第1話 少女

文字数 8,110文字

あの日君と出会ったことを  僕は後悔なんてしない
少女

 嘘が世界を半周したころ、真実はまだズボンを穿こうとしている。

     ウィンストン・チャーチル



































 第一少【少女】



























 「はぁ・・・」

 スマホの通話を切ると、項垂れた。

 海科陽翔(みしな はると)は大学3年の青年だが、たった今、交際1年2カ月を経て、彼女と別れることになった。

 どうしてかというと、それは陽翔もついさっき聞いたところなのだが、彼女には別に好きな人が出来てしまったかららしい。

 それが誰かなんて、聞く勇気は持ち合わせていなかった。

 だが、彼女の心が自分から放れていることには薄々気づいてはいて、最近電話もメールもしていなかった。

 冬という季節のせいだけではない寒さが、陽翔を襲う。

 ほとんど授業が無くなるこの時期だが、それからは就職の内定をもらうための戦いと、それから卒業するためのレポートなどで忙しくなる。

 彼女とならば頑張れる気がしていたが、今の精神状態だと難しいかもしれない。

 「気晴らしに出かけるか」

 そう言って、陽翔は従業をさぼった。

 そして向かった先は、別れた彼女と出会った場所である、水族館だった。

 ぼーっと1人で大きな水槽を眺めていると、同じようにじーっと水槽を眺めている少女がいた。

 誰かと一緒にいる様子もないため、多分陽翔と同じく、1人でおとずれたのだろう。

 「でけぇなぁ・・・」

 水槽の中で優雅に泳いでいるサメを見て呟いた。

 1時間もしないうちに欠伸が出ていて、陽翔は水族館を出ようと歩きだしたが、先程の少女はまだ同じ水槽を見つめていた。

 そんなに好きなのかと思いつつも、陽翔は大学へ戻って学食のハンバーグ定食を食べると、友達にさぼった従業の内容を教えてもらった。

 配られたプリントの空白の部分に文字を書いて行くと、視界に別れを告げられた彼女が見え、気まずそうに顔を背けた。

 彼女は気付いていなかったかもしれないが、出来ればしばらくは接触したくない。

 プリントを映し終えると、友達は明日予定している面接の準備があるからと言って、先に帰ってしまった。

 みんな手帳やスマホを用いて、面接や説明会、インターンシップなどといった予定を組みこんでいるようだが、陽翔のスマホの予定にはほとんどそれらはない。

 というのも、正直言ってしまうと、彼女に現を抜かしていたため、後で後でと先延ばしにしてきたのだ。

 しかし、彼女がいなくなった今、スマホを開いてすぐにでも説明会や面接の予定を入れようとチェックする。

 「よし」

 とりあえずは説明会の、とはいっても合同説明会のような、一か所に行けば何社か聞けるようなものの日付を確認した。







 「疲れた・・・」

 大学には自転車通学だったため、満員電車があれほど辛いとは思わなかった。

 説明会を終えた陽翔は、電車の中で白くなっていた。

 帰ったらエントリーシートを書いて、その前にそれに貼る写真を撮って、送って、面接の練習をして・・・。

 色んなことを考えるだけで、疲れてしまったようだ。

 駅に停めていた自転車に跨ると、スピード写真が撮れる場所を探して撮って、それから夕飯をスーパーで安くなっているのをゲットし、家に着くとチンして食べる。

 一着しか持っていないそのスーツを脱ぎ、ワイシャツはまだ大丈夫かと思ってそのままかけておき、ネクタイは緩めたものを引っかけただけ。

 ご飯を食べながら、エントリーシートを取り出して、先程撮ってきた写真を貼りつけて行く。

 「えっと、正式名称で書くんだよな」

 小学校、中学校、高校と、下書きなどせずに一発で書いて行く。

 こう言う時、昔習字を習っていた良かったなと思う。

 それが内定を決めるわけではないが、第一印象としては掴みはばっちりなはずだ。

 10枚ほど書いたところで、企業への送り先を調べて書くが、志望動機というところと長所という箇所に困ってしまう。

