第1話

文字数 5,878文字

 息子がついに結婚する。
 連絡があったのは一週間前。久々に息子の隆司から電話があったかと思えば、交際相手を紹介したいとのことだった。一緒になりたいのだと。
 今まで隆司の恋人に会ったことがないため、紹介したいと言われたときに、本気で結婚したい相手なのだと悟った。
 そこからは大忙し。お相手の好きな食べ物や家具の配置などで、この一週間頭を悩ませていた。
 この日をどれだけ待ちわびていたか。
 真面目に育った隆司は反抗期も夜遊びもなく、難関と言われる大学を卒業した後、製薬会社に就職した。順風満帆な人生。我が息子ながらとても立派である。
 三十一歳。
 私たちの時代は三十一歳で結婚なんて、周囲から遅いと言われていたけれど、今の時代では丁度いい頃合いではないだろうか。
 相手がどんな人なのか何一つ聞いていない。当日の楽しみにしようと思い、隆司には聞かなかった。隆司もまた、私に「紹介する」以上のことは言わなかった。
 隆司が三十一歳だから、相手も同じ年齢だといいのだけれど。
 最近は年の差婚をよく聞く。近所の山田さんの娘さんも親戚の由香ちゃんも、結婚相手とは十歳以上も離れている。
 隆司の相手が十歳も離れていたらどうしようか。
 二十一歳ならば、まだ社会のことは分からないだろう。もしや狙いは隆司の収入か、と疑ってしまうかもしれない。
 四十一歳ならば、もう子どもは望めないだろう。生めないこともないだろうけれど、優しい隆司はリスクの高い高齢出産をさせないはずだ。孫は諦めるしかない。
 世間知らずの嫁が来たとしても、これから覚えればいいだけだからさほど問題はないし、どうしても孫の顔が見たいというわけでもない。
 だから十歳も年齢が離れていたとしても、大きな障壁にはならない。
 大事なのは性格だ。
 隆司が厄介な女を連れてくるとは思えないが、しっかり見極めなければならない。
 夫はどうせ誰を連れてきても「よかったじゃないか」と笑うだけだろう。女のことは女が一番分かっている。私がしっかり観察しよう。

 夫とそわそわしながらリビングで待機していると、玄関の扉が開く音がした。
 隆司の「ただいま」という声が聞こえ、私と夫はいそいそと足を動かして嫁となる人物の顔を見に、玄関まで行った。

「......え?」

 ぽかんと口が開いたままふさがらない。
 夫は私よりも動揺していないようで、「や、やあ。いらっしゃい」と声をかけている。
 それでも、動揺は隠せていない。

「こんにちは。笹原良平と申します」

 良平。りょうへい。
 女に付けることのない名前と、低い声。
 服の上からでも分かる、がっしりとした体。
 すべてが「男」であると物語っていた。

「な、な、な、な、なん!?」
「か、母さん、落ち着いて!」
「お、お、お、お、お」
「母さん!」

 夫が隣で私の肩を叩くが、頭はもうパニックだ。
 何故男を連れてきたのか。
 今日は友達を連れてくるという話だっただろうか。私が聞き間違えたのか。

「どどどどうして!?」

 思わず人差し指を男に向ける。

「か、母さん」

 隆司は困ったような表情で私と男の間に入る。

「きょ、今日はお友達を連れてくる予定だったかしら」
「いや、交際相手を紹介するって話を先週したよね」
「こ、交際相手ってどこに……」
「ここにいるよ」

 笹原良平と名乗った男はぺこりと頭を下げた。
 どうすればいいか分からず、急いでリビングに戻って扉を閉める。

 どうしよう。
 男。交際相手。笹原良平。
 意味が分からない。
 つまりどういうこと。
 交際相手が男ってことなの。
 一緒になる、ってそういうこと。何か変だと思っていた。結婚する、ではなく一緒になるなんて。隆司が今住んでいる地域で暮らすことを考えているのならば、確かに、結婚ではなく一緒になるという言い方が正解だ。あそこはまだ同性婚が認められていない。近年、同性で結婚するカップルが増えているからか、同性婚を認める地域も増えている。
 何度もよく耳にするニュースだ。同性婚の話題はいろんなところで出る。
 しかしまさか、我が子が同性を好きになる日がこようとは思ってもみなかった。
 「恋愛は自由だものね」「好きになる相手が同性とは限らないわ」「時代は変わってるのね」なんて呑気にご近所さんたちと話していたのは、私が無関係でいられたからだ。
 結婚するなら当然、嫁が来るのだと思っていた。
 嫁を待っていたのだ。
 男を待っていたのではない。

「母さん」

 夫の声が扉越しに聞こえる。
 冷静な声色は、現実を受け止めた証拠だ。

「ま、待ってちょうだい。男なんて、聞いてないわ」
「来てくれたのだから、入ってもらおう」
「い、嫌よ」
「母さん」
「あなたには分からないわ!」

 つい怒鳴ってしまった。
 けれど、私の身にもなってほしい。
 可愛い一人息子が、「一緒になる人を紹介する」と言ってきて、心待ちにしていたら彼氏を連れてきた。
 今でも受け入れられない。何かの間違いではないのか。
 嫁を想像していたのに、がたいのいい男なんて。
 頭がパンクしそうだ。

