第1話
文字数 2,261文字
学校から帰ってくると、作業着姿のおじさんが台所で料理を作っていた。
お父さんに似ているから、親戚のひとかな。
ぼくが怪訝な顔をしながら見つめていると、
「待っていなさい、少年。もうすぐ出来上がるからね」
「ええと、おじさんは……」
「もちろん、治部煮を作っているのさ。君はまだ小学生だし、食べたことがないはずだ。東京にいると、こういう素朴な料理とはあまり縁がないだろ?」
いや、なにをしているのかじゃなくて、誰なのかを聞きたかったのだけど。
だけどおじさんはめちゃくちゃ早口で、作っている料理の話をはじめる。
「金沢の郷土料理、治部煮。鳥肉に小麦粉をまぶしてとろみをつけ、名産のすだれ麩やしいたけ、そして食べやすいサイズに切った野菜を煮て作る、この世でもっと旨い料理のひとつさ。ほら、食べてごらん」
知らないおじさんの作ったものを口にするのは気が引けたけど、家中においしそうな匂いが漂っていたから、お腹を空かせていたぼくは我慢できずにガツガツとほおばってしまう。
「ほんとだ……。美味しい! とくに野菜が絶品だね!」
「石川が誇る名産品、加賀野菜をふんだんに使っているからな。実を言うと農家をやっていてね、治部煮に入っているさつまいもやれんこんは、俺が作ったものなんだ」
おじさんは得意げにそう言ったあと、治部煮のおかわりをよそってくれる。
それからぼくの肩をぽんと叩いて、
「君は中学生になったら、運動系の部活に入るといい。農家で働くとなると身体が資本だからね、今のうちから鍛えておくと、大人になってから苦労しないよ」
「え? ぼくはまだ農家になるなんて……」
「いいや、君は将来、金沢で野菜を育てることになる。なぜなら――」
「ちょっと待ったあああああっ!」
ガラガラガラと勢いよく玄関が開いて、今度は泥だらけのエプロンをつけたおじさんが家に入ってくる。顔を見ると最初にいたおじさんにそっくりで、まるで双子みたいだった。
「おいこら、抜けがけはよくないぞ! その少年は美術部に入るべきなのだ! 中学のときから芸術的センスを鍛えておけば、修行期間を大幅に短縮できるはずだからなあ!」
「さてはお前、輪島塗の職人に弟子入りしたのか! 確かに大学二年の春、石川に旅行した際、俺は加賀野菜の美味しさだけでなく、輪島塗の美しさにも心惹かれた覚えがある」
「そうともよ! あれから二十年、漆器作りの奥深さに魅了され修行を続けてきたが……俺の作る器はいまだ師の足元にもおよばん! ならばこそ、せめて中学のころから美術について勉強しておけばと、後悔してもしきれなかったのだ!」
「ちょっと待ってください! さっきからなんですか、運動系の部活をやれだの美術部に入れだの。いきなり出てきて、中学で入る部活を勝手に決めないでくださいよ!」
ぼくが間に入ってそう言うと、おじさんたちは顔を見合わせる。
それから親しげな笑みを浮かべて、
「いいかい、俺たちは未来から来た君自身なんだ。実を言うと農家で働きだしてからというもの、たびたび腰痛に苦しまされていてね。若いうちから足腰を鍛えておけばよかった、もう一度人生をやり直せるなら、運動系の部活に入ろう……。そう考えながら菅原神社の『栢野の大杉』と呼ばれる木に祈っていたら、この時代にタイムスリップしていた」
「俺は那谷寺の霊岩だったぞ。あそこは奇岩遊仙境と称され、紅葉の時期はとくに素晴らしい景観を楽しむことができる。このように石川は全国屈指のパワースポットエリアなので、県内のいたるところから過去にタイムスリップすることができるのだ」
「んな、めちゃくちゃな」
「――しかし事実だ! 君は未来の自分を受けいれ、そして家庭科部に入るのだ!」
うしろから突然声が響いたので、ぼくとおじさんふたりはバッと振り返る。
すると今度は、割烹着姿のおじさんが立っていて、
「石川と言えば和菓子、とくにきんつばやあんころ餅などの小豆を使ったお菓子は長年にわたって人々に愛されている。加賀野菜もいい、輪島塗もいい、だが和菓子は今やインスタでも大人気、女の子にモテたいなら和菓子職人になるべきだぞ」
「あっ、汚えぞ……和菓子職人の俺! 農家だって今はけっこうモテるからな!」
「それを言ったら伝統工芸だってインスタ映えするからモテる!」
「じゃあ俺たちの中で誰が一番若いころにモテていたかで、少年が入る部活を決めよう! いやこの際、将来どの職業につくかを選ばせようじゃないかっ!」
未来のぼくたちはそう言って、あーだこーだとモテ武勇伝を話しはじめる。
そうこうしているうちに、金沢港で猟師をやっているぼく、笹寿司を作る職人になったぼく、能登牛を育てているぼく、友禅染をやっているぼくなどなど……石川県のパワースポットからタイムスリップしてきた未来のぼくたちが次々とやってくる。
こうなってくると、小学生のぼくのことなんて蚊帳の外。
やっぱり野球で勝負だのいやサッカーだの、団体競技じゃ一位決められねえからマラソンにしようだのと大騒ぎだ。
そのうちに白山一里温泉スキー場を拠点に活動しているプロスノーボーダーのぼくが出てきて、ますます収拾がつかなくなってくる。
果たしてどの未来の自分が勝って、ぼくはどんな道を進むことになるのか。
勝敗がつくまでわからないけど、とりあえず。
