月桂樹

文字数 1,992文字

「わたし、タバコの臭いが嫌いなんです。」
女は愛飲のセブンスターを吹かせながら、そう言った。彼女の眉間は微かに歪み、口元は満足げに曲線を描いている。テーブルの中央(やや彼女よりであろうか)にあるガラス製の灰皿には、まばらな残渣が七本溜まっている。うち、五本は彼女のものだ。
「君は、いつも吸っているじゃないか。」
 私は、ニコチン中毒なのだなと思い、突っこみをいれた。
「依存しているわけではないんです。……いや、依存しているのかも知れません。誤解されているかもしれませんが、ニコチンに依存している訳ではないんです。」
「と、言うと?」
私は、そう一言の相槌を打つと、左手の二指に挟んだピースを大きく一吸いした。彼女は一度単純に吸気と呼気をゆっくりと往復した。
「私の部屋見たことあるでしょう?」
「ああ、そりゃあね。実に整理の行き届いた部屋だ。」
「観葉植物を置いてあったの覚えてます?」
「うん…そう言えば、あったね。月桂樹だったかな。」
 たしか子どもの背丈ほどで、異様に生い茂った月桂樹を思い浮かべる。
「そうです。貰い物なんです。大学の先輩からの。」
何故煙草の話が、観葉植物の話にすげ変わっているのかという疑問はおくびにも出さないように注意しながら、彼女の顔を見据えた。よく言えばレトロな、近代史の教科書に出てきそうな店内のクーラーが、煙を幾度となく掻き消している。
「私の誕生日に先輩からもらったんです。」
「12月14日だったかな。」
「よく覚えてますね。そうです。半年ぐらい前です。」
彼女は一度煙草を灰皿に掛け、ホットコーヒーを口にする。私は、それに合わせるようにアイスコーヒーを右手にもつ。
「バンドサークルの先輩だったんです。サークル内でいくつかチームを組んでました。わたしも先輩もチームこそ違いましたが、同じベースということもあってよく話す仲でした。同じアイバニーズのジャズベースを使っていたのも話の合ったきっかけかも知れません。」
そう言って、彼女は灰皿から煙草を手元に戻している。
「そういえば、イメージと違って、君はバンドをやっていたね。」
「よく言われます。」
 トットッと灰を落とし、ぼうっとその灰を見つめながら、彼女は微笑んだ。
「その彼は…」
「彼…。よくわかりましたね、男だと。」
フィルターまで赤黒い光が近づいたことに、はっと気づいたかのような素振りを見せ、彼女は灰皿にその光をほうった。
「ああ、わかるとも」
 おそらく、タバコを始めたのも、その彼の影響なのだろう。そして、銘柄も。
「彼は…」
そう言いかけ、一拍の静寂が広がる。古いクーラーの稼働音のみが静寂に流れ、呼応するように左手の煙草から煙が揺らいだ。
「彼は…亡くなりました。バイクが好きだったんですよ。カワサキの中古のやつでした。パンダみたいな白黒の。彼が誕生日のプレゼントをくれた1週間後の雨の日でした。対向車と…」
私はやはりと心の内に思った。どの表情で返答するのがよいか一瞬考え、この場にふさわしい悲しげな表情を作った。
「そうか…残念だね」
そして、彼女は視線を動かす。やっと彼女の眼球は私をとらえる。
「それから気づいたんです。彼から貰った月桂樹の隙間に“鼻”があるんです。」
「“ハナ”?」
月桂樹といえば、「春」に雄株は黄色を、雌株は白色の花をつける。時期からして、冬の話であろう。
「かなり時期外れな“花”だね。」
彼女は、「あっ」と少し呟くと、訂正した。
「違います。Noseです、Flowerじゃなくて。」
日本語の意味を推察しかねたが、自身の鼻を指さしながら、答えた。
「この“鼻”かい?」
「そうです。彼の日本人にしては、白人のような高い鼻が、葉の隙間に現れるんです。」
「ただ、煙草を吸っていると、消えるんです。煙を嫌がるかのように。」
「気持ち悪いんです。それで、煙草が手放せなくなって。」
 彼女の言葉のダムは、突然決壊したかのようであった。
「君は彼を好いていたのでは、ないのかい?」
「生きてるときは。でも、彼は死んだでしょう?このままじゃ、男も連れ込めないわ。」
 なるほど、彼女はこういうタイプか。観察眼はかなり高まったと感じていたが、まだ修行の必要があるようだ。
「処分してくれませんか。触るのが、気持ち悪いんです。」
「何故私なんだい?」
「探偵をやっていると仰っていたでしょう?一度あなたの名前を検索したんです。そしたら、怪異や呪いも扱ってらっしゃるって。」
「今はその手の話題からは、手を引いているんだ。書いてあったろう?昔、痛い目をみてね。」
「引き受けていただけるまで、引きませんよ。」
彼女はぐいと身を乗り出した。
「煙草で消えるなら、吸えばいいじゃないか。」
「わたし煙草は嫌いなんです。彼に合わせて吸っていた時はありましたが。」
ふと月桂樹の花言葉を思い浮かべながら、「そういうことか」と思った。
思案するため、私はまた一本火をつけた。
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