貴方が作品を作り公開する権利は命を賭けて守る。ただし……

文字数 1,980文字

 あの病気の流行は3年近く続き、世界が、それから復興するのには5年以上がかかった。
 多分、もう世界は、あの病気より前には戻れない。
 だが、俺は変れなかったようだ……。
 五〇前にも関わらず……すでに、ドラマの監督として、時代遅れのロートル扱いされつつ有るらしかった……。

「あの……何ですか、この反省文と再発防止策を出せって?」
 俺はネット配信の会社の担当者にそう聞いた。
「前回の作品で、スタッフ・出演者への給与や福利厚生予算の名目で出した金を製作費に流用しましたよね?」
「ええっと……それは……良い作品を作りたい為で……その……」
「もう、そう云う時代なんですよ。スタッフや出演者への食事はコンビニ弁当じゃなくてケータリングで温かい食事を出して下さい」
「でも……その……俺の若い頃は……そう云う苦労をして……その……」
「貴方の若い頃とは、世の中そのものが違うモノになってしまったんです。この業界だって、その影響を受けますよ」
「は……はぁ……」
「あと、このシーンですが……」
 担当者はタブレットPCに、俺の前の作品のあるシーンを映した。
 夜中の公園での主人公とヒロインが会っているシーンだ。
「何でしょうか?」
「背景に映ってる公園の時計を見ると……夜中の十時過ぎですが……」
「ええっと……それが……」
「スタッフや出演者に深夜手当は出しましたか?」
「ああ……ええっと……」
「あと……製作費に流用した、って言いましたけど……自分の飲み代にも使いましたよね?」

 若造とは言え、製作費を出してくれてる会社のヤツだ。
 言いたい事は色々と有るが……次のミーティングまでには、言われた書類はきっちり送った。
 まぁ、同じ業界の一〇歳以上齢下のヤツに頭を下げて最近のやり方を教わる、と云う屈辱的な真似をする羽目になったが……。
「送ってもらった書類の通りにやってもらえれば、前回みたいな事にはならないでしょう。ちゃんと、再発防止策通りにやっていると云うエビデンスを取っておいて下さい」
「は……はぁ……どうも……」
「で……脚本の内容ですが……古くないですか?」
「えっ?」
「例えば『家事や子育てよりも自分の仕事を優先する妻を夫が論破して妻が折れる』ってシーンですよ」
「いや……古いって言っても、例の病気の大流行以前の話なので……」
 そうだ……。
 もう、そう云う時代なのだ。
 あの病気の大流行で社会は大きく変った。
 夫婦で家事や子育ては分担する……。ただし、それは夫婦の能力・収入・社会貢献度が、せいぜい6:4ぐらいまでの差しか無い場合で………嫁の方が圧倒的に収入が多ければ、家事や子育ては夫がやる事になる。
 俺みたいな……俺の世代の中でも古い男にとっては嫌な時代になったが……あの伝染病からの復興の際には、枷さえなければ能力を発揮出来る者に枷を嵌める事は「悪」と見做されるようになった。
 実際にそうして、世界は復興したのだ。
 しかも、あの病気の流行で「嫁は家に居るモノ」「嫁は亭主を立てるモノ」と云う固定観念を持つ世代は……大幅に数を減らしてしまった。
 そして……そうだ……このドラマの主人公夫婦は……嫁の方が圧倒的に有能に見える。加えて、脚本をリライトしてる時に出演予定者からも「夫の側が、譲歩すべき時でも全く譲歩しないからこそ成り立つ不自然な話」と云う指摘が有った。
「お決まりの古臭い『今の基準で当時を裁くな』ってヤツですか?」
「ええ、そうです……」
「ところで、あの病気の流行以前に貴方が作ったドラマで似たようなシーンが有りましたよね?」
「……え……ええ……」
「SNSから、その時の感想を拾ってみたんですが……」
 そこにはズラズラと……「今時、この描写は古臭い」と云う感想が並んでいた。

「あの……どうしても……その……」
「まぁ、予算は出しますよ。貴方の好きな言葉だと『私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をか賭けて守る』ってヤツでね」
「そうそう、ヴォルテールの……」
「あの……それヴォルテールの言葉じゃないです。ヴォルテールの言葉だってのは後世のデッチ上げです」
「えっ?」
「まぁ、ともかく、この契約内容でOKだったら、サインして下さい。それで予算の手続は終りです」
「ああ……どうも……えっと……あの……何ですか、この『配信開始より2年間のPV数が規定数未満の場合、当社は監督に損害賠償請求を行なう権利を有する』と『この作品がSNSなどで炎上した場合、全ての責任は当社ではなく監督に有る。この場合も当社は監督に損害賠償請求を行なう権利を有する』ってのは……」
「ええ、だから、貴方が作品を公開する権利を命を賭けて守ってるんですよ」
「守ってませんよ」
「何を言ってるんですか? 命を賭けて守ってるじゃないですか? もっとも、我々の命じゃなくて、貴方の社会的生命を賭けて」
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