第1話

文字数 2,886文字

ドナウ川がまだイステルと呼ばれていた頃の話。全身が金色のうろこで覆われたトゥルルは、くちばしに五つの穴を持ち、飛ぶと心地良い音楽を奏でる。
 しかし、この鳥がいったんアッチラの剣をくわえると、くちばしの穴から炎を噴き出し、緑の大地を戦場に変えた。
 カルパチア山脈の東に、ヤンチの部族は住んでいた。彼らは、安住の地を求めて山に祈り、月に願い、朝日を拝した。
トゥルルからアッチラの剣を取り戻そうと村を出た長兄は、愛馬キンチェムの皮に包まれて帰郷した。誰が、どのようにして運んで来たかは分からない。天上から降りて来たと言う者もいた。古来、馬の皮には不思議な力が宿る。
 村の長老が、少年のヤンチに西の国の偵察を命じた。少年なら他国に入っても怪しまれないだろう、との配慮からだ。
 麦が熟し、大地の緑が深くなると、ヤンチはキンチェムのなめし皮でマントを作り、旅に出た。
 立ちこめる夏草の芳香。初夏の陽射しを浴びながら、海沿いを南下した。ティサ川の河口まで来ると、川をさかのぼった。
 そこでヤンチは美しい光景に出会った。かげろうの羽化だ。夏のたそがれ時の一瞬、数百万の黄色い幼虫の群れが川底から這い出し、ブンブンと羽音を立てて舞った。
 翌日、そこから地の果てまで広がる大平原が見えた。草を食む羊の声と、羊飼いが吹く笛の音以外、何も聞こえない。
 「とても広い国です」
 「羊の声と、羊飼いの笛の音以外、何も聞こえません」とヤンチは長老に報告した。
 長老は、西の国の王様に美しい白馬を献上するよう、ヤンチに命じた。そして、「小さな土地と草と水」を馬のために願い出よ、と付け加えた。
 ヤンチは白馬を連れて旅に出た。海沿いを前よりも南に下り、ドナウ川の河口まで来た。
ドナウ川は、遊牧民が家畜を連れて移動した草原の道の終着点だ。この川沿いに遊牧民と戦う城が出来、町が開けた。
 ヤンチは、城の門番に王様の住む宮殿の場所を聞くと、どんどん川をさかのぼった。
 宮殿に着くと、ヤンチは王様に黄金のくらと白馬を見せて言った。
 「これは村の長老からの贈り物です」
 王様は上機嫌でヤンチに問うた。
 「何か欲しい物はないか?」
 「それでは、この馬のために、小さな土地と草と水を下さい」とヤンチは答えた。
 王様は「望むだけ取るが良い」と笑い、「このような美しい馬を、もっと連れて来るように」と言った。
 ヤンチは村に帰ると、王様の言葉を長老に伝えた。これを聞くと長老は、すぐさま屈強な七人の若者を呼んだ。そして、七色の騎馬隊を率いて西の国へ進撃するよう命じた。
 騎馬隊の兵士は、隊ごとに赤・橙・黄・緑・青・藍・紫のマントを着、馬もそれぞれの色のリボンで飾られた。
 騎馬隊は進軍の途中、敵らしい敵に出会わなかった。時折、兵士が弓を射たのは、背の高いヒマワリだった。
七色の騎馬隊は、まるでドナウ川に大きな虹を架けるように、王様の宮殿を囲んだ。
 赤マントの若者が大きな声で叫んだ。
 「要望により、美しい馬を連れて来た!」
 「土地と草と水は、馬が望むだけもらう!」
 遊牧民にとって、馬に必要な「土地と草と水」は全てを意味した。
 七色の大軍を見た宮殿の兵士たちは、恐れおののき逃げ出した。王様も白馬に乗って宮殿を脱したが、くらの重みでドナウ川に沈んだ。このようにしてヤンチの部族は、カルパチア山脈の西の国を征服した。
 しかしヤンチは、炎を噴きながら旋回する不吉な鳥を、不安げに見つめていた。
 ヤンチが海沿いの集落まで来ると、浜には鮫の皮が大量に打ち上げられていた。見ると、灰白色の漂着物の中に人が入っていた。
