第1話

文字数 2,791文字

先日本屋で文庫本を物色していたら、奥田英朗氏の「東京物語」が眼に止まった。
奥田氏の著作を読んだのは割と最近で、最初に読んだ「オリンピックの身代金」というミステリー小説が面白くて印象に残り、次に手に取ったのが「向田理髪店」という北海道の寂れた炭鉱町を舞台にしたユーモアとペーソスに溢れた連作短編小説。
彼の経歴を確認すると、1959年岐阜県の出身。名古屋育ちで4歳違いの私には身近に感じられる存在である。加えて大のドラゴンズファンというのも良い。

「東京物語」は今から20年くらい前に発表された6つの短編からなる連作小説集である。
奥田氏の分身と思われる主人公が1978年4月に東京の予備校に通うために名古屋から上京するところから話がスタートし、大学入学・中退・コピーライターの修業時代から独立までの約10年間にわたる主人公の成長過程が、
・キャンディーズ解散
・江川投手の空白の一日事件
・ジョンレノン死亡
・名古屋オリンピック招致騒動
・ラグビー日本選手権 新日鉄釜石vs同志社大学 
・ベルリンの壁崩壊
というエポックメイキングな出来事を背景に語られている。

主人公より少し早く名古屋から上京した私には、主人公の両親の名古屋弁や独特の振る舞いがおかしかったのと、上記の6つの出来事が発生したとき、自分は何をしていたのかを振り返るのが懐かしくて、一気読みしてしまった。

最も好きなのは、コピーライターとして頭角を現して少し天狗になっている時、尊敬する他社の先輩に鼻っ柱を折られる「名古屋オリンピック」だけど、読後感が良かったのは「レモン」という一篇。
これは大学の同じサークルに所属する、酒豪で酔うと何かと絡んでくる同学年の女の子に主人公が振り回されるオハナシ。特に絶世の美人という設定でもないフツーの彼女がほほえましくて肩入れしたくなった。


ところで、酔っぱらった女性に振り回された経験なら私にもある。
大学1年生の時、6月に開催された大学祭の実行委員会の打ち上げの飲み会が7月初旬にあって、
土曜日の夕方に国立駅周辺の「養老乃瀧」の2階の大広間に約30名の実行委員が集まった。
打ち上げなのですぐに無礼講的な飲み会になって、皆で大騒ぎをしていたら21時ごろに店の人からのお達しにより1次会は強制終了。

「さあ、2次会だ!」と思っていたら、先輩から「1年生は女性を家まで送って行くように」との指令が出た。
当時、私の大学には女子学生が余りいなかったため、毎年近くの女子大から助っ人に来てもらっており、4~5名の人がその日の飲み会に出席していた。

そのころ私は阿佐ヶ谷に住んでいたため、下落合に住んでいる1年先輩の女性を送って行くように命令された。
阿佐ヶ谷と下落合は決して近くではないけれど、三鷹から新宿寄りに住んでいる1年生が他にいなかったので私に白羽の矢が立った次第。

その先輩「真理子」さんは、これまでほとんど話したことが無かったけれど、小柄でごく常識的な人だと思っていた。
しかし、その日の彼女は結構な飲みっぷりで、きわどい話にも積極的に参加して笑いっぱなしであった。

国立駅に向かう道でも「さっきから「先輩」「先輩」と言っているけど、君とは同い年でしょ。(私は一浪、彼女は現役だった)」「先輩とか言われると、すっごいオバサンみたいじゃない。真理子さんと呼んで。」とダメ出しをされる始末。

中央線の車内で並んで座っているときもしばらく質問攻めにされた。
「そう。じゃ、君は中高ともに男子校だったんだ。」「それで、恋人とか付き合っている人はいるの?」
「いません。」
「じゃ~、ドーテーなのかな?」
「・・・・・・」
どうやら彼女は電車の揺れで酔いがぶり返したようだ。
周囲の人の視線も気になるし、どうしたものかと思っていたら、運よく眠ってくれてホッとした。

電車を乗り継いで下落合の駅に着いて改札を出た途端、今度は彼女が足を捻挫してしまった。
かなり痛そうなので最初は体を支えていたが、とうとう一歩も歩けなくなってまった。
訊くと彼女の家までは10分位とのこと。仕方が無いので彼女をおんぶした。
「わるいわねぇ。でもラクチン。」とのこと。
7月なので、二人とも薄着。彼女の胸が背中に当たる感触がしてどうも歩きにくい。
そのうち彼女がまたウトウトしているようで、顔が背中に密着して吐息も感じる。

今にしてみると、「ドーテー?」とからかった仕返しに、「足もケガしているし、どこか静かな場所で少し休憩していきますか?」などと脅かしてやれば良かったと思うけれど、「羊の皮を被った狼」にあこがれてはいても、どうも根っからの「羊男」の私(実は干支も羊)は、
「次の交差点はどっちに行けばいいんですか?」等とマヌケな質問しかできなかった。

彼女の自宅に着くと22時すぎ。彼女がインターホンで話していたら、ご両親が出てきた。
「足をくじいちゃったので送ってもらったの。こちらXX大の○○さん」と彼女が事実関係をちょっと歪曲しつつ私を紹介した。
「遅くなってスミマセン。それでは失礼します。」と言って退散しようとしたら、「まあ、まあ、わざわざスミマセン。お茶でも召し上がって下さいな。」と母君。「いえいえ」と私。しばらく押し問答が続いたあと、父君が「そう言わず、とにかくちょっと上がっていきなさい。私もXX大出身なんだ。大先輩のいう事は聞くもんだ。」とついに押し切られた。

応接間に通されて、今度は父君からの質問攻め。
暫くすると母君と真理子「先輩」も部屋に入ってきた。なんと先輩はちゃっかりとゆったりした部屋着に着替えている。
母君が「○○さんて、親戚の友樹ちゃんにちょっと似てるわねぇ。(会ったこともない友樹なんて知るか!)」「それになかなかハンサムだし。真理子もそう思わない?」とミエミエのお世辞をならべると、彼女も
「そうねぇ、そう言われてみればちょっとタイプかも。」と笑いながら悪乗りしてくる。

3人からの波状攻撃に耐えるのは最早限界なので、ついに「遅いのでもう失礼します。真理子先輩お邪魔しました。」と封印していた「先輩」という言葉をわざと復活させてから席を立った。
それでも母君は「泊まっていらっしゃればよいのに」ととんでもない事を仰る。
「彼女の家から朝帰りでもしようものなら、きっと公民権停止状態になるな。」と考えると背筋に悪寒が走った。
やっとの思いで彼女の家から外に出ると、どっと疲れが押し寄せてくる。
本当は彼女を送ってから2次会に合流するつもりであったが、もうそんなエネルギーは残っておらず、そのまま阿佐ヶ谷のアパートに戻った。


夏休み明けに大学祭の実行委員会室で彼女に会ったとき、彼女が「この間はどうも。」と言った。
私が「足はもう大丈夫ですか?」と少し皮肉っぽく返事をしたら、
「今度足をくじいた時には、お姫様ダッコをしてもらおうかな。」と返し技を喰らってしまった。
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