「恋愛は自由だと自分で言っていたじゃないか」
「そ、そんなこと言ってません」
「この間、ニュースを見ながら言っていただろう」
「気のせいよ」

 夫が大きくため息を吐いた。
 夫はもう息子の味方らしい。
 三人で何やら話しているようだが、私はまだ受け入れられない。
 隆司に説得されても、私は首を縦に振る自身はない。
 そこからずいぶん長い時間三人は話し込んでいた。すると、急に足音が遠のき、玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
 どうやら二人は帰ったらしい。
 夫が一人、扉の前に立ったのが分かる。

「二人は帰ったよ。俺を締め出す気か」

 二人がいないなら、と扉を開ける。
 そこには呆れ顔の夫がいた。
 夫はソファに腰かけて、隣に私を座らせた。
 私を説得するつもりだ。
 雰囲気で察した。

「はぁ、君が話を聞かないから俺が変わりに聞いたよ」
「何が」
「二人はM市で暮らし、三年経ったらS市に引っ越すようだ」

 S市では三か月前、同性婚が認められた。
 つまり、三年後に二人は籍を入れるのだ。
 同性の結婚。嫁ではなく、婿。
 たった一人の息子。嫁をもらうのだとばかり思っていたのに。
 そう考えて、はっとした。

「みょ、苗字は? どちらが婿入りするの?」
「さぁ、そこまでは知らないが」
「だってうちは一人息子なのよ!?」
「それがどうした」
「あの子が跡継ぎになるのよ!?」
「跡継ぎって言ったって、男同士だから孫は生めないだろう」
「……あ」
「まあ、子どもがほしいなら養子をもらうなり、手段はあるだろうが」

 孫がほしいわけではない。
 ただ、隆司は苗字を背負っている。
 隆司が婿入りしてしまえば、血は途絶える。

「それに、うちは立派な家でもないんだから、跡継ぎなんて大袈裟な」
「大袈裟なもんですか! 私はそれを散々お義母さんから言われてきたのよ! 跡継ぎを生め跡継ぎを生め、男を生めってね!」

 夫は目を大きく見開いて驚いていた。
 それもそうだ。初めて言ったから。
 大した家でもないのに跡継ぎなんて。それは私も当時思っていた。
 会う度に言われうんざりしていたその言葉を、私はいつの間にか口から出ていたのだ。
 時が経つとはなんと恐ろしい。
 私もお義母さんのようになっているではないか。

「あぁ、どうすればいいのかしら」

 両手で頭を抱える。

「あいつには好きなようにしろと言ってあるから、冷静になったら謝っておきなさい」
「何よそれ、どういうことなの!」
「そういうことだよ。隆司の人生なのだから、隆司が一生を添い遂げる相手くらい自分で選べばいい」
「でもっ」
「もう子どもじゃないんだ。三十一だぞ」

 でも、世間体がある。
 二人が結婚したとして、世間がそう簡単に受け入れてくれるものではない。
 男二人で仲良く暮らしているところを見られたら、白い目で見られてしまう。息子がそんな目で見られるなんて耐えられない。

「はぁ、一体何がそんなに嫌なんだ」
「あなたこそ、どうしてそんなに冷静なのよ」
「仕方ないだろう。俺たちが嫌だと言ったところでどうなるんだ」
「どうって……」
「嫁を連れてこいと言ったところで、できないだろう。隆司に一生一人で生きていけとでも言うのか」
「そうじゃないけど、でも、男同士なんて」

 気持ち悪いじゃない。
 そう口から出そうになった。
 慌てて両手で口元を押さえる。
 気持ち悪い。
 そうだ、結局私はそう言いたいのだ。
 男同士で恋愛なんて気持ち悪い。恋愛は男女でするものだ。

「お、おい、泣くなよ」

 夫は驚きながら、ティッシュを差し出した。
 私は素直に受け取ることができず、ふいっと顔を逸らす。
 息子に対して、ひどい感情を抱いてしまった。
 気持ち悪いだなんて。
 でも、実際そう思ってしまう。
 一体どうすればいいのか分からない。
 育て方を間違えたのだろうか。隆司のためを思って、私立に通わせたり、習い事をたくさんさせたり、選択肢を多く与えた。それがいけなかったのか。選択肢を与えすぎたのか。
 ひっくひっくと肩を震わせていると、夫は私の背中を撫でながら言う。

「隆司も大人なんだ。自分で考えて、選ぶことができる。良平くんは良い子だったぞ。隆司の人を見る目は確かだ」
「……知ってるわ」
「いいじゃないか、同性婚。性別なんて関係なく、二人は惹かれるものがあったんだろう」
「でも、世間体が」
「そんなことは当の本人たちが一番分かっているだろう。それでも一緒になりたいと言っているんだ」

 それもそうだ。
 同性同士の恋愛における障壁などは本人たちが一番理解している。
 私はテレビで見ただけで、同性を好きになったことなんてない。理解はできない。だから気持ち悪いと思ったのだ。

