第1話
文字数 2,112文字
「自由落下」
永見妙
さて、こんな話をしてみたい。悠々自適に空を泳ぐ風船になってみたいことはないだろうか?屋根の漆喰も超えるシャボン玉はどうだろう?その身を丸め、地を離れて大きな空に抱かれてどこか遠くに行ってしまいたいことは?
いつからかベンチに座って空を眺めるようになった。鳥が何羽か私の頭上を飛んでいき、目の前には何羽か羽を休めていた。私が常に羨望していたのは、どこか遠く、ここではないどこかだった。ここには、私の周りには、私自身が、苦しみであったから、苦しみのない自由で青い場所へ行きたかったのだ。かつては過ぎ去り、今や手に入らぬものを追い求めていた。
縁こそ泳ぐ金魚鉢の中のデメキン達は空を行く。木の葉も空をひらり舞い、泡沫の一抹のように儚く落ちてゆく。少し広くなった部屋で、私は小さくなっていた。やけに包丁が鋭く見えた。生きているだけで儲けものなんて言葉をどこかで聞いたことがある。しかし、「生きている」だけでは生きては行けない。
私の影は私を素早く追いかけてくる。
ある日、初夏のいつか、色づき始めた神社を訪れたことがあった。木漏れ日、高く顔を出す朝陽、砂利道と石道、両脇に佇む灯籠、そして螺旋に渦巻く桜。神妙な空間を歩いていた。少し進むと道の先に誰かがいて、泣きそうになって帰った。神社の出口に面する横断歩道で赤信号に止まっていると、朝涼の風が頬をかすめた。夏の匂いがした。澄んだ空気に秀麗な景色、そこには下を向いて歩く私がいた。
私にはなにもなかった。だからはこの道を選ぶことにした。文字通り道の無い道だ。
この日の風景が忘れられなくて、起きていない街を出歩くようになった。早朝、鳩の声で目が醒める。扉を開け朝の匂いに涙が出た。起きていない街を彷徨い歩くと、心地よい風にまた涙が出た。こんな時に『斜陽』の意味がわかる気がした。匂いは思い出と結びつく。思い出は感情と結びつく。結びついた感情が私を傷つけた。
目にも止まらぬ速度で落ちてゆく。これは自由な落下であれど、厳密には自由落下ではない。
一週間ほど実家に帰った時。新幹線の小さく丸こい車窓から外を眺めていた。新幹線の小さな窓を流れる景色は、何度も見ているはずなのに、無味無臭の灰色で、見知らぬ景色だった。奥にはうねる山の波に合わせて鉄塔が列をなし、手前には道路に沿って小川が流れている。近くに白く大きな工場のような建物が細く煙を上げ、だだ広い畑には小さなトタン屋根のあばら屋があり、それがとても恐ろしかった。
都会に戻ってまた恐ろしかった。たった一週間。たった一週間で、私の家は知らない誰かの家みたく感じられて、その時初めて、この家で過ごす日常が、当たり前が、あまりにも脆いことに気がついた。私の当たり前は一週間で崩壊する。他の皆はどうなのだろう。
満たされないのは、空っぽのじょうろを必死に傾けているからか、それとも水を受け止める容器がないからか。ある時は青く澄み切った、透明感のある虚無感と心の底のバケモノみたいな劣等感に占領され、ある時はドス黒い虚無感と蚤みたいな劣等感に呑み込まれた。私は削るのは得意だが、付け足し創造するのは苦手。帰納法は得意だが、演繹法は苦手。
きっと今は際で、時が長く感じられるせいだろう。思ったより地面はまだ遠い。この潜考はもう少しだけ続きそうだ。
春は出会いの季節なんてよく言うよ。そこには別れしかないというのに。私たちはいずれ花開く別れの種を出会いと呼んでいるだけにすぎないのだ。きっとさまざまなものが芽吹くこの季節に希望を見出しているにすぎないだろうね。
私は夏が嫌いだ。この茹だるような暑さでは私を慰めてはくれないから。やはり秋だ。秋枯れの公園、人のいない遊具、苔の生えた石に池のほとり、頬の側で誰かがひゅうと吹くような風、それらに邂逅してようやく私の心は晴れる。けれど秋が来ると参ってしまう。秋は萎む季節なのだ。私が育てた草花も、私の心も、萎んで小さく醜く弱っていく。私は私の思想に囚われている。これでは本を捨てて町へ出ることは出来なさそうだ。
映像で見た冬は耽美だった。細雪の中、街灯の下、恭しく一礼。裾を翻すコートに雪踏みしめて鳴るブーツ。その空間は二人だけの演舞。貴方の唇までには少し遠いから、私はつま先に想いを乗せて背伸びする。心は雪白海のように澄んでいた。一面に粉雪が降り注ぎ、ところどころに立つ樹木は白いベールを被っている。嘘みたいな雪はサラサラという擬音で降り落ち、そこには静謐が満ちていた。
終わりはもうすぐそこに見えてきた。
誰にも届かなかい便箋。ゴミ箱の中の必死に書き殴られたメモ。脱ぎ捨てられたサンダル。五時を知らせる音色。独り立つ街灯。空っぽの小瓶。茜色の空。花時雨。この世には嫌なものばっかりだ。
もうすぐそこだから。だから。
朝起きて眠りたい人生だった。森羅万象、この世の物事全ての価値は終わりにある。道の先を振り返り、その道をどう評価するかが肝心なのだ。何事でも大切なのは最後なのだ。私の人生にこうしたことで生まれる価値があるはず。きっとそうでしょう?