 「志望動機か。そりゃ、金が欲しいからだよな。じゃなきゃ、生きていけないし」

 正直に書くのはダメだと分かっていても、それ以外の理由が思い当たらない。

 スマホを取り出し、志望動機でどういったものが良いだろうと調べ、そこから自分に合うものを選び、似たようなことを書く。

 翌日、大学に行く途中のポストに投函し、それから従業を受けに行く。

 卒業論文のテーマも決まっていないため、まずはそこから考えなければいけないのだが、特に調べたい事もない。

 周りの人はどういったことをテーマにしているんだろうと、友達に聞いて回った。

 午前の授業が終わると、陽翔は午後の授業を取っていなかったため、学食か図書館で卒論のテーマでも探そうかと思った。

 しかし、学食は人がいっぱいおり、図書館にはしばらく会いたくない彼女がいたため、諦めて家に帰ることにした。

 ふとその時、また水族館に行きたくなって、自転車を漕いだ。

 「あー、落ち着く・・・」

 少し時間を潰してから帰ろうと、陽翔は静かな青に包まれたその空間に一息吐いていると、あの少女が目に入った。

 「・・・また来てる」

 以前来たときにもいた少女が、また、同じようにじーっと水槽を見ていた。

 そんな少女を見ていると、少女は水槽の中にいる魚たちに向かって何か話しかけているようで、小さく口が動いていた。

 それからほんの少し、笑った。

 「あの」

 気付いたときには、少女に話しかけていた。

 下手なナンパと思われてしまっただろうかと思っていると、少女は陽翔を見上げて数回瞬きをした。

 「すみません、急に。あの、この前も来たときに、この水槽見てましたよね?好きなんですか?」

 少女はストレートの漆黒の髪に、真っ白なブラウス、青いカーディガンにブラウンのロングスカート、靴はパステルのような薄い紫のスニーカーを履いていた。

 青よりも濃い色の青のバッグを斜めがけしており、背丈は150くらいで、歳は高校生か、大学入りたてといった顔立ちをしている。

 陽翔に声をかけられ吃驚しているのかと思い、変質者と思われても困ると、陽翔は苦笑いをしてそこから立ち去ろうとした。

 しかしその時、少女が口を開いた。

 「好きです」

 「え?」

 振り返ると、少女の視線は水槽の中に移動しており、陽翔は少女と距離を少しだけ開けて立つ。

 「ほら、あの子もそう言ってる」

 「あの子って?」

 「あの子。あの岩陰に隠れてる子」

 多分、名前は知らないがあの小さなカニのことを言っているのだろう。

 「君、名前は?」

 その質問には答えなかったため、陽翔は自分の名前を教えた。

 「俺は陽翔。海科陽翔。俺も好きだよ。すごく落ち着く」

 「私も、好きです」

 そう言うと、少女は耳を水槽にあてがい、目を閉じていた。

 まるで、水槽の中にいる魚たちの呼吸を聞いているかのように。

 その日から、陽翔は大学の休みの日には水族館に来て、少女と話をするようになった。

 もちろん、就職活動と卒業レポートを両立しながらではあるが。







 「こんにちは」

 平均にすると、週に2回ほど、陽翔と少女は水族館で会っていた。

 会っていたとは言っても、別に約束などはしていないし、行くと少女がいるという、ただそれだけのことなのだが。

 会って最初の2、3回は、少女の名前を聞いていたのだが、何回聞いても名前を答えてくれないため、それ以来は聞かないことにした。

 「じゃあ、なんて呼べば良い?」

 「呼ぶ?」

 「そう。俺が君を、なんて呼べば良い?」

 少女は目の前の水槽を見つめたあと、キョロキョロと周りの水槽に目をやり、ある水槽を指さした。

 それが何と言う名前か分からず、陽翔は水槽の手前に書いてある紹介部分を見て、なんという名前かを探す。

 「シンカイウリクラゲ?へえ、自分で光ってるわけじゃなくて、繊毛に光があたると光るんだ・・・え?クラゲ?」

 いくらなんでも、クラゲという呼び方はどうかと思い、「ウリ」と呼ぶことにした。

