秋色の心

文字数 1,994文字

「久美。明日ってさ。仕事、何時に終わるの?」
「いつも通りだよ」
結婚して二年目。子供がいない共働き夫婦。帰宅後の夫は、妻に自分の勤務先の立食パーティーに来いと話した。豪華な食事が出るが参加人数が少なく困っていると話した。
「いいよ。それって行けばいいんでしょ」
「あ?ああ」
どこかぎこちない雰囲気であったが、久美は自分の仕事が終わった足で会場にやって来た。
「あ。俊也」
「久美!こっちに来てくれ」
夫は同僚に久美を紹介した。そんな夫は、久美に目配せをした。
「済まない。仕事関係でフランスの人がいるんだ」
「……通訳の人は?」
「いいから。お前、ちょっと話をしてやってくれ」
学生時代フランスに留学していた久美は、退屈をしていた彼の話し相手をした。やがて会は終わると彼は後から来た友人とともに夜の街へ消えていった。
「久美、助かったよ」
「別にいいけど」
「俺さ。まだ付き合いがあるんだよ」
「そう」
久美は一人で帰り出した。しかし立っていたので、足が疲れていた。
どこかカフェでも寄ろうとしていた時、背後から声を掛けられた。
「中町さんの奥さんすよね」
「佐藤さん?」
「そっす」
朝からずっと接待をしていた夫の後輩は、帰宅を許されていた。そんな佐藤も疲れていたので二人は夜のオープンテラスの店に入った。
「やっと座れるね」
「疲れたっす」
二人はワインを注文した。秋の風が心地よかった。
「しかし。さっきは助かりましたよ」
「何の事?」
フランスからのお客様の対応に彼らは追われていたと溢した。
俊也が担当と聞いた久美は、仏語に自信がなかった夫は、自分の語学力を求めて今夜は呼んだと知った。
「奥さんがいる先輩が羨ましいっす」
「佐藤君は、まだ独身?」
「はい。相手はいるんすけど」
佐藤は、恋人がブランド品のバッグを愛用しているため、金銭感覚が不安で求婚できないとチーズをかじった。
「でもね。母さんとかのお下がりかもよ」
「マジすか」
「他の物はどうなの?」
靴やアクセサリーは庶民的だと佐藤は答えた。
「良い物を買って長く使う女の子もいるから。一概に浪費家とは言えないよ」
「じゃ、どうすれば分かるんすか」
「紙袋かな」
「紙袋?」
部屋にブランド品の紙袋が大量にあるなら怪しいと久美は話した。
「その袋に入れてまた売るから」
「今度探りを入れます。いや?奥さんがいると助かりますね」
「助かる、か」
感謝の言葉かもしれないが、久美には都合が良い言葉に流れていた。
やがてワイン代を男前に払った久美は、自宅に帰って来た。
……別に。協力してくれって言えば、そうしたのに。
事前に無かった話。利用された気分の久美は寂しかった。
結婚前。俊也は長年付き合っていた女性がいたが、久美と交際するため別れた過去がある。この事を後で知った久美は彼が本気と思い、結婚相手として自分も意識した。
しかし。自分のどこがそんなに良くて結婚したのか。久美はまだよくわかっていなかった。
「ただいま」
「おかえり」
久美の助っ人で上機嫌の夫はほろ酔いで上着を脱いだ。これを受け取った久美に彼は嬉しそうに抱きついて来た。
愛されているのはわかっていた。が、久美はどこか寂しかった。

その後も久美は夫のために尽くしていた。こんな俊也は妻へお礼として人気のレストランに誘ったが、彼女は必要ないと笑った。しかし日に日に妻は元気をなくしていた。
「久美。旅行に行こうか」
「いいよ。お金がかかるし」
「欲しい物とか?」
「急にどうしたの?私の事は気にしないで」
妻はそう言って毎日を過ごしていたが、彼は胸が痛んでいた。
やがて妻はしばらく実家に帰りたいと言いだした。
俊也は送り出したが妻の小さな背が悲しく見えた。

そして一週間後の週末。彼は迎えに行った。久美は親に背を押されるように実家を出た。
「久美」
「なあに」
「言いたいことがあれば言ってくれ」
運転中の夫に、久美は自分の事をどう思うのか聞いた。
「好きに決まっているだろう」
「どこが好きなの」
「全部だよ」
たぶん本音であるが、久美はまだ寂しかった。
「あのさ。最初にさ。焼き鳥屋で出会っただろう」
恋人になる前。会食で出会った久美に一目惚れしたと俊也は恥ずかしそうに言った。
「お前の事。全然知らなかったのに。だからどこがどうとか。言えないよ」
「初めて聞いた」
「初めて聞かれたからな」
時計は午前中。太陽は南に動いていた。
「で。どこに行きたい」
「家に帰る。片付けないと。そしてね」
久美はその焼き鳥屋に行きたいと夫の膝に手を置き、頭を肩に乗せた。胸が熱くなった彼は妻の手を左手で握った。
「……わかった。まずは帰ろうな」
「うん」
休日の時間。街路樹で紅く染る道。黄色信号で止まった車中の二人は、優しく見つめ合っていた。


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