第1話 言えない二人

文字数 1,998文字

「こんにちは」
「こんにちは。おい、どうした?」
「なんでもないよ」
武は、同じマンションに住む知り合いの夫婦に挨拶をしたが、葉子はどこか浮かない顔だった。
気のせいかと思いながらこの日は部屋に戻ったが、後日、地域のお祭りが開催された。武夫婦は地域の役員として動いていた。
「あれ、葉子は」
「奥さんは、山本さんの旦那さんと向こうの方にいましたよ」
「そうですか」
不思議に思いながら妻を探すと山本の妻に話しかけられた。仕事を持つ彼女は専業主婦の葉子とは正反対の女性。ビールを飲む山本の妻の話に付き合った武は、やっと葉子を見つけた。
「何処にいたんだ」
「向こうのテントで高齢者の手伝いよ」
「そう、か」
何処か暗い顔の葉子の背後には山本が立っていた。この雰囲気に武はこの夜、妻に探りを入れた。
「お前。山本さんのご主人と何かあったのか」
「何もないよ」
「ならいいけれど」
この夜は静かに過ごしたが、翌朝、マンションを出ると山本と一緒になった。
昨日の祭りの労いであったが、武はなぜか空々しい話に聞こえた。


「奥さんが浮気っすか」
「何かわからないが」
「先輩の奥さんって、大人しそうな人ですよね」
後輩の佐藤はそう言って信号待ちで車を停めた。
「俺は独身なんでわからないすっが、盗聴器とかは?」
「盗聴器?」
現在は文房具の形など色んな種類の盗聴器があり、これを家に仕掛けておけば妻の様子がわかると彼は言った。
「家にいる時に何をしているかわかりますね」
「そんな。疑う真似なんて」
「直接奥さんに聞くのが一番だと思いますけど」
そう言って彼は車を進めた。武も不安を払拭するために決心した。


そんな武は妻が実家に遊びに行った隙に、部屋に仕掛けようとした。
「ん?これは何だ」
見慣れないコンセント。嫌な予感がした。これを辿り彼は盗聴器を発見した。
……どういうことだ?誰がこんな事を。
彼はこれを外した。しかし、一つの考えが浮かんだ。
外した事を知った犯人が、回収や、自分たちに接触してくる可能性を彼は思った。
警察に相談しても、今のところ被害はないと考えた彼は、自分の仕掛けも忘れて部屋中を確認した。
「ただいま。どうしたの」
「葉子。ここに座れ」
「怖い顔。え、何それ」
テーブルの上の小型機。妻の顔色が真っ青になった。
「お前、何か心当たりがあるのか」
「……」
「男でもいるのか」
「そうじゃないけど」
妻は椅子に座ると細々と話し出した。
「昔の彼氏?」
「うん。大昔のね」
同じマンションに住む山本は元彼。そんな山本は葉子と浮気をしようとしつこく誘っていたと彼女は白状した。
「奥さんがいるのに。信じられないでしょう」
「ああ。そんな人に見えないな」
そんな山本とは、彼の浮気で別れてそれっきりだったと葉子は言った。
「どうして言ってくれなかったんだよ」
「やきもち焼くと思って」
「まあな」
実際。浮気を疑い盗聴器まで用意していた武はこれをそっとしまった。
そんな夫に葉子はコーヒーを淹れようとキッチンに立った。
妻の後ろ姿を武はじっと見ていた。
「なあ、俺から向こうにハッキリ言うから」
「うん」
「それでもダメなら奥さんに言うさ」
「でもさ。ここに住みづらくなるよ」
このマンションは武が気に入って買ったもの。葉子はこれを気にして今まで黙っていたと彼はようやく理解した。
「何を言っているんだよ。お前の方が大事だろう」
「武ちゃん」
「あのな。葉子」
彼は妻を背後から抱きしめた。
「……俺達は夫婦だろ。何でも言ってくれよ」
「わかった」
「他にもうないか」
「ある……」
妻は、結婚指輪を無くしてしまったと夫に呟いた。
「ごめんなさい。前にお母さんと日帰り温泉で」
「いいんだ、そんな事は」
「怒らないの?」
「ああ」
機嫌の良い夫に葉子は目をパチクリとさせた。
「俺もサイズが合わないんだ。新しいのを買おう」
「う、うん」
元気に笑った妻に、彼もほっとしたのだった。


「先輩。結果はどうなったんすか」
「転勤で出て行った」
自宅から盗聴器が出てきたので、警察に妻へのストーカー被害届出をしたと嘘を言った矢先、山本夫婦は転勤を理由に出て行った。
「良かったすね。あ、奥さんだ」
「どうも。主人がお世話になっています」
会社の帰りに食事に行く約束の夫婦。オフィスビルのロビー。武は電話が鳴ったので佐藤が葉子の相手をした。
「奥さんっていつも綺麗ですね」
「ふふ。滅多にお会いしないと思いますが」
「ご主人の待ち受けって奥さんなんで。つい自分も見てます」
「ふふふ」
「おい!恥ずかしいことバラすな。さ、葉子、行くぞ」
「はい」
落ち葉が舞うオフィス街のレンガ道。妻にマフラーを巻いてもらった夫は宝物のように妻の腕を組み夜の街へと歩いて行ったのだった。





ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み