香る想い出

文字数 862文字

……やあ。久しぶりだね、ご主人さま。
この頃はふだんから、僕を箱にしまったままだね。半年ぶりかな? 窓ごしに夜の月を眺めるのは……。

おや、今夜は僕に火を(とも)すのかい? 珍しいこともあるもんだね、このところずうっと僕を避けていたのに……。ご主人さま、どういう風の吹きまわしかな?

いや、嫌だとは言わないよ。火をともされるたび、溶けて小さくなっていっても、それが僕の運命だからね。形あるものいつかは壊れる、僕は溶けてなくなるだけだ。

……ねえご主人さま、今日のデートはうまくいった? 上手にプロポーズできたかい? あんまり気ばっておおげさなバラの花束抱えたりなんかして、例の彼女にひかれなかった?

はは、そんなことないよね。そんなことないって分かっているよ。ご主人さまが嬉しいような、そのくせどこか痛んだような、何とも複雑なその顔で、こうして僕を箱から取り出した時からね……。

大丈夫だよ、ご主人さま。昔の彼女は……僕をご主人さまにプレゼントした昔の彼女は、きっとあなたを許してくれるよ。にこにこ微笑(わら)って「おめでとう」って言ってくれるよ。

昔の彼女は、三年前にこの世からさよならしたけれど……誰も治せない難病になって、僕をご主人さまへの形見に、天国へ旅立っていったけど……。

僕も何も恨みはしないよ、「死んだ人に逢えるロウソク」……。その実は香りで人間の記憶を刺激して、幻を()せるアロマキャンドル、この僕も何も恨みはしない……。

幻だって分かっていても、この僕をともして「昔の彼女」にちゃんと再婚の報告をして、謝ろうっていうご主人さまを、きっと誰も責めはしないよ。

……ああ、この後はどうなるのかな? 僕は目につかない場所に大切にしまいっぱなしになるのかな。祈るように拝むように、優しく捨てられるのかな。

……けれども、ご主人さま。僕はあなたを恨みはしない。心から祈るよ、新しい生活の幸せを……。

ほら、そろそろ白百合(しらゆり)の香りが満ちてきた。この香りに包まれて、揺らめく炎を瞳に映して、昔の彼女と最後のデートを楽しんで……。

――ああ。月が、綺麗だな。(了)
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