ちょことろう

文字数 2,000文字

 2月14日。あたしは、ちょっとした勇気を振り絞って、ある男子に手作りチョコレートをプレゼントすることにした。普段料理なんてしないけれど、そんな自分の割には結構頑張った。昨日の夜はなかなか眠れなくて、今日は少し寝坊した。家を出るときに、なぜか弟があたしを呼び止めようとしていたけれど、どうせろくな用事じゃないので無視した。
 昼休み。アイツは机に伏して寝入っている。いつも通りの行動パターンだ。机の横につるしたアイツの鞄がターゲット。そこにあたしのチョコレートをそっと忍ばせる。きっと、アイツは誰からもらったのか分からずに、あたしに相談するんだ。「こんなものもらったんだけどどうすればいい?」そうしたら、「あたしのだよ!いい加減、気づけよ!この朴念仁!」ってね!
 あたしは何気ない風を装って、アイツの伏す机に近づいた。
 ちょうど机の横まで来た瞬間、あたしの足に何かが触れた。あたしは身を竦めた。その拍子にあたしの力作を床に落としてしまう。でも足元に見当たらない。陰の動いた先を見ると、そこには、一匹の黒猫がいた。あたしが今ちょうどアイツに渡そうとしたチョコレートの入った箱を口にくわえている。
 目が合った途端に猫は駆け出した。一目散に教室の外に出て行った。
 一瞬のことに、ぼーぜんとする。少したって事態のシンコクさがわかったあたしは、教室を飛び出した。
 あのどら猫、あたしのチョコを持っていきやがった!
 全速力で廊下を走る。何事かと視線を向ける同級生にも目もくれず。アイツはいつも、午後の授業が始まる5分前には起きる。それは13時10分。アイツはいつも携帯のアラームをその時間に設定している。あたしは、それまでにあの猫からチョコを取り返して、アイツに渡さないといけない!
 廊下を右に折れる。階段を駆け下りる。さらに廊下を走って、昇降口を上履きのまま外に飛び出す。あのバカ猫が正門から外に出ていく姿を見て、一瞬躊躇したけれど後を追った。
 走る走る走る。学校を出てすぐの路地を右に折れる。あたしも従う。いない!姿が見えない!焦ったあたしの視界にかすかに動く影。塀の上か!並走して走る。今度は塀の内側に飛び込んだ。ああ!なんでそっちにいくんだよ!でも、こうなったらやるっきゃない!
 あたしはすぐ近くにあった玄関のインターフォンを鳴らす。しばらくして出てきた愛想のよい女の人の声に要件をぶちまけた。
「すみません!お宅の猫があたしのチョコを!」
 あらあらと困った声を上げた女の人の後ろで、かすかに猫の鳴く声がする。くそう、あのバカ猫、あたしをからかってやがる。
「でもねえ、うち、猫飼ってないのよ?」
「でも、いま、後ろで、猫の声が!」
「でも、うちの猫じゃなくて、野良よ?」
「いいから開けて!!!」
 猫はいるんじゃないか!
 いまいち納得していないような声をあげてはいたけれど門を開けてくれた。
「すみません!」
 おたおたする奥さんの脇を抜けて庭に突進する。そこには縁側があり、おばあさんがひとり日向ぼっこをしていた。そしてその手の中に。あの猫が。
「いた!このバカ猫!」
 猫はあたしのことをちらと見て、何事もなかったようにそっぽを向いた。
「あら、いらっしゃい、この子のお友達?」
「違います!こいつが、あたしのチョコを!」
「この子のものだったの。盗んじゃダメじゃない」
 すこしだけ口をとがらせたけど、しかる気はないみたい。
「ごめんなさいね、この子、手癖がわるいものだから。これかしら?」
 おばあさんは、ちょうどあたしから見えない位置にあったところからあたしのチョコを取り出した。
「それです!もらいます!」
 あたしは半分ひったくるようにチョコを受け取った。
「あ、そうだ、少しお茶でもどうかしら?」
「すみません、すぐ戻らなきゃなので、お邪魔しました!」
 あたしはくるりと背を向けて、ちょっと一つ思い出して、おばあさんに一礼とそれから、あの憎たらしい猫にあっかんべーとやって、その家を飛び出した。
 全力で走って、走って、息も苦しい、アイツのいる教室へ駆ける、駆ける。
 途中でポケットのスマホをちらと見た。まだ、いける!
 教室に戻ってきた。戸の前に立ち、少し息を整える。そろりと戸を開けた。アイツはまだ伏している。でも、猶予はあと一分。何気ない様子を装いながら、アイツの机にアプローチ、ついにチョコを鞄の中に忍び込ませた。そして何事も無いように自分の席に着く。ちょうどその時に、アイツのアラームの鳴る音がした。心の中でガッツポーズ。気怠そうにアイツは身を起こす。
 一仕事終えたような気分。すっかり疲れてしまって、次の授業はほとんど寝て過ごした。
そして、待ちに待った放課後。案の定アイツはあたしに声を掛けてきた。
だけど……。
「バレンタインに、空箱もらったんだけど、これって嫌がらせかな……」
 あたしのバカ!チョコを入れ忘れるなんて!
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