第1話

文字数 2,915文字

父さんのお葬式で見かけた、白い喪服の人は誰なのだろう。参列している人は皆全身真っ黒で、楚々と流す涙を拭うハンカチだけが白かった。けれどもその人は、服も靴も鞄も真っ白で、唯一髪の毛の色だけが黒々とした艶を持っていた。
 私は式の間中、その人のことが気になって仕方なかった。父さんの死は当然私の心に暗く落ちてきたが、あまりにも突然のことだったので未だに理解できていないというのもある。悲しみよりも、周りから受ける刺激に敏感になっていた。
 白い喪服の人は、真上から差してくる陽の光によって銀色に見える靴で、鉄の床を踏みつけていた。長い前髪の隙間から見えた横顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。
 庭の砂利の音でリズムを刻むように歩き、
「取りつく島も無いな」
 と呟いていた。
 不思議なのは、あんなに目立つ格好をしているのに誰一人として彼を見ようとはしないことだ。初めから存在しないかのように、母さんもばあちゃんも親戚の人たちも、伏せた目を上げようとしない。
 だけどお焼香のとき、彼の後ろに並んでいた人は彼が終わるまでじっと待っていた。出棺のとき、一列に並んだ参列者の真ん中に彼は立っていた。両脇に人がいるのだから、彼は私にしか見えていない幻ということはないだろう。
 でも、誰も彼を見ない。
 
式が終わって、参列者たちがパラパラと帰り始めた。彼の姿は探さなくてもすぐに見つかった。私が彼の様子を見ていると、ふいに彼と目が合った。そう思ったのも束の間、彼の目は私の目の位置を通り越して、空にぼんやりと貼り付いている白い三日月にたどり着いた。
「来るんじゃなかった」
 彼は泣いているような声でそう言った。三日月を見上げる彼の浮き出た喉仏の形が、私の瞼の裏に染み込んできた。かける言葉が見当たらなかった。
 再び彼と目が合った。彼は私をじっと見ながら、今度は視線をそらさなかった。
「鋼のお嬢さん?」
 私が黙っていると、彼の方から話しかけてきた。ハガネ、とは父さんの名前だ。
「はい。真白と言います」
 なるべく礼儀正しく彼に映るように努めた。
彼は目を細め、
「そうか」
 と言ったきり口をつぐんだ。
 あなたは誰ですか?
父とはどういう関係ですか?
 聞きたいことはたくさんあったが、一番気になっていることは、どうして白い喪服を着ているのですか、ということだった。
「お嬢さん、俺がどうして葬式なのに白い服を着ているのかわかるかい?」
 まるで私の心の中を覗いたかのように、彼はそう質問してきた。
「どうしてですか」
 理由など私にわかるはずがなかった。彼の問いに問いを重ねた。
「俺のことは、鋼から何か聞いてる?」
「聞いてません」
「何も?」
「わかりません」
 父さんは無口な人だった。だから私はあまり話したことはなかった。母さんとも会話しているところは数えるほどしか見たことがない。大抵、母さんが話しかけても「ああ」とか「うん」とか、短い返事しかしていなかった。そんな父さんが自分のことなど話すわけがなかった。
「そうか。鋼は堅い奴だったからな」
 彼は少し口元を緩め、また目を細めた。
「俺は君のお父さんを見殺しにした奴だよ」
 哀しそうに、彼の瞳が揺れた。

 父さんは仕事から家に帰る途中、事故に遭って死んだ。前の車を追い越そうとした対向車と正面衝突したらしい。運び込まれた病院で、父さんは還らぬ人となった。対向車側の運転手も即死だったという。警察や病院の医師などから事故の状況を説明されたが、果たして、この白い喪服の彼が関わっていた形跡はなさそうだ。それなのに何故、この人はこんなにも哀しい顔をするのだろうか。見殺しにした、だなんて言うのだろうか。
「俺は鋼の親友なんだ」
 絞り出すように彼が言った。
「事故の前の日、珍しく鋼が俺の家に来たんだ。何をするわけでもないけど、二人で軽く酒を飲んでポツポツ語ってなあ。そのときあいつが言ったんだ。もし俺が死んだらお前どうするって。俺は既に酔ってたから、お前なんか殺しても死なねえよ、って笑い飛ばしたんだ。あいつは納得のいかない顔をしていたな。寂しそうにも見えた」
 そこまで一気に話すと、彼は下を向き震え始めた。長い前髪のせいで目元はよく見えないが、地面には雨粒のような小さなしみがいくつもできた。
「俺が、俺がもっとあいつの話を聞いてやっていれば……あいつは自分が死ぬことに何となく気づいていたのかもしれない。勘がいい奴だったから。俺はあいつの話をろくに聞かないで笑い事にしたんだ。俺がもっと真剣にあいつと向き合っていれば……」
 何度も唇を噛みながら、彼はそう言ってしゃがみ込んだ。
「ごめんな、お嬢さん、本当に……」
 私は彼を責める気にはなれなかった。彼に罪はない。それはもはや明白だった。けれど彼の中には、これほどまでに深い罪の意識が巣食っている。
 あなたのせいじゃない。
 そんな台詞を言ったところで、この人の罪悪感は氷解しないだろう。どんな慰めの言葉を羅列しようと、彼には無意味な気がした。それでも私は、
「あなたは悪くないです」
 と彼に言った。そして、泣きながら首を横に振る彼に、今の話を聞いて私が感じた確かだと思う事実を突きつけてみた。
「あなたは私に、何で自分が白い喪服を着てきたのか尋ねましたね。私は、それはあなたが罪を背負って生きていく覚悟があるからだと思います」
 彼は驚いたように私を見上げた。
「私からすれば、あなたは何も悪くない。でもあなたが罪と感じるのなら、多分それは罪なんだと思います。あなたは何色にも染まっていない白い服をこの場に着てくることで、これからどんな罪でも背負っていくぞという決意を表したのではないですか。それを父に伝えたかったのではないですか」
 考えすぎかもしれなかった。ただの妄想かもしれない。でも私は、これが真実であると思った。疑いたくはなかった。

 しばらく放心したような表情を浮かべていた彼だったが、やがてゆっくりと立ち上がった。その瞳にはやはり哀しみと、それから微かな安堵のようなものが映っていた。
「君は一体いくつなんだ? 十三歳くらいなのに、随分と大人びた話し方をするんだな。まるで語り出したときのあいつみたいだ」
 彼は眩しそうに私を見つめた。私越しに父さんの姿を見ているみたいに。

 彼は帰り際、
「鋼は昔から白い色が好きだったんだ。君の名前もましろ、だろう。だからあいつを送るなら白い服で、って思ってさ。でも君の言った、罪を背負って生きていく覚悟ってやつ、心に響いたよ。これから先何度罪の意識に苛まれても、また立ち上がれそうだ」
 そんなことを言った。
白い喪服の人は、よく喋る父さんの親友だった。彼がたくさん泣いていたから、私の涙腺も共鳴したようにゆるくなった。父さんはもういない。事故で死んでしまった。そのことがさっきまでは他人事のようだった。今はただ、冗談みたいに悲しい。
私から溢れ出た涙は庭の地面に水玉模様を描き、少し西に傾いた太陽に照らされて、白く光って消えていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み