 その呼び方さえ、ウリ坊のようで微妙だと思ったが、試しに呼んでみると、少女は少しだけ微笑んだため、その呼び方に決めた。

 「ウリちゃん、スマホ持ってる?」

 「スマホ?」

 水槽の前から一歩も動こうとしない少女に、陽翔はスマホを見せて尋ねる。

 しかし、少女は目をぱちくりさせたため、持っていないのだろうと判断した。

 そうなると、どうやってこの少女と連絡を取り合えば良いのかと考えている陽翔の隣で、少女は相も変わらず、両手と鼻先を水槽に当て、そこにいる主役たちを眺めている。

 きっと割合から言うと、陽翔1の水槽9くらいだろうか。

 家族のことを聞いてみても、歳を聞いてみても、家は近いのか聞いてみても、少女は何も答えてはくれなかった。

 「ウリちゃんて、ゴキブリのお腹とか見ても平気な子?」

 「ゴキブリ?それは、怖いものですか?」

 「え?知らないの?」

 ゴキブリとは無縁の綺麗な家にでも住んでいるのかと、陽翔はどう伝えたら良いのか分からなかった。

 「えっと、グロテスクな、ってこと。グソクムシだっけ?だんご虫みたいなやつ。あれに似た感じかな」

 「ダイオウグソクムシは怖くありません。可愛い子です」

 「可愛いんだ」

 陽翔の記憶が正しければ、決して、断じて、可愛くはなかったはずだが、少女は顔色ひとつ変えずに答えた。

 可愛いのは少女の方だと言いそうになったが、ぐっとこらえた。

 「なんでそんなにくっついてるの?」

 初めて身に来た子供ならまだしも、毎日のように来ている少女が、どうしてそんなに食い入るように見ているのか聞けば、少女は陽翔を見ずにこう言った。

 「目に焼き付けているのです。こうすることで、例え放れてしまっても、この子たちを思い出すことが出来るのです」

 「・・・なら、スマホで撮ればいいじゃん。あ、でも撮影ダメか」

 「撮るとは、どういうことですか」

 「え?ああ、えっと、写真を撮るってことだよ。そうすると、データとして記録出来て、後から見ることが出来る・・・っていってもスマホ持って無いから分からないか」

 「撮ってください。この子たちの雄姿を後世に残してほしいです」

 「そうしてあげたいんだけど、水族館って撮影ダメなんだよね」

 「そうですか・・・」

 しばらく一緒にいるが、初めて見る少女の悲しげな横顔に、陽翔はなんとかしてあげたいと思った。

 とはいえ、禁止されていることをするわけにもいかなかった。

 「だから」

 陽翔は少女の腕を掴むと、少女を連れてお土産が売っている店まで向かった。

 外に出るわけではないから、また戻って来られると伝えれば、少女は後ろ髪を引かれながらも付いてきてくれた。

 「わあ」

 「初めてなの?お土産屋さん」

 「初めてです。いつもみんなを見ているだけだったので」

 ほぼ毎日来ているのに、土産屋にも来たことがないという少女は、そこにあるぬいぐるみやポスターカード、お菓子などを興味深そうに見ていた。

 「これはなんですか?」

 くるっと陽翔を見て来た少女の手には、ペンギンのぬいぐるみがあった。

 青とピンクの可愛い2羽のペンギンが互いに抱き合っているそれの説明をすると、少女は訝しげな表情を見せた。

 「このような配色は見たことがありません」

 「ぬいぐるみだからさ。可愛く見えるようにしてるんだよ」

 「可愛い?」

 首を傾げながらそのぬいぐるみを見ていた少女だが、すぐにそれをもとに戻すと、今度は水族館にいる生物たちが載っている本を手に取った。

 一冊、試し読みの本があったため、それを広げて眺めている少女は、幼いはずなのに綺麗に見えた。

 彼女、とはいっても別れた彼女だが、その彼女はこんなにじっくりと水族館の何かを見ていたことはない。

 ペンギンとかイルカのショーは見たいと言うのだが、結局はまた行きたいとも、楽しかったとも言っていなかった。

 比べてしまうのは申し訳ないと思うのだが、その少女はなんというか、本当に、ただ、泡に消えてしまった人魚のように儚いように思えた。

 「それ、欲しいの?」

 「いいえ」

 「欲しそうな顔してるけど」

