第1話

文字数 3,245文字

「すご……」

 横幅三メートル、高さも二メートルはあるかと思われる壁一面に展示された絵画を前に私は思わず呟いた。

 写実的に描写された森とこちらを向いて微笑む女性の絵。木漏れ日が女性のワンピースに落ちて模様になっていて、今にも揺れ動きそうだった。

「最優秀」

 絵の真横に貼られた最優秀の文字を思わず読み上げてしまう。

「あ、ミサトお姉ちゃん。来てくれたんだ」

 後ろから聞こえた声に振り向くと、フォーマルなドレスに身を包んだ二歳年下の妹、メグミがこちらに向かって歩いてきた。

「妹の晴れ舞台、来ないわけないでしょ? ちゃーんと予定開けてきた」

「ふふ、ありがと」

 嬉しそうに笑う妹。ちらりと周りを見ると話しかけるタイミングを計っているのだろうか、妹の様子を伺っている男が複数確認できた。

『公募の美術展、最優秀賞の現役女子大生。しかも抜群の美人。話したい人は多いでしょうね』

 そう思いながら、一人一人確認していく。見ているだけで話しかけはしないだろう三人。互いに牽制しながらなんとか話し掛けようとしているのが四人といったところか。

「お姉ちゃんどうしたの?」

「なんでもないよ、授賞式は私も端で見てて良いんだっけ?」

「うん、関係者席があるんだって」

「15時からだったね、あと30分ぐらいだけどいかなくて大丈夫?」

「あ、やば! ありがとう、お姉ちゃん! またあとで!」

 小走りで去っていく妹の背中を見送る。近くにいた男たちはタイミングを逃したと悔しげな顔をしていた。私はそれを横目に、妹の絵に視線を戻した。


 妹には才能がある。


 絵の才能もあったのだろうけど、私が言いたいのはそこじゃない。

 人目を引く美貌に、優しく明るい性格。くわえて、自分の見た目に無自覚な鈍感さ。そして少々、優柔不断である。


 これらから導き出される答え。


 恋愛ドラマの主役になる才能。


 小学生の頃は、クラス一の美人で一目置かれ、周囲の男の子たちの初恋をかっさらい、中学生になれば、放課後の呼びだし、靴箱にラブレター、友人経由の紹介での告白と、恋愛ネタに事欠かなくなった。そのおかげでいざこざに巻き込まれることも多かったようだが、前述した優しく明るい性格はここで発揮され、円満に解決し、男女問わずファンを作っていた。


 しかし、妹にはこの才能にたいして致命的な欠点があった。

 恋愛に、全く興味がないのだ。


 妹は物心ついたころから絵ばかり描いていた。とにかく絵だけを描いていた。絵に心を奪われていると言っても良い。

 小学校からはじまり、中学校、高校とタイプの違ういろいろな男にアプローチされていたことは知っている。けれど一度も恋愛ドラマに発展しないのだ。

 隣に住む幼馴染も、学年一のイケメンも、部活の頼れる先輩も、誰も絵には勝てなかった。

 美術大学に進学した妹はいつだって画材を手放さないし、絵の世界に生きている。

 恋愛ドラマの主役になる素質のある妹は、絶対に恋愛ドラマの主役になることはない。


 そう、現実世界では。


「あの、すいません」

 声をかけられて振り向く。黒いバンドカラーシャツに紺のジャケットをきた若い男。長い暗めの髪をハーフアップにしていて、結び目のしたから緑色のインナーカラーが見えていた。

『デザイン学科っぽい』

 ただの偏見からそんな感想を持った私は、とっさに外面を作る。

「はい?」

「メグミさんのお姉さんですか?」

 用件から入るのはマイナスかな。そう思いながらすこし怪訝な顔をする。

「失礼ですが、あなたは」

「あ、すいません。僕、メグミさんの大学の後輩で松井タクミといいます」

「そうだったの、ごめんなさい。私はメグミの姉のミサトです。メグミ、さっきまでここにいたのだけど」

「後ろ姿をお見かけました。急いでいたようだったので声をかけなかったんですけど、メグミさんの絵の前に似た雰囲気の方がいらっしゃったので、話に聞くお姉さんかなと」

「メグミ、私のこと話したのね」

 見た目に寄らずしっかりした言葉遣いで、私の評価を上方修正させたデザイン学科ぽい後輩こと松井タクミ。妹と時々遊びに出かけているメンバーのなかに同じような名前の後輩がいたはずだ。暇つぶしにはなるかなと会話を続けることにする。

