第1話

文字数 4,662文字

天井がやけに近い。視界が回る。狭い空間に数人の大人たち。

「大丈夫ですか?わかりますか?」

大きな声で言いながら肩に触れたその人は、水色の制服と白色のヘルメットを身に着けていた。そこで初めて、自分が救急車に乗っていることに気づいた。身体はどこも痛まず、頭だけが鉛のように重い。気を抜くと遠のきそうになる意識を、流れに任せて手放してしまいたい。そんな衝動に駆られたが、どうにか踏みとどまった。

「息子のお迎えに行かなければいけないんです」

ようやく言葉を絞り出し、それだけを譫言のように繰り返した。

家で掃除をしていたはずだった。途切れた記憶の足跡を、いつも追えるわけではない。目覚めたら他の場所にいる。それ自体は珍しくないが、救急車の車内はさすがに初めてだった。
外側から見れば赤橙がピカピカ光っていたのだろう。内側に乗っていると、それさえも見えない。どちら側にいるかで景色は変わる。救急車の車内は、外見よりも随分と地味だ。



◇◇◇

「気がついたら救急車のなかにいました。お店の駐車場で倒れたようです」
「怪我とかはなかったですか?その後の体調はどうですか?」
「友人から聞いた話によると、眩暈を起こして倒れたようです。当日は吐き気と眩暈が酷かったけれど、今は大丈夫です」
「それならよかった。大変でしたね」

病院で医師と対面し、数週間の出来事のなかから幾つかのエピソードを抜粋して話す。いつ時間が欠けて、何時間ぶん記憶が飛んで、その間に何をしていて。それらすべてを伝えようと思ったら、診療枠内の時間では到底足りない。


2020年の夏、『解離性同一性障害』と診断された。すでに判明しているだけで、私以外に4~5人の別人格がいるらしい。いわゆる、多重人格である。

主治医から、直接告げられた。特に珍しいわけでもないのだと、柔らかい口調で言われた。正直、「そんなことを言われても」と思った。
珍しいものではないと言うが、よくあるものでもない。圧倒的なマイノリティに違いないのに、動揺せずにいるなんて不可能だった。

「何で今更……。虐待されていたのは20年以上も前なのに」
「今こうなっているわけではなく、ずっと昔からあなたのなかに居たんですよ。交代人格が目立つ行動をしないタイプの人たちだと、ご本人は死ぬまで気づかないケースもあります。その反対に、年若くして気づかれるケースもある。あなたの場合は、それが今だっただけです」

ずっと私のなかで生きていた”わたし”。別人でありながら、私と地続きの”わたし”。

「その人たちはあなた自身です」と医師は言った。彼らは、一人の幼馴染の前にある日唐突に表れた。その後は隠す必要がなくなったからなのか、頻繁に表れては様々な話をするようになったという。男性の人格も一人いて、以前煙草を吸っていたのはその人だとのちに聞いた。煙草を吸った覚えもないのに、吸い殻が目の前にある。その状況にパニックを起こしていた日々が、すでに懐かしい。

虐待から解放され、夫の暴言からも解放されて、ようやく人としての尊厳を保つ生きかたができると思っていた。何故今、このタイミングでこんなにも別人格が頻繁に表に出るようになったのか。

「その人たちは、あなたを守るために生まれたのです。自分たちが表に出ることで、交代であなたを休ませようとしているのです」

ようやく心身ともに休める環境を手に入れた。それが記憶の蓋を緩ませ、一気に溢れる要因となったのだろうか。もしそうなら私は、夫のDVから逃れるべきではなかったのか。家を出なければ、記憶の欠落に悩まされることもなかったのか。