将来は石川県で暮らせば、楽しい人生を送れそうだった。
お父さんに似ているから、親戚のひとかな。
ぼくが怪訝な顔をしながら見つめていると、
「待っていなさい、少年。もうすぐ出来上がるからね」
「ええと、おじさんは……」
「もちろん、治部煮を作っているのさ。君はまだ小学生だし、食べたことがないはずだ。東京にいると、こういう素朴な料理とはあまり縁がないだろ?」
いや、なにをしているのかじゃなくて、誰なのかを聞きたかったのだけど。
だけどおじさんはめちゃくちゃ早口で、作っている料理の話をはじめる。
「金沢の郷土料理、治部煮。鳥肉に小麦粉をまぶしてとろみをつけ、名産のすだれ麩やしいたけ、そして食べやすいサイズに切った野菜を煮て作る、この世でもっと旨い料理のひとつさ。ほら、食べてごらん」
知らないおじさんの作ったものを口にするのは気が引けたけど、家中においしそうな匂いが漂っていたから、お腹を空かせていたぼくは我慢できずにガツガツとほおばってしまう。
「ほんとだ……。美味しい! とくに野菜が絶品だね!」
「石川が誇る名産品、加賀野菜をふんだんに使っているからな。実を言うと農家をやっていてね、治部煮に入っているさつまいもやれんこんは、俺が作ったものなんだ」
おじさんは得意げにそう言ったあと、治部煮のおかわりをよそってくれる。
それからぼくの肩をぽんと叩いて、
「君は中学生になったら、運動系の部活に入るといい。農家で働くとなると身体が資本だからね、今のうちから鍛えておくと、大人になってから苦労しないよ」
「え? ぼくはまだ農家になるなんて……」
「いいや、君は将来、金沢で野菜を育てることになる。なぜなら――」
「ちょっと待ったあああああっ!」
ガラガラガラと勢いよく玄関が開いて、今度は泥だらけのエプロンをつけたおじさんが家に入ってくる。顔を見ると最初にいたおじさんにそっくりで、まるで双子みたいだった。
「おいこら、抜けがけはよくないぞ! その少年は美術部に入るべきなのだ! 中学のときから芸術的センスを鍛えておけば、修行期間を大幅に短縮できるはずだからなあ!」
「さてはお前、輪島塗の職人に弟子入りしたのか! 確かに大学二年の春、石川に旅行した際、俺は加賀野菜の美味しさだけでなく、輪島塗の美しさにも心惹かれた覚えがある」
「そうともよ! あれから二十年、漆器作りの奥深さに魅了され修行を続けてきたが……俺の作る器はいまだ師の足元にもおよばん! ならばこそ、せめて中学のころから美術について勉強しておけばと、後悔してもしきれなかったのだ!」
「ちょっと待ってください! さっきからなんですか、運動系の部活をやれだの美術部に入れだの。いきなり出てきて、中学で入る部活を勝手に決めないでくださいよ!」
ぼくが間に入ってそう言うと、おじさんたちは顔を見合わせる。
それから親しげな笑みを浮かべて、
「いいかい、俺たちは未来から来た君自身なんだ。実を言うと農家で働きだしてからというもの、たびたび腰痛に苦しまされていてね。若いうちから足腰を鍛えておけばよかった、もう一度人生をやり直せるなら、運動系の部活に入ろう……。そう考えながら菅原神社の『栢野の大杉』と呼ばれる木に祈っていたら、この時代にタイムスリップしていた」
「俺は那谷寺の霊岩だったぞ。あそこは奇岩遊仙境と称され、紅葉の時期はとくに素晴らしい景観を楽しむことができる。このように石川は全国屈指のパワースポットエリアなので、県内のいたるところから過去にタイムスリップすることができるのだ」
「んな、めちゃくちゃな」
「――しかし事実だ! 君は未来の自分を受けいれ、そして家庭科部に入るのだ!」
うしろから突然声が響いたので、ぼくとおじさんふたりはバッと振り返る。
すると今度は、割烹着姿のおじさんが立っていて、
「石川と言えば和菓子、とくにきんつばやあんころ餅などの小豆を使ったお菓子は長年にわたって人々に愛されている。加賀野菜もいい、輪島塗もいい、だが和菓子は今やインスタでも大人気、女の子にモテたいなら和菓子職人になるべきだぞ」
「あっ、汚えぞ……和菓子職人の俺! 農家だって今はけっこうモテるからな!」
「それを言ったら伝統工芸だってインスタ映えするからモテる!」
「じゃあ俺たちの中で誰が一番若いころにモテていたかで、少年が入る部活を決めよう! いやこの際、将来どの職業につくかを選ばせようじゃないかっ!」
未来のぼくたちはそう言って、あーだこーだとモテ武勇伝を話しはじめる。
そうこうしているうちに、金沢港で猟師をやっているぼく、笹寿司を作る職人になったぼく、能登牛を育てているぼく、友禅染をやっているぼくなどなど……石川県のパワースポットからタイムスリップしてきた未来のぼくたちが次々とやってくる。
こうなってくると、小学生のぼくのことなんて蚊帳の外。
やっぱり野球で勝負だのいやサッカーだの、団体競技じゃ一位決められねえからマラソンにしようだのと大騒ぎだ。
そのうちに白山一里温泉スキー場を拠点に活動しているプロスノーボーダーのぼくが出てきて、ますます収拾がつかなくなってくる。
果たしてどの未来の自分が勝って、ぼくはどんな道を進むことになるのか。
勝敗がつくまでわからないけど、とりあえず。
将来は石川県で暮らせば、楽しい人生を送れそうだった。