「海オオカミだ!」と浜の男たちが叫びながら、棍棒を振りかざした。多くは既に死んでいたが、まだ息のある者もいた。
 ヤンチは、彼らから事情を聞きたいと思い、浜の長者に願い出た。長者は息のある者を屋敷まで運ばせた。
 鮫皮を着た娘たちは、みるみる元気になった。浅黒い肌に黒髪、青い目の娘は海狼国の統領の一人娘、ローザと名乗った。海狼国は、漁に出た男たちが嵐にあって亡くなり、女たちだけになった国だと言う。
 ヤンチが浜に打ち上げられた訳を聞くと、ローザは何とトゥルルが現れたためだと答えた。
 「一年前から、剣をくわえた大鷲が上空を舞うようになった。そのため、これまで平穏だった国の秩序が乱れ、内戦が始まった」
ヤンチは長者とローザに、自分の旅の目的は、トゥルルからアッチラの剣を取り戻す事だと告げた。
 「トゥルルは千年に一度、海から昇る朝日を浴びて炎上する」
 「断崖絶壁に巣をかけたのは、新しい命の時が来たからかも知れん」
 「このロバを連れてお行き。お前たちの望む所まで連れて行ってくれるだろ」と長者は言った。
 翌朝、ヤンチとローザとロバは、長者の屋敷を出た。ロバはヤンチのマントにほおずりしながら、「キンチェムの匂いがする。あたしはキンチェムが大好きだったの」と言った。 ロバに先導されてヤンチとローザは、トゥルルが巣をかけている断崖に向かった。
 「ここから先は危険だから、僕ひとりで登ろう」とヤンチが言った。
 「危険は承知の上だ。それに、トゥルルからアッチラの剣を取り戻したいのは、ヤンチだけじゃない!」とローザが答えた。
 「そうですとも。あたしだってキンチェムの敵を討ちたいのよ!」とロバが言った。
 ヤンチは隼の羽根の付いた帽子をしっかりと被り直し、頂上めざして駆け出した。ローザはロバに引かれて岩山を登った。
ヤンチが頂上に着くと、トゥルルは一陣の風となって羽根先でヤンチを吹き飛ばした。トゥルルは山腹のロバとローザを見つけると、またしても矢のように突進した。とっさにローザをかばったロバは、トゥルルのくわえた剣が腹に突き刺さり、ばったりと倒れた。
 その時、ヤンチのマントから「アデル、アッチラの剣を守れ!」とキンチェムの声がした。アデルは渾身の力をふりしぼって立ち上がり、突き刺さった剣を抱えて走った。ローザが懸命に後を追った。
 トゥルルは、太く鋭い爪で獲物に掴みかかった。アデルはアッチラの剣を奪われまいと、自ら腹の奥深くに剣を突き立てた。
 夜明けが近く、炎上の時が来たのか、トゥルルは掴んだ獲物を海へ放り投げ、巣に引き返した。
ヤンチが海まで降りて来ると、ローザが瀕死のアデルを抱きかかえて泳いでいた。二人は近くの小さな島にアデルを引き上げた。
 「あたしが死んだら、キンチェムと一緒に葬って欲しい」と言い残して、アデルは息を引き取った。ヤンチは涙をこらえて、キンチェムの匂いがするマントでアデルを包み葬った。
 ローザは険しい顔をしていた。アデルの壮絶な最期に、ローザは今まで経験した事のない感動を覚えた。
 「ローザはこれからどうする?」とヤンチが聞いた。
 「帰って海狼国を建て直す。ヤンチはどうするんだ?」
 「トゥルルが何度生まれ変わろうと、この剣をくわえる事が出来ないようにするつもりだ」
 そう言うと、ヤンチはローザに別れのキスをした。
 ローザは頬を紅潮させて、「海狼国ではこうするんだ!」とヤンチの頬に噛み付いた。(了)
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