「それにな、あの二人が結婚するのはもう決定しているようなもんだ。俺たちが反対したところで、破棄になったりしない。今日だって、許しを貰いに来たんじゃなくて紹介しに来たんだ」
「わ、私はまだ受け入れられないわ」
「あぁ、ゆっくり考えたらいい。ただ、俺たちが認めても認めなくても、あの二人には関係ないんだ。そういう時代じゃないんだ」

 私たちの時代は、両親が認めた相手でないと結婚なんてできなかった。
 都会はどうか分からないが、田舎ではまだ見合い結婚が多かった。
 両親が認めた相手をあてがわれ、結婚する。
 恋愛結婚もあったが、両親が反対すれば二人は別れるか、絶縁して苦労覚悟で駆け落ちするしかなかった。
 しかし今は、親が反対しようが子は勝手に結婚するし、それが理由で親と絶縁しても平気な若者がいると聞く。
 むしろ親が反対するケースは少ないのだとか。子どもが選んだ相手なら、と納得するしかないのだと隣の佐藤さんが言っていた。

「ほ、ほらこれ」

 夫はテーブルの上にあった新聞の中から一枚のチラシを抜き出し、見せてきた。
 そこには「同性婚の理解を深めよう」という、講演会について記載されている。場所は近くの公民館だ。

「こういうのに参加してみたらいいんじゃないかな」
「……でもこんなところに行ったら、息子が同性愛者だと言っているようなものじゃない」
「そんなわけあるか。変わっていく時代に乗ろうとする人だって来るさ。少しずつ知っていけばいいさ。時代は変わるんだ、俺たちも乗り遅れないようにしなきゃな」

 時代は変わる。
 時代が違う。
 結局それに尽きるのだ。
 私たちの頃はこうだった。そればかりを思い、今の時代を見ようとしない。いや、見ているつもりなのだ。
 夫はどうしてそんな簡単に受け入れることができたのだろう。
 私はどうしても、隆司が連れてきたあの男を思い出すと眉間にしわが寄ってしまう。

「年を重ねると、価値観は凝り固まってしまうからな。アップデートも必要なんだよ」
「あ、あっぷで……?」

 スマホすら使いこなせない私は、横文字が苦手だ。
 パソコンもスマホも、テレビの録画機能さえ使いこなせない。
 あぁ、時代についていけていない。
 夫は今も会社勤めをしているため、パソコンもスマホも使いこなしている。だからこうして、隆司のことも受け入れているのだろうか。

「年をとっても、学ぶ姿勢は大切ということさ。頑固老人になりたくはないだろう?」
「……それは、そうだけど」
「相手の親御さんは、既に受け入れているようだ」
「何よ、私だけが古い価値観を持っているとでも言いたいの?」
「そうは言ってないだろう。ただ、こういうのに参加するくらいはできるだろう?」

 夫が再度、チラシを指す。

「受け入れる努力くらい、してやったらどうだ」
「……わかってるわよ」

 私一人が古い人間だと言われているようで腹が立つ。
 相手の両親は賛成というのだから、本当に私だけが古いのだろう。
 同性婚なんて気持ち悪い。
 でも、頑固老人は嫌だ。
 受け入れる努力もせずに、ただ嫌だ嫌だと騒ぐことこそ、本当に頑固老人のようだ。
 私はチラシを手に取り、隅から隅まで読む。
 参加することくらいできる。
 私にだってそれくらいはできる。
 スマホも使えない、テレビの録画もできない。最近は喋る冷蔵庫なんかもあるらしいし、掃除ロボットもある。電子決済というものも主流になり、現金を持ち歩く人が減っているとも聞く。
 時代に取り残されたくはない。
 頑固老人になって、厄介者扱いをされたくはない。
 隆司に絶縁されたくない。

「何事も学ぶことが大切なんだ」
「何度も言わなくていいわよ」

 隆司のお遊戯会だって、運動会だって、合唱コンクールだって、受験だって、全部応援してきた。母として、息子を応援するのは当たり前だ。
 気持ち悪い、なんて思ったのは初めてで自分が嫌になる。
 息子を応援するのは当然だ。
 ただ、今回は素直に応援ができない。
 だからまずは、知るところから始めなければ。
 スマホを取り出し、電話をかけるため人差し指でゆっくり操作する。

「ね、ねぇ、電話はどうやってかけるのだったかしら?」

 今までは「連絡先」という場所にいる人たちにしかかけたことはない。
 夫は丁寧に教えてくれ、番号が並んでいる画面まで誘導してくれた。
 その顔は満足そうに笑っていて、少し腹が立つ。
 コール音が四回した後、同年代くらいの女性の声がした。

「あの、来週の講演会に参加したいのですが……えぇ、同性婚の……」

 この一回に参加したところで私の中の価値観が変わるとは思えないけれど、行動をおこさなければ、私は一生息子を気持ち悪いと思って生きるだろう。
 唯一の息子を応援したい気持ちを持つのは、母として当然なのだ。
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