第1話

文字数 1,999文字

 その昔、預言者チャリーは僕らが暮らすこの島で二匹のニンゲンに会った。ニンゲンは伝説上の生き物で、頭が一つ、腕が二本、足が二本ある。僕らとよく似た格好だけど、彼らは驚く程背が高くて、身長の半分が足首なんだ。二匹のニンゲン達は、チャリーや彼の仲間、つまり僕らの祖先だけど、彼らのことをペンギンと呼んだ。勿論チャリーは抗議したけど、ニンゲン達は別の名前をくれる代わりに、彼に不吉なお告げを与えた。彼らは言った。「いつかペンギンは一人もいなくなり、島は海に沈むだろう」
 預言者チャリーの話を正確に覚えているのは今じゃ僕の友人のノルだけだ。彼はこの伝説を事実だと信じていて、島の皆に馬鹿にされることもしばしばだ。本当を言えば、少し前まで僕もノルのことを子供っぽいと思っていた。だけど知恵者がこの島に現れてから、預言者チャリーは僕の頭から離れなくなった。
 知恵者は僕らより二回りも体が大きくて、夕日色の立派な嘴を持っている。彼は違う島から海を渡って来たんだ。これには皆驚いた。島の周りの海には侵略者がうじゃうじゃいる。一度奴らに捕まれば逃げられやしない。侵略者駆除隊の僕の仲間がどれだけ命を落としたか。知恵者は彼が一大決心して島を出た理由を話してくれた。それは僕とノルに言わせれば、チャリーが聞いたお告げそのままだった。
 知恵者の島にも侵略者は大群で押し寄せていた。奴らは海や浜辺を埋め尽くし、知恵者の同胞達は奴らの罠にかかったり、腹を空かせたりして次々死んでいった。知恵者は木の実を食べて生き延びたが、別の問題があった。海が島を飲み込み始めたんだ。島中が海水に浸って、木が枯れて実をつけなくなった。それで知恵者は、たまたま目の前に流れて来た流木に飛び乗って沖へ出た。彼が無事だったのは彼が持つ知恵と強運のお陰だろう。僕らは彼の豊富な知識に敬服して、彼を知恵者と呼んだ。彼の名前は発音が難しかったってのもある。
 知恵者は山の洞窟に住み始めて魚ではなく木の実を食べ、彼の博学さに魅了されたノルは彼に弟子入りして一緒に山で暮らし始め、そして僕はチャリーのことを深く考えるようになった。
 満月の晩、僕はノルに会いたくて山を登った。気が滅入ってたんだ。狩場や浜辺で侵略者の駆除をしていると知恵者の故郷やチャリーのことが頭に浮かぶし、毎日残業しても侵略者は増える一方だし、獲れる魚は小さい。魚は特に大きな問題。腹が減ると海を泳ぐ侵略者が獲物に見えてくる。それは奴らの罠なんだ。
 頂上まで行くと、突き出た崖の先端にノルが立っていた。僕は彼の、闇の中で艶々光る背中を見つけると走った。足音で分かったんだろう、ノルが振り返って「やあ、ニール」と言った。「元気?」
 僕は彼の横に並んだ。「いいや全然」
 少しの間、僕らは黙って月や星を眺めた。
「修業はどんな感じ?」と僕は尋ねた。
「悪くないよ」とノルは答えて腕をパタパタ動かした。それをいつまでも落ち着きなく続けるから「どうしたんだ」と僕が訊くと、ノルは自分の脇や首の辺りを嘴で掻き始めた。僕は彼の体の異変に気付いた。驚いた僕は「なんだ?」と彼の腕や肩に目を近づけた。魚の骨みたいな棘がびっしり生えていたんだ。
「毛の生え変わりみたいだ。にしては、ものすごく長くて大きいぞ」
「急に生えてきたんだ」ノルはそう言って、うんざりという感じで溜息を吐いた。
「知恵者はなんて?」
「病気ではないって。そんなことよりニール」
「ん?」僕はまだノルの腕の棘を見ていた。木の実ばかり食べたせいで生えたんだろう。
「月の上に立ったらどうなると思う?」とノルは夜の海色をした丸い瞳で僕を見た。
「え?」僕は月を見上げた。ノルはたまにこういう、頭の隅をつつく質問をする。
 少し待ってノルは答えを教えてくれた。「逆さになって落っこちるんだよ」
「そうなのか?」
 それからノルは知恵者との問答で至った自前の仮説を披露した。それをまとめるとこうだ。チャリーが会ったのは月から落っこちたニンゲンで、彼らは空を飛んで月に帰った。説明の最後にノルは「僕らも空を飛ぶんだよ、ニール」と言った。
「空を飛ぶだって?!」僕の声は自分でも驚くくらい空に響いた。きっと月にぶら下がるニンゲン達にも届いただろう。「飛ぶだなんて、虫じゃあるまいし」と僕は笑った。
「ニンゲンは僕らと形が似てる。彼らから飛び方を習って、侵略者のいない、沈まない島に行くんだよ」
 ふいに、崖下に広がる夜の森が、足元から迫り来るように感じた。
 どうして僕は、こんな所に立って眩暈を起こさずにいられるのだろう。僕は月光を受けて輝くノルの顔を見つめた。
「ニンゲンが落ちてくるまで待つのかい?」と僕は訊いた。
「そうだよ。早い方がいいからね、僕は毎日これを一生懸命やってるんだ」ノルは少しだけ嘴を下に向けて目を閉じた。「知恵者に習ったんだ」
「なにそれ」
「念力岩をも徹す、だ」

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