第1話

文字数 1,896文字

これは私がまだ幼いころの話である。幼いころの話といっても、幼少期の頃の記憶など誰もが曖昧であろうし、実際に私も詳しく書き綴ることが出来るわけではない。それ故にぼんやりとした表現を用いることもあるだろう。どうかそこには目をつぶって読み進めてほしい。
 幼稚園に入学したころ、いや、もっと前からだろうか、私にはお気に入りの人形があった。なんの変哲もないクマのぬいぐるみ、子供が抱きしめるにちょうどいい大きさのテディベアである。そのくまさんを私は肌身離さず持ち歩いていた。どこへ行くにも一緒で、毎晩抱きしめながら眠りについていた。内向的で友達の少なかった私の当時唯一の親友であった。ここまでならばそう珍しい話でもないだろう。これほどまでではなくても、誰にでもお気に入りの人形の一つや二つはあったはずである。しかし、私のそれはいわくつきであった。というのも、その人形を両親は買い与えてなどいないというのだ。これは小学校の頃から、果ては大人になってまで両親に何度も確認した事実である。両親曰く、気づいたら持っていた。どこからか拾ってきていたとのことである。その日はショッピングに行っておらず、さらには近くにおもちゃ屋もなかったとのことで、万引きしたものではないだろうと気に留めずにいたらしい。それは両親としてどうなのか、とか大人としてどうなのか、とかいろいろな突っ込みどころはあるだろうが、そういうものなのだ。私自身もこんな曖昧なものをよしとして、話として書き綴ってしまっている。子は親を映す鏡とはよく言ったものである。さて、そんなどこからか拾ってきたお人形さんであるが、「どこからか」と言っているように、私自身もどこで拾ってきたのかは覚えていない。両親曰く、当時の私も曖昧な返答しかせず、詳しいことはわからなかったらしい。覚えていないにも関わらずそこまで大切にしていたのだから、よほど衝撃的な出会いだったのだろうか。どうにも幼少期の記憶というものは喉元に引っかかってもそこから先に出てこない。酔いつぶれたにも関わらず嘔吐できないときのような気持ち悪さと歯がゆさが体を疼かせる。上から蓋をされているかのようだ。まぁ、そんな出会いも今となっては知る由もない話であるのだが…。
 そんな不思議な出会いをした得体の知れない人形であるが、当時としては高性能で、いや、よく考えてみれば当時ではありえない性能をしていた。私が話しかけると、その話に対応して話しかけ返してくれたし、歩いたり、飛び跳ねたりして私を楽しませてくれた記憶があるのだ。何なら一緒にお遊戯会の練習すらしたかも知れない。しかし、両親はそんな姿は一度も見ていないという。そういえばそうだったか、これも思い出せない。私が両親に見せなかったのか、何故見せたくなかったのか。「喋ったり歩いたりするのは君の前だけだよ」とでも言われていたのか。そんな二人だけの秘密があったのか。あるいは単なる私の妄想か。それとも、いつか見た夢と現実がごっちゃになっていたのかも知れない。しかし、私の中ではそれが確かな記憶なのだ。凡庸な私の生涯において、こうあってほしい夢と現実が一致した唯一の事例を、イマジナリーフレンドだとかそういった既存の言葉で片付けてしまいたくないのである。私の中では確かな記憶なのだから。
 人形との別れは唐突だった。どこからか現れた人形はどこかへ消えてしまった。ある日を境に急にいなくなってしまったのである。私の記憶では、私の人形そっくりのクマさんがどこからか現れてそいつを連れて行ってしまったのである。こう聞くと私の人形は妖精か何かと思うかも知れない。子供の頃の記憶なんて曖昧なものである。その人形がいなくなったときに私が何と言っていたか両親に聞くことがあったのだが、やはり私は幼少期にも同じことを言っていたようだ。そっくりのクマさんが私の人形を連れて行ったと。それしか言わなかったらしい。両親は失くしたことに対する言い訳だとばかり考えていたようだが、お金を払ったものでもないし、そこまで気にしてはいなかったようだ。しかし、私の悲しそうな顔は見たくなかったらしく、新しい人形を買い与えてくれた。同じ人形は売っていなかったようで、似たような柄の違う熊の人形だった。その人形は今は実家の押し入れで眠っている。なぜだか愛着が以前ほど湧くことはなかったのだ。

 あの時の人形は何だったのか。今の私にはわかる。神は自らに似せて人を作ったという。人もそうなのだろう。そして他の知的生命体もおそらくは…。たった今、私の眼前に広がる光景からはそうとしか考えられないのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み