これにてお仕舞い。左様なら。
永見妙
さて、こんな話をしてみたい。悠々自適に空を泳ぐ風船になってみたいことはないだろうか?屋根の漆喰も超えるシャボン玉はどうだろう?その身を丸め、地を離れて大きな空に抱かれてどこか遠くに行ってしまいたいことは?
いつからかベンチに座って空を眺めるようになった。鳥が何羽か私の頭上を飛んでいき、目の前には何羽か羽を休めていた。私が常に羨望していたのは、どこか遠く、ここではないどこかだった。ここには、私の周りには、私自身が、苦しみであったから、苦しみのない自由で青い場所へ行きたかったのだ。かつては過ぎ去り、今や手に入らぬものを追い求めていた。
縁こそ泳ぐ金魚鉢の中のデメキン達は空を行く。木の葉も空をひらり舞い、泡沫の一抹のように儚く落ちてゆく。少し広くなった部屋で、私は小さくなっていた。やけに包丁が鋭く見えた。生きているだけで儲けものなんて言葉をどこかで聞いたことがある。しかし、「生きている」だけでは生きては行けない。
私の影は私を素早く追いかけてくる。
ある日、初夏のいつか、色づき始めた神社を訪れたことがあった。木漏れ日、高く顔を出す朝陽、砂利道と石道、両脇に佇む灯籠、そして螺旋に渦巻く桜。神妙な空間を歩いていた。少し進むと道の先に誰かがいて、泣きそうになって帰った。神社の出口に面する横断歩道で赤信号に止まっていると、朝涼の風が頬をかすめた。夏の匂いがした。澄んだ空気に秀麗な景色、そこには下を向いて歩く私がいた。
私にはなにもなかった。だからはこの道を選ぶことにした。文字通り道の無い道だ。
この日の風景が忘れられなくて、起きていない街を出歩くようになった。早朝、鳩の声で目が醒める。扉を開け朝の匂いに涙が出た。起きていない街を彷徨い歩くと、心地よい風にまた涙が出た。こんな時に『斜陽』の意味がわかる気がした。匂いは思い出と結びつく。思い出は感情と結びつく。結びついた感情が私を傷つけた。
目にも止まらぬ速度で落ちてゆく。これは自由な落下であれど、厳密には自由落下ではない。
一週間ほど実家に帰った時。新幹線の小さく丸こい車窓から外を眺めていた。新幹線の小さな窓を流れる景色は、何度も見ているはずなのに、無味無臭の灰色で、見知らぬ景色だった。奥にはうねる山の波に合わせて鉄塔が列をなし、手前には道路に沿って小川が流れている。近くに白く大きな工場のような建物が細く煙を上げ、だだ広い畑には小さなトタン屋根のあばら屋があり、それがとても恐ろしかった。
都会に戻ってまた恐ろしかった。たった一週間。たった一週間で、私の家は知らない誰かの家みたく感じられて、その時初めて、この家で過ごす日常が、当たり前が、あまりにも脆いことに気がついた。私の当たり前は一週間で崩壊する。他の皆はどうなのだろう。
満たされないのは、空っぽのじょうろを必死に傾けているからか、それとも水を受け止める容器がないからか。ある時は青く澄み切った、透明感のある虚無感と心の底のバケモノみたいな劣等感に占領され、ある時はドス黒い虚無感と蚤みたいな劣等感に呑み込まれた。私は削るのは得意だが、付け足し創造するのは苦手。帰納法は得意だが、演繹法は苦手。
きっと今は際で、時が長く感じられるせいだろう。思ったより地面はまだ遠い。この潜考はもう少しだけ続きそうだ。
春は出会いの季節なんてよく言うよ。そこには別れしかないというのに。私たちはいずれ花開く別れの種を出会いと呼んでいるだけにすぎないのだ。きっとさまざまなものが芽吹くこの季節に希望を見出しているにすぎないだろうね。
私は夏が嫌いだ。この茹だるような暑さでは私を慰めてはくれないから。やはり秋だ。秋枯れの公園、人のいない遊具、苔の生えた石に池のほとり、頬の側で誰かがひゅうと吹くような風、それらに邂逅してようやく私の心は晴れる。けれど秋が来ると参ってしまう。秋は萎む季節なのだ。私が育てた草花も、私の心も、萎んで小さく醜く弱っていく。私は私の思想に囚われている。これでは本を捨てて町へ出ることは出来なさそうだ。
映像で見た冬は耽美だった。細雪の中、街灯の下、恭しく一礼。裾を翻すコートに雪踏みしめて鳴るブーツ。その空間は二人だけの演舞。貴方の唇までには少し遠いから、私はつま先に想いを乗せて背伸びする。心は雪白海のように澄んでいた。一面に粉雪が降り注ぎ、ところどころに立つ樹木は白いベールを被っている。嘘みたいな雪はサラサラという擬音で降り落ち、そこには静謐が満ちていた。
終わりはもうすぐそこに見えてきた。
誰にも届かなかい便箋。ゴミ箱の中の必死に書き殴られたメモ。脱ぎ捨てられたサンダル。五時を知らせる音色。独り立つ街灯。空っぽの小瓶。茜色の空。花時雨。この世には嫌なものばっかりだ。
もうすぐそこだから。だから。
朝起きて眠りたい人生だった。森羅万象、この世の物事全ての価値は終わりにある。道の先を振り返り、その道をどう評価するかが肝心なのだ。何事でも大切なのは最後なのだ。私の人生にこうしたことで生まれる価値があるはず。きっとそうでしょう?
これにてお仕舞い。左様なら。