか浅くないですか?」
 今日子はコソコソと上羽に耳打ちした。
「久島さんもそう思ってました?イマイチ例えがよくわからないですね」
 上羽は水餃子を頬張りながら返事した。
「そういえば、鳥居さんってどうしてペーパーセメントなんて持ってきたんですか?もう使わないでしょ?今まで持ってたってこと?」

 元デザイン部の先輩だった渡辺が聞いた。
「いや、これはお守りみたいなもんで」
「お守り?」
 一同声がそろった。
「これ、新人の時に辞めていく先輩からもらったんですよ。先輩みたいに、クライアントの要望も聞きながら、自分のアイデアみたいなのを散りばめてデザインしたいなって。チラシばっか作ってましたから、その時。腐りがちだったんで」
「まぁ、デザイナーあるあるだよな。俺なんかはチラシばっかで、食品チラシマシーンになってたもの」
 渡辺が鳥居に向かって言った。

「先輩、病気で会社辞めちゃって。そのまま亡くなったんですよね。だから、お守りみたいなもんで」
「それって、岩崎だろ?岩崎生きてるよ」
「ええええ?」
 鳥居は渡辺のつぶやきのようなひと言に、「え」以外の言葉を発することができなかった。
「そうですよね。岩崎くんなら、グラフィックオーダー社で、たしか今デザイン部の部長ですよね」
 戸倉が渡辺に相槌を打つように返事した。

「引き抜きにあったんですよ。彼。だから、死んでません」
 戸倉の追加情報に、鳥居は放心した。

「まぁ、いろんなウソがあっていいんですね。餃子にも人にも」
「戸倉さん、イマイチうまいこと言えてませんよ」
 戸倉のまとめに今日子が反応した。一瞬静まりかえったあとに、大爆笑が起きた。戸倉もウケている自分に、なぜかご満悦だ。

 隣の人事課の神岡朝子はパーテーション越しに笑い声を聞きながら、コーヒーを一気に飲みほした。

 餃子メシ後、いつものとおり上羽は動画制作に取りかかった。夕方までに動画は仕上がり、戸倉に提出した。戸倉はヘッドホンをしながら動画を確認し、「ミーチューブス」にアップした。

 上羽は、定時時間ぴったりに上がると、朝子と一緒になった。
「上羽くん、今日岩崎さんの話してなかった?」
「ああ、聞こえてたの?」
「鳥居くんって、岩崎さんに可愛がられてたからあの人のマネばっかりしてたのよね。岩崎さんは自分らしくデザインする方法を模索してたけど、鳥居くんはどうしたら岩崎さんみたいになれるかを模索してたんだよね」
「それってどういうこと?」

 上羽がエレベータのボタンを押しながら、朝子に聞いた。
「鳥居くんが総務課に異動になったのは、きっとそのせいよ」
 エレベータが一階に着いた。
「また今度、話すわ」
「話すって、何を?」
「戸倉さんが何を言いたかったかってことをよ。じゃ、私急ぐから。また明日」
 朝子は急ぎ足で、地下鉄へと向かって行った。上羽は朝子とは反対側の駅へと歩いて行った。

 その夜、戸倉がミーチューブスに公開した動画はあっという間に十万回再生に達し、翌朝には二十万回を越えていた。フォロワーも二万人に達し、ライバル会社でも話題になり始めていた。
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