いつになったら、私は過去から解放されるのだろう。
喉の奥が軋むほどの大声で叫んだところで、何が変わるわけでもない。


過去、記憶の欠如は幾度となくあった。しかし私はそれを、安定剤服薬による副作用だと思っていた。当時の私は、規定量以上の薬を飲んでしまう日が多々あった。フラッシュバックから逃れるため、強制的に意識を失える程度の安定剤や眠剤をラムネのように貪っていた。のちに襲い来る吐き気や頭痛を知っても尚、その方法で現実逃避するのをやめられなかった。

学生時代の記憶は、もはやあまりに断片的だ。流れるように覚えている事柄もあるが、全体像の3割ほどしか記憶にないもののほうが多い。
この数か月で様々な記憶が脳内に溢れた。そのどれもが”フィクションだったらいいのに”と思うほど惨い内容であり、記憶を取り戻したショックから、「私」は数日間表に出てこなかったそうだ。

”らしい”や”そうだ”が多いのには、理由がある。私自身は、なかの人たちと一切コミュニケーションが取れない。どんな人たちで、どんな思考を持っていて、表に出ているときは何をして過ごしているのか。それらすべてを、私は前述した幼馴染から聞くより他ない。その人の前以外では、なかの人たちは「私」のフリをしてくれているらしい。私の生活を大きく浸食する動きはせず、日々のルーティンを淡々とこなす。暴言を吐くでもなく、暴れるでもない。波風を立てぬよう、外出も必要最小限に留めてひっそりと暮らす。そうすることで、私の日常を守ろうとしてくれているらしい。

私が知る症例は、もっと劇的なものばかりだった。だから他の病名の可能性もあるのではないか。そう思って聞いてみたが、きっぱりと否定された。

「劇的な症例のほうがどうしても目立ちやすいというだけで、あなたのようにひっそりと存在している人たちのほうがむしろ多いのです。どちらが嘘とか本当とかいう話ではなく、統計上の話です」

私が持っている書籍にも、同じような説明が書かれていた。本当は私自身、その病名に間違いないだろうと初診の時点でわかっていた。ただそれを認めたくなくて、無駄に足掻いていただけに過ぎない。


私は今年、40歳になる。この年まで気づかなかった。ずっと昔、自分のなかで女の子の泣き声が聞こえていた時期があったのは覚えている。でも私は、それを自身が作り上げた妄想だと勝手に判断していた。インナーチャイルドの声が聞こえた気がした。ただそれだけだと解釈していた。
5歳の女の子が今も尚、私のなかにいるらしい。その子が現れたのは、おそらく父に性的な行為を強要されたことが引き金であった。


「不安は不安を呼びます。交代人格を否定したり、交代しないようにしなきゃと変に力を入れたりすると、余計に解離が起こりやすくなってしまう。すぐには無理かもしれないけど、交代は必要だから起こっているのだと捉えられたらいいですね」

「はい」とも「いいえ」とも答えられずにいる私に、医師は穏やかな声でこうつけ足した。

「なかの人たちを、もっと信頼しましょう」

その言葉をすぐには受けとめられず、曖昧に頷いて診察室をあとにした。医師の言うことはもっともで、何一つ間違っていない。私が病状を受けとめるのが第一であり、そこからようやく治療が始まる。


診断を受けて、数か月が過ぎた。散々泣いて、散々喚いて、散々落ち込んだ。だからそろそろ、受け入れようと思う。受け入れたくない現実だとしても、それを悲観し続けたところで事態は何も変わらない。
虐待を受けていた過去は変えられない。それによって表れた症状は、究極の防衛本能とも言える。そうまでして生き延びたかった。救われたかった。そういう自分を否定するのは、もうやめにしたい。


解離性同一性障害と診断された。しかしその病名は、私のアイデンティティではない。私は、虐待の原体験を自身のアイデンティティにするつもりはさらさらない。

私に大切なものを教えてくれたのは、たった一人の幼馴染であり、家を出たあとに知り合った恋人であり、小説の登場人物であり、ネットの海で出会った文章であり、絵画であり、映画であり、信頼できる医師であり、二人のかけがえのない息子たちであった。
それこそが、私のアイデンティティだ。私が一生大切に抱きしめていたいもの。その温もりこそが、私をかたちづくったものだ。

