第1話

文字数 5,000文字

許さないことは暴力だ、などとテレビがいっていた。そんなエッジの効いた有形無形物がこの国にあるとは思えない、などと話しながら男女3人で朝の歌舞伎町を歩く。有史以来の最長の連休だというのに土砂降り。足元では食物油をぶちまけたように雨粒がはじけ、裾が踝ぐらいまで鉛色に変色している。傘のない俺達は夜を過ごした新大久保のカラオケボックスから休息できる場所を求めて彷徨う。「たしかミラノボールあたりにマンガ喫茶があった気がする」ダイスケの情報につられ、やってきたが激しく迸る焔のような湿気に浮かぶその場所からはマン喫どころかミラノボール自体も消えていた。
「いっそグレースホテルにでも泊まるか」
防水コンパートメント越しにスマホを覗くダイスケ、エクスペディアで14000円。区役所通あたりのラブホなら休憩でいけるのではないかとハルミ。唯一の女子からそのプランを示してくれるのはありがたいのだが...。
「いちおう女子おるし」ラーメン屋軒先の黄色いシェードから落ちる水滴を見上げながらダイスケがつぶやく。
「いちおう女子だと思ってくれてんだね」ハルミはこちらをむき眠そうに目を瞬かせた。ホットパンツの裾から、さらけ出された、しろっちく、わりとグラマラスな太ももに水滴が滴る。その表面に夜明けもクソもない大降りなのだが、それでも、その日の始まりが青白く滲んでいる。
「俺がいったんじゃないよ、でも、俺も同じ意見、女子じゃないんなら、なんなんだよ」
「まあ生物的にいうとメスやな」
「メスって…」
「いいのよ気にしないで、というか気をつかわないでよ、30近いし、だいたい長い、つきあいの我々じゃない」
我々...という表現をハルミはよく使う。若い娘がつかう表現ではないと忠告したことがあるが、10代の頃読んでいた古風な小説家の影響で、いまさらやめられないという。
「だから信用してるってこと?」
「信用というか」
「まあ、いろいろシェアしてるよな」
「信じあう喜びも傷つけあう悲しみも…」
「というか犯りたいんならとっくに犯ってるでしょ」
ダイスケのベタなフレーズの語尾にかぶせるよう、片方の口角を挑発的につりながら童顔な丸顔をふたたび向ける。30歳が近いわりに、つぶらな瞳は黒目があふれそうで、雨雲の下っ腹の湿気を吸い込んだように潤んでいる。
「とにかく、その辺探してみるわ、トイレにも行きたいし」と走り去るダイスケ。雨は多少、小降りになっている。
「ダイスケ、私のこと好きなのかな」ハルミのことを好きにならない男はいないよ