 「心が読めるのですか?」

 「読めないけど、勘かな?」

 どうして分かるのかと聞かれれば、あんなに楽しそうに読んでいた本で、現に今もずっとその本を抱きしめている。

 これで欲しくないと言われたとしても、嘘だと分かる。

 大学に入ってすぐから最近までバイトをしていた陽翔は、少女に本くらい買ってあげたかったのだが、少女は欲しそうにしながらも、すぐには首を縦に振らなかった。

 何を遠慮しているのか分からないが、このままでは埒が明かないと、陽翔は少女の手から本を取りあげると、レジに向かった。

 「俺も読んでみたかったんだ」

 会計が終わって、そう言いながら少女に渡すと、少女は嬉しそうに笑った。

 とはいえ、やはりご飯に誘っても一緒に行ってはくれないし、会うのは水族館だけで、陽翔が会いに来るだけ。

 それでも、少女との時間は落ち着いた。







 「よし。今日は午前と午後に面接一社ずつか。あー、面倒臭ぇ」

 面接や説明会、それに卒論の調べ物の時間が増えれば、それだけ少女に会う時間が少なくなってしまう。

 それでもやらなければいけないなんて、なんでこの時期に少女に会ってしまったのだろう。

 午前の面接が終わり、昼食は軽く済ませる。

 また電車に乗って揺られ、人に押されて流され、もしも電車通勤にでもなったら、毎日が息苦しいことになりそうだ。

 自転車に乗って家に帰れば、今度は卒論を進めるために、集めてきた資料を読み、まとめ、考察などをしていく。

 この作業がとんでもなく面倒臭いのだが、これを書かないことには、これまで取ってきた単位も全て無駄になるため、これだけは終わらせるしかない。

 夜も11時半を回った頃、陽翔は布団に寝転がり、スマホをいじる。

 当然のことだが、少女からは連絡など一切ないし、そこには少女の写真さえない。

 少女の面影も見当たらないスマホから目線を外すと、明日の予定を思い浮かべる。

 「面接は午前だけ。エントリーシートは書き溜めてある。卒論は4割終了・・・」

 そうなれば、明日の午後、陽翔の行動は知らず知らずのうちに1つに絞られていて。

 「いた」

 いつもの水族館に足を運ぶと、そこにはまた、少女がいた。

 陽翔が買って渡した本を抱きしめながら、目の前の水槽を眺めていたため、陽翔は何も言わずに隣に立った。

 少しして陽翔に気付くと、そのまま何も話さずに2人して水槽を見つめていた。

 それから5分ほど経ったとき、陽翔が少女に話しかけた。

 「水族館から出てみない?」

 「嫌です」

 勇気を振り絞って言った言葉を真っ二つに切られてしまい、陽翔はぐさっと刺さったソレになんとか耐えた。

 「ほら、遊園地とか」

 「嫌です」

 「楽しいところなんだけどなぁ。じゃあ、映画館とか」

 「嫌です」

 「俺も観たいものないからなぁ。あとは、図書館とかだけど、眠くなりそうか」

 「此処が嫌いですか?」

 「え?」

 陽翔が色んな場所を言いだしたからか、少女は水槽を見つめながらも、その顔はどこかムッとしていた。

 本もぎゅっと握りしめていたままだったが、少女の周りには魚たちが集まってきて、次第に少女は笑顔を取り戻した。

 しまいには、その大きな水槽の主とも言えるジンベエザメも近づいてきて、少女と目を合わせると、そのまま優雅に去って行った。

 「ごめんね」

 少女の言葉も待たずに、陽翔は続ける。

 「此処が嫌いなわけじゃない。俺も、ここは落ちつくし、ウリちゃんが此処が良いっていうなら、此処に来る。だから、怒らないでほしい」

 「怒る?」

 「怒ってたよね?」

 「怒る?違います。怒るじゃなくて、寂しいです」

 「寂しい?」

 「こんなに綺麗な世界が嫌いだなんて、寂しいです。太陽が見えなくても輝いているこの世界を、嫌うなんて信じられません」

 「・・・・・・」

 視線を少女から水槽に向けると、そこには深い青に包まれながら、大きく自由に、そして優雅に舞う姿。

 人間は決して生きることの出来ないその世界にいる彼らを、少女は目を細めながら恍惚と仰ぐ。

