第1話

文字数 2,000文字

 今から思い返せば、あのときはいつもよりも暗い夜だったような気がするし、逆に、いつもよりも月が明るかったような気もする。どちらだっていいし、どちらにせよ気がするだけだ。どうせ俺は空なんて見ていなかった。何度も思い返した日のことだから、記憶が作り替えられているだけだろう。
 あの日、俺が五分送れて駅に到着すると、灯はやたらちいさなバッグにスマホをしまって、迎えに来てくれてありがとーとか今日の服それあたしすきだなとか、思ってもいないことをとろとろと発した。なんかあったの? なんで? 急に連絡来たから。えーいっつも修はさ会いたかっただけとか言うじゃん、それだよ。でも灯、絶対今日がいいとか言うし。
「うん、今日が良かった」

 ものすごく田舎というわけでもないけれど、栄えた街でもないから、ぽつぽつ光る街明かりが星みたいだった。いつか、灯も言っていたような気がする。コンビニは一等星でさ、自販機は二等星? なんかそんな感じがする、とかそんな感じのことを。コンビニ寄っていい? 今うちつまみとか酒どころかマジで食料がなんもないんだよね。今とか言うけどさぁ花ちゃんが来ないかぎり修のお家に食材があったことなんてないじゃん。うるさ。あはは。
 目が焼かれるみたいに眩しいコンビニ。灯はよく水星に行きたいと言っていて、それはこの日も例外ではなかった。コンビニ眩し、ねえ水星もこんな感じなのかな、太陽とか星とか近くて。灯はドライフルーツとかナッツとか、どうせ半分くらい残すものをかごに放っていった。星はべつに地球とおんなじ感じなんじゃないの、てかそしたら水星じゃなくても良くない? おれ海王星とか綺麗だと思うけどなぁ深海みたいでさ。ちっちゃいとき初めて知ったのが水星だったからね、なんとなく思い入れがあってさ。
 がさがさした袋を揺らしながら宇宙の中みたいな街を歩いた。あたしがどこで生まれたか知ってる? 前を歩く彼女の毛先はるんるんと上下していたけれど、彼女の声のトーンはそれほど高くなかった。東京って言ってなかったっけ。やーなんかね、あたしが生まれたとこってさ、きっと地球じゃないんだろうなぁって最近思ってんの。おー、というと? 
「あたしさ、宇宙人なんだと思う」
「宇宙人?」
「みんなが言うしあわせのこととか全然わかんないし。わかんないなりにここまでやってきたけど」
 いつもの軽口とは確実に違うことはわかったけれど、お互いのセンチメンタルに寄り添うような関係ではなかったから、なんとなくふざけたトーンを貫くしかなかった。じゃあ灯と話せてる俺も宇宙人ってこと? 修は地球人でしょ、まっとうに生きてるし。彼女の靴がかつかつと軽快な音で鳴っているのがすこし気味悪かった。家までがやたらと遠かった。大学にも行ってて、勉強もバイトも遊びも適度にこなしてさ、趣味もあって、将来のことも考えてて、もうめちゃくちゃ地球人、えらすぎ。
 俺には、灯はうまく生きてるように見えていた。綺麗な顔をしていて、センスもよく、なんでも要領よくこなし、みんなに好かれていたように見えたからだ。俺らの関係もまっとうじゃないしさ、宇宙人でも地球人でもわかんないなりにやってくしかないんじゃないの。えぇ彼女がいてさ、あたしとの関係はまっとうじゃないって思ってて、なんかそれってまっとうだなって、おもうけどな。
「もうなーんにもわかんない!」
 灯は小さなカバンを振り回しながら道の真ん中でくるくる回った。

 そこから先のことはあまりよく覚えていない。家に着いて、電気をつけっぱなしにしていたことを怒られたことと、いつものお気に入りのクッションに深く沈みこんでいた灯の姿だけ、鮮明に覚えている。ねえあたし宇宙に帰れるかもしんなくて、今日修に会いたかったんだぁ。思い返すと、このときに笑わなければよかったような、そんな気がする。けれど俺は笑った。えー、どうやって? 今日さ、流星群が見れるの知ってた? なんかTwitterで見たよ。それにつかまったらさあ、あたしほんとの場所に帰れるんだろうなーって思ってね。そのまま彼女は、何かに導かれるようにばっとベランダに続く窓を開けた。
 灯が星に手を伸ばすと、泡のようなものが弾けて、彼女の体が浮いた。ねーほらね、夢じゃなかったでしょ。自分より少し上から彼女が言った。灯に見下ろされるのは初めてだった。
 彼女は鼻歌できらきらぼしを歌いながら、星に触れ続けた。彼女の髪は水中にいるかのようにゆらゆらと広がっていた。ねぇあたしさ、たぶんこのままどこにだっていけちゃうんだとおもう、と彼女は満面の笑みを浮かべて、そして俺をまっすぐ見据えながら、ばいばい、と言った。

 気がつくと朝で、ベッドの上だった。灯との夜の痕跡どころか、灯の持ち物全てがなくなっていた。キッチンには花がいて、しゅうちゃんに会いたくてきちゃった、と言って笑っていた。
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