「松井さんは妹の絵を見に来てくれたの? それとも出品した方?」

「メグミさんの絵を見に来たんです。メグミさんの絵が最優秀賞だって聞いて」

「そうなのね。メグミにはあっていけるの? これから授賞式だから、すこし時間かかりそうだけれど」

「はい、実は授賞式のあと外で待ち合わせをしていて」

 すこし顔を赤くして答える松井。あぁ、告白するつもりかな。そう思いながら気付かないふりをする。

「そうだったの。そういえばご飯いらないって言ってたわ。おいしいとこ、つれてってあげて」

 あの子、イタリアン好きよ。そう続けると、松井は赤い顔のまま頷く。

「はい、ありがとうございます」

「じゃあ、メグミのことよろしくね。また近いうちに」

 笑顔でそうしめて、片手を軽く振って歩き出す。こういうときの私は最高に大人の女感がでてると思う。感でもなんでもなく、大人の女なのだが。


 松井が私の姿を目で追うのをやめた頃を見計らったように、私のとなりに男が並んだ。さきほど妹に話し掛けようと牽制しあっていた四人のうちの一人だ。変装のような眼鏡に、ざっくりとしたカーキのニットに黒いスキニーの私と同年代の男。私はたいして驚くこともなくそのまま歩きつづける。

「お前、本当に性格悪いよな」

 男が口を開くと、でてきたのは心底あきれたそうな声だった。

「そう?」

「メグミが恋愛に全く興味ないのわかってやってんだから。俺の時もそうだろ?」

 男は深いため息をつく。
 この男、私の中学の同級生兼妹の高校の部活の先輩、鈴本リュウタ。私にたきつけられて妹に告白し、玉砕して以降、私の協力者だ。

「今回は、告白成功するかもしれないじゃない」

「わざわざたきつけるようなマネする必要ないだろって」

「彼、ちょっと日和りそうだったのよ。ちゃんと告白してもらわないと困るじゃない」

「フラれないと、ネタにできないからか?」

「まぁ、そうね」

「妹にフラれた男と妹をモデルにした恋愛小説で食ってる姉な」

 リュウタが再びため息をつく。

「妹ともフラれた男ともわからないようにしてるじゃない、それに本になる時は許可を取りに行ってるの、知ってるでしょう」

 そう私、辻本ミサトは恋愛小説家である。妹は気がついていないが、今までの出版作品の登場人物は妹と妹を好きになった男をモデルにしている。

 恋愛ドラマの主役の素質を持つ妹が、恋愛に全く興味がないことに気がついたのが7年前、妹が中学三年、私が高校二年生の3月ころ。妹を含めた妹の同級生たちの進学先も決まったタイミング。卒業直前、最後に後悔がないようにと、妹は次から次にあの手この手で告白された。

 それを一人一人丁寧に断り、友人になって帰ってきた妹は、私に「なんでみんな恋人が欲しいんだろう? みんなで遊んだ方が楽しいのに」と言い放った。
 
 妹には恋愛感情がいっさいないのでは。

 それは、その後の一年で核心へと変わり、妹と同じ高校で美術部の先輩だったリュウタをたきつけて告白させたことで確定的になった。

 妹の人生は妹のものだ。それはわかっている。しかし、妹のことを好きになった男たちの感情を私はすこしもったいなく感じてしまった。

 妹に向けられた、妹にあったかもしれない未来。それを再現してみたい。

 私のただの興味で、エゴだ。

「おまえ、いつか刺されるぞ」

「刺されるときは、あなたも一緒よ」

 私が笑うと、リュウタはもとからしかめっ面だった顔をさらに不愉快そうに歪ませた。

「まじでやばい奴に捕まった」

「あの子が恋人作ったら。解放してあげる」

 妹には才能がある。

 けれどその才能が生かされることはないのだろう。

 妹の未来は妹の手の中に無限にある。

 妹の手から転げ落ちた未来を拾い集めて、今日の夜も私は小説を書くのだ。
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