第1話

文字数 2,682文字

 日本のとある海域に突如現れた巨大な生物。ティラノサウルスをベースにし、様々な恐竜のパーツを取って付けたかのような外見の巨大生物は、海水を大量に滴らせながら緩慢な動作で上陸してきた。その上空では自衛隊のヘリコプターが数機旋回し、巨大生物の動向を伺っている。それらにしれっと混じったテレビ局の中継ヘリは、前代未聞の光景をお茶の間へと流していた。
 テレビ画面に釘付けとなっているのは、中継現場から遠く離れた場所に住む市民達。巨大生物の進行方向にある港町で居を構える住人達は、じっくり腰を下ろしてテレビを見る時間など無い。持っていけるだけの家財道具を車へ詰め込む者や、着の身着のまま逃げ出す者達で、小さな港町は大混乱となっていた。
 そんな人々とは対照的に、巨大生物はズシン、ズシンと地響きを鳴らしながら、ゆっくり内陸へ歩を進めていく。巨大生物が歩いた後のアスファルトには、その重みから付いた足跡と、それを中心として広範囲にひび割れが起こっていた。しかし巨大生物は意外にも、建物や車などを器用に避けて歩き、ましてや逃げ惑う人間を傷付けることはなかった。固い鱗に覆われた長い尾をビルや家屋に当てぬよう、周りや足元に気を配りつつ進んでいるのかと思いきや、巨大生物の視線はある一方向を見据えたまま。それでも器用に障害物を避けてゆくその様は、異様さを更に際立たせていた。

 “何かを目指して進んでいる”と予想した人々は、そこがどこなのかとSNS上で大盛り上がり。やれ“国会議事堂をぶっ潰しに来た”だの、“富士山を噴火させに来た”だの憶測が飛び交う中、それを真に受けたわけではないだろうが、総理大臣は自衛隊へ各地の守備を固めさせた。
 特に重点を置いた場所は、科学者や専門家からの意見がもっとも多かった富士山。確かに巨大生物の視線の先には、富士山が聳え立っている。その山麓には数多くの戦車が整然と並び、未知なる巨大生物の到着を待ち構えていた。
 そこに辿り着くまで半日はかかるであろう。それまでに動きを止める対策を打ち出そうと、日本国内のみならず諸外国の科学者達も様々な案を唱え、ああでもない、こうでもないと論議を交わしていた。中には、“町ごとミサイルで消し飛ばしてしまえ”などという過激な論者もおり、“無闇に刺激せず、もうしばらく見守っておくべき”という平和論者達と対立する場面もあった。
 
 同種族間で揉めに揉めている人間のことなど露知らず、巨大生物は悠々と、しかし着実に富士山麓へ近づいている。耳元でうるさく飛び交うヘリコプター達を鬱陶し気に見遣ることもなく、ただ一点を見つめて黙々と進む巨大生物を“健気で可愛い”と持て囃す輩も出てきた。
 固い岩肌のような皮膚、感情を見て取れないワニのような目、鋼鉄も容易く切り裂けるであろう鋭い爪――そのどれを取っても決して可愛いと思えるものではないが、一旦世に放たれた“可愛い”という意見は瞬く間に世界中へと広がり、ついには“如何なる場合でも攻撃反対!保護対象にすべき!”という愛護団体まで現れた。
 “殺せ!”“守れ!”と正反対な意見が飛び交う中、とうとう過激派達が各々の武器を手に取り、巨大生物の元へたどり着く。武器といっても軍隊のような火器銃器を持っているはずもなく、手にしている得物はホームセンターで購入できる鎌や鉈、せいぜいチェーンソーくらいであった。あの岩肌のような皮膚に、それらがどれほど通じるか不明だが、愛護団体は暴徒を抑える警官のような防護盾を構え、過激派の攻撃を防いでいた。特撮映画のような巨大生物と、その足元でチマチマ、ギャーギャーと攻防戦を繰り広げる人間達。そのカオスな様子を、頭上で飛び続けるテレビ局のヘリコプターは面白おかしくお茶の間へ中継していた。

 その時、上陸してから一定の速度で歩き続けていた巨大生物が、とある一軒家の前で足を止めた。その家の庭先では、地面にうずくまり震える一人の男の姿があった。逃げようと思えば逃げられるはずであろう。だが男は、何かを守るようにその場から動く様子もない。
 男が守っているもの、それは小さな墓だった。さほど古びて見えない小さな墓標を抱え込むように守る男。巨大生物に踏まれてはなるものかと、己の身を挺して墓を守る男の体を、巨大生物は鋭い爪先で器用に掴み上げた。
 瞬間、死を覚悟した男の脳裏に駆け巡る走馬燈の数々。
――小学校からの下校途中、野原の片隅で小さな命を見つけたこと。
手の平サイズのか弱い子猫が、あっという間にスクスクと育ったこと。
変わった鳴き声のその子猫に“ニャ太郎”と名付け、宝物のように愛したこと。
受験や就職、家族の死――人生の節目には、いつも傍にニャ太郎がいたこと。
“最後の家族”であったニャ太郎も、数年前に老衰で虹の橋を渡ってしまったこと。
ニャ太郎と交わした“毛皮着替えて帰って来いよ”という最後の約束を信じ、今も帰りを待っていること――

『ああ、そうか。待っていなくても、俺が会いに行けばいいのか』
 そう気付いた男は、しかめていた顔を緩め、迫りくる巨大生物の鼻先を穏やかに見つめた。
《ぷきょぐるる……》
 長年聞きなれた愛しい鳴き声が聞こえたような気がした男は、目を丸くして辺りを見回す。だが周りには猫の子一匹も見当たらず、耳を澄ませて聞こえてくるのは、遠くで争う愛護団体と過激派の小競り合いの音や、頭上で飛び交うヘリコプターの音だけ。
 やはり空耳だったのかと肩を落とした男に、また《ぷきょぐるる……》という声が至近距離から聞こえてきた。ハッと顔をあげた男の目の前には、ゴツゴツした巨大生物の顔。
《ぷきょぐるる……》
 見た目からは想像できない可愛らしい鳴き声を発した巨大生物を、男は呆けたような顔で見遣る。恐怖のあまり気付かなかったが、よく見ると巨大生物はとても優しい目をしていた。それは男が落ち込んだ時や悲しんでいる時、隣に寄り添い見上げてきたニャ太郎とよく似た目であった。

「お前……、ニャ太郎――なのか?」
《ぷにょぷっきゃぐるるるるる……》
「その変な鳴き声……、本当にニャ太郎なんだな……」
 “そうだよ”と答えるように、男の頬へ巨大な鼻先を優しく擦り付ける巨大生物ことニャ太郎。
「確かに毛皮着替えて帰って来いっていったけど、随分大胆に着替えたなぁ。――おかえり、ニャ太郎」
 嬉し涙を流しながらアハハと笑う男は、ゴツゴツしているようで意外と柔らかかったニャ太郎の鼻先を両手で抱きしめ、愛しそうに頬ずりを繰り返す。ニャ太郎は嬉しそうに、爆音でゴロゴロと喉を鳴らし続けた。
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