 そんな少女に身惚れていたなんて、恥ずかしくて言えないが。

 「あ」

 ふと、陽翔はスマホがぶるぶると震えている事に気付き、慌てて話せる場所へと向かう。

 「はい、海科です」

 その電話が終わってすぐに少女のもとへ戻るが、少女の姿は無くなっていた。

 何処か違う場所に行ったのかと思い、水族館の中を走り回って探してみたが、何処にもいなかった。

 帰ってしまったのかと、少女の名前が入ったクラゲをしばらく眺めてから、陽翔は家に帰った。







 「陽翔、卒論どこまで行った?」

 「んー?半分は終わった」

 「早くね!?もうそんなに終わったのか!?いや、正直言って、着手するのは俺の方が早かったよな?あれか?就活後回しにしてるのか」

 「そっちもやってるよ。二次面接に進んでるのと、最終面接まで進んだとこもあるし。早く決まればいいんだけどな」

 「まじか。お前ちっともやってねぇと思ってた。誤算だ。これは大きな誤算だ」

 「お前は公務員になりたいんだろ。俺は別に何でもいいと思ってるし。それより、なんで俺のレポート映してるんだよ」

 「昨日バイトで遅くなってさ。これ提出明日までだったよな?ちょっとくらい手伝ってくれよ」

 「いいけど、全部映すなよな。バレたら俺までとばっちり喰うから」

 「ほいほーい」

 それからしばらくは、水族館に行くことが出来なかった。

 だが、卒論も就活も順調に進んでいて、早く終わればそれだけ少女に会える時間が増えると、その気持ちだった。

 「俺帰るからレポート返せ」

 「ええ!?もうちょっと待てよ!」

 「後は自分でやれ」

 陽翔のレポートを必死になって映している友達に喝を入れ、陽翔は外に出る。

 外は寒くて、キルティングジャケットだけじゃ心許ないくらいだが、自転車を漕いでいればすぐに暖まるだろうと、急いで自転車置き場まで向かう。

 「うー・・・」

 自転車を漕ぎ始めると、冷たい風が顔に直接あたって痛いくらいだ。

 それでも足を動かしていると、そのうちだんだんと身体がぽかぽかしてきて、家に着く頃には汗ばむくらいになっていた。

 コップ1杯水を飲んで、炬燵にもならない小さなテーブルの上に書きかけのレポートを並べる。

 パソコンは昔から使っているもので、型は古いのだが使いやすいためずっとそれを使っている。

 ネットにも繋げていないため、ただレポートなどの文章を書くためだけのものになってしまったが、それでも無いよりはずっとマシだ。

 スマホを開いて予定を確認していると、別れた、というか別れを告げられた彼女からメールが来た。

 「なんだ?」

 今更なんだろうと思っていると、そこには次のような事が書かれていた。

 『私達、やり直せるかな?』

 しばらくその画面をじっと見つめていた陽翔だが、その日、そのメールに返信をすることはなかった。

 そのうち適当に自分以外の男を見つけるだろうと思っていたのだが、次の日も、その次の日も、同じようなメールが届いた。

 『やっぱり陽翔じゃないとダメみたい』

 『まだ私のこと好き?』

 『今度会って話そうよ』

 人を振っておいてまた好きだのなんだのと、陽翔は考えた末、答えた。

 『ごめん』

 ただそれだけなのだが、陽翔の気持ちは伝わるだろうと思った。

 それに、互いに卒論も就活もしていて忙しいのだから、この時期にまた付き合うとかそういう話はいらないだろう。

 水族館なんて、冬場に好き好んで行くとは思っていなかったが、あの少女をただ見ていたかった。

 「ウリちゃん、か。今日も水族館に行ってるのかな」

 頬杖をつきながら、そんなことを思う。

 本名も何も分からないが、水族館に魅了されているのか、それとも魚が好きなのか、とにかく其処にいる少女のことを思い出すだけで、会いたくなる。

 ふと暗くなっている外を見ると、雨が降りそうな天気だった。

 「寒そう」

 そんなことを思っていると、スマホが鳴った。

 「はい、海科です」


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