神々の視点

文字数 2,675文字

 先日、僕は久々に祖母の家へと足を運んだ。
 東京の東、千葉県との境、大きな川が側にある町だ。
 祖母の家は古く小さな木造の一軒家で、母が子どもの頃から変わっていないという。
 その玄関の横にはそれほど大きくもない山椒の木が一本生えている。誰がどこから運んだか分からないが、いつの間にか芽を出していて、今では僕の腰の下に届くくらいまで茂っている。
 春といえば春、初夏といえば初夏、そんな気候の日だった。
 祖母からその山椒の木を剪定してほしいと頼まれてやってきたのだ。いくつかの枝が伸びており、家に入る邪魔になるのだという。
 梅雨に入る前の時期に、まだ若緑の残る枝を落とすのは気がひけるが、それも仕方あるまい。
 ここは祖母の家なのだ。祖母が先に住んでおり、その空いている場所へに後から山椒がやってきたのだから、それくらいの遠慮はしてもらわないと、根っこから引き抜かなくてはならなくなる。
 祖父に先に逝かれてしまった祖母は、次女の息子である僕を何かと頼りにしてくれる。
 今回も滅多にならない家の電話が鳴り、本日ここへきた次第だ。
 電車に揺ら車窓を眺めること四十分、駅から降りて舞う蝶を見つつ七分ほど。
 畳の居間には昭和感があふれている。麦茶が入っていたグラスは今や布団を外された炬燵の台の上にあり、横の壁には茶箪笥、上にはひも付きの丸い蛍光灯、そして角にはテレビと、僕が幼かったころともあまり変わっていない(さすがにテレビはデジタル放送になったけど)。
 家に入る際、山椒をよけて玄関を開けた。
 確かに毎回の事となるとちょっと億劫であろう。
 僕は立ち上がり、枝切りへと向かう。
 祖母のサンダルや普段履きの靴の中に、僕の靴を見つける。一人暮らしなのを良いことに脱いだ靴をそのまま出しっぱなしにしているものの、僕の靴はきちんとそろえておいてくれてあり、そのままの向きで足先を入れてかかとをなおす。
 靴箱には祖母が用意してくれた1mほどの切込鋏が立てかけられていた。山椒の大きさに対して大げさな大きさであるような気がするが、これしかなかったのだろう。
 僕は地面に靴の先をとんとんと整えながら仕切鋏を左手で持った。
 見ると靴箱の上には軍手が用意してある。
 少し大げさすぎないかと思ったのだが、用意してくれた祖母の気持ちを汲みありがたく使わせてもらうことにする。
 鋏を置き左手から軍手をはめる。粗い縫い目の布は汗ばんだ手になかなか馴染まない。それでもなんとか強引に先まで指を入れる。
 そしてまた仕切鋏を持った。
 引き戸を開け外に出る。
 山椒の枝がジーンズ越しの腿にあたる。
 
 なるほど。
 
 僕は初夏に遠慮なく育つ山椒を見下ろし大げさな仕切鋏を構える。
 祖母からは目立って伸びている出入りの邪魔をする枝だけ切ってほしいと言われている。
 見ると確かに数本が何不自由なく宙へと向かって伸びている。
 手始めに細いながらも天へと向かっていく若緑の葉を従えた一本を選ぶ。
 仕切鋏を両手に持ち左右の腕を広げその枝を開いた鋏の中に入れる。伸びすぎた部分だけと、固まって茂っている場所の上が切れるよう狙いを定め、鋏を持った両手を近づけその刃が重なるように動かす。
 
 みしり。
 
 綺麗な断面にはならず裂けるようにしなだれた。まだ青さが残る茎が辛うじて繋がっており、風もないのにぶらぶらとその身を揺らす。
 今度は鋏の根元で繋がっている部分を狙う。青々と茂った塊へその枝が倒れこむ。
 僕は近づきその枝を手にする。
 
 痛い。
 
 切れた枝を取ろうとしたら周りの茂みから抗議を受けた。
 そうだ。山椒の枝には棘があるのだった。
 祖母がなぜ大げさな仕切鋏を用意してくれたのか、軍手を用意していてくれたのか。ようやくその理由に思い知る。
 棘のため近くでは切れないし、片付けるのにも苦労する。
 行ないには気持ちがあり、気持ちには理由があるのだ。
 僕はもう一度注意しながら切れた枝を取り除く。
 そして少し遠ざかって茂み全体を見回し、いびつに育っている枝に目星をつける。今度は一度で裁断できるよう刃の根元に枝を咥え込み、鋏を動かしていく。
 
 ぱちん。
 ぱちん。
 ぱちん。
 
 当たりをつけた枝々を小気味良く切っていく。
 離れた枝は後でまとめて整理することにして、もう一度遠巻きに茂みを見る。見たら見たでまた新たに気になる部分が目に付く。
 
 ぱちん。
 ぱちん。
 ぱちん。
 
 調子良く鋏を進めていると祖母が家の奥から声をかけてきた。仕切鋏の大きさについて尋ねてくる。
 どうやら切れ味の残っている園芸用の鋏はこれしかなかったらしい。
 額の汗を持ってきたハンカチでぬぐう。
 改めて見ると、予定よりも随分こぢんまりとした姿になってしまった。
 落ちた枝を拾うため山椒に近づき根元へとしゃがむ。
 刈り取ったものは可燃ごみの日に出すとの事。
 棘に気を付けながらつまむ場所を定め、枝を白いビニール袋へと入れていく。元々切った量はそれほど多くもないので、すぐにこの作業は終わる。
 と、最後の一本を片付けようとした際、何かしらの違和感を覚えた。
 手に取った枝を顔に近づける。山椒の香りが鼻を襲う。
 細い枝が一本、他のものより深く垂れていた。
 注意深く見るとそこには蝶の幼虫がいた。明るい緑の柔らかそうな葉が丸くかじられていたりする。
 今まで気づかなかったが、なるほど黒く丸いものも山椒の葉が茂る地面にいくつも落ちている。
 存在感を誇張する枝をよけているうちに、彼らの住処までも襲っていたのだ。
 僕は幼虫がしがみついている枝を山椒の茂みのてっぺんに乗せた。
 念のためと、改めてビニール袋の中を覗き込む。葉を一枚一枚見ていく。もしかしたらまだいるのかもしれないが幼虫の姿は見つからない。
 僕はビニール袋を地面ではずませ中の枝を整えると、その口に固結びを施した。
 
 たまたま。
 
 たまたま目に入った幼虫だけ山椒に戻すことができたのだ。
 ビニール袋の中に見つからなかった幼虫がいたとしても、それは僕の意思で残したわけではない。
たまたまなのだ。
 それとも、戻された幼虫は日々何かしらの善行を積んでいたのだろうか。
 それとも、戻されることがなかった幼虫がいたとしたら、日々何かしらの愚行を続けていたのだろうか。
 
 強く叶えたい願いのある僕は、どうしてもその伝えかたを知りたいのだ。
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