両親が私にもたらしたものは、痛みと憎しみだけだ。他のものを気まぐれに与えられた日もあったが、それらはすべて恨みに飲み込まれた。だからもう、いい。


前を向けない日もある。泣き叫んでシーツをぐちゃぐちゃにしながら、枕に押しつけた口元で罵詈雑言を吐き出している夜もある。誰にも見えない場所で書いた小説のなかで復讐を遂げたこともあるし、フラッシュバックで我を失い「もういい加減誰か殺してくれよ」と思ってしまう日もある。

だからこそ思う。

私は、しあわせになりたい。

今だってしあわせを感じる瞬間はたくさんある。美味しいものを食べたとき。会いたい人に会えたとき。息子の笑顔が見られたとき。愛しい気持ちが溢れた文章を目にしたとき。私が描いたしょうもない絵を見て「笑顔になれた、ありがとう」と言ってもらえたとき。

苦しい体験がゼロの人なんて、きっといない。大なり少なりみんな色々ある。そして、その「大」も「小」も、決められるのは本人だけだ。だったら私は、今の自分の苦しみを「小」と捉え、笑顔になれた瞬間のしあわせを「大」と捉えたい。うまくできないときもある。それはそれでいい。ただ、そういう心持ちで生きようと決めた。


病名を告げられてしばらくした頃、とある友人と話をした。恐る恐る告げた私の病名に対し、その人は一切の躊躇いを見せず、事も無げにこう言った。

「じゃあ、はるさんはゴレンジャーですね!」

私自身を含め、およそ5人の人格を持って生きている。そんな私に対し、何てことないみたいに、食べ物の好き嫌いと同じ話みたいに、その人は言った。今でも、心の奥深くに残っている。当たり前のように受けとめてもらえた。朗らかな声で伝えてくれた一言が、とても嬉しかった。

平和を願うゴレンジャー。うん、悪くない。

できないことを数えない。できることを、数える。


ようやくスタートラインに立てた。ここからどう進んでいくのか、私はそれを自分で決める権利がある。大丈夫にするのか、飲み込まれるのか。それを決められるのは私だけだ。


◇◇◇

クリスマスローズが俯きがちに咲く頃、夫の元を離れて一人暮らしを始めた。
紫陽花がしとやかに花開く頃、徐々に記憶の蓋が緩み始めた。
向日葵が顔を上げる頃、一気に溢れた。
秋桜が揺れる頃、過去から現在に至るまでの自身の足跡が見えてきた。
金木犀が香る頃、ようやく私は私を受け入れる準備が整った。

季節は巡る。どんなときでも。
南天の真っ赤な実のあとは、再びクリスマスローズが花茎をもたげ始める。桜が一斉に咲き乱れ、葉桜となり、新緑の若葉が芽吹く。

心は日々変わる。季節とともに移ろいゆくそれらを携え、空と海と大地のそばで可能な限りすこやかに根を下ろして生きていく。


医師が、病室を出る直前に言ってくれた。

「大事なのは病名じゃない。あなたが、どう生きているかです」


来年の金木犀が香る頃、私がどんなふうに「生きている」のか。大事なのはそのことなのだと、忘れないために此処に書き残しておく。来年の今頃、この文章を読んだ私がどう思うのか。願わくば、今日の自分に恥じない「わたし」で在りますように。


空を見上げる。曇り空は、薄い灰色と水色が混ざり合っている。何処かから、金木犀の甘い香りが漂ってくる。胸いっぱいに大好きな香りを吸い込んだ。肺に取り込まれた酸素が、私の体内を巡る。ぐるぐると、必要な量の酸素が血液に乗って全身に行き渡る。


生きている。花や木々と同じように。
そのことに、今は静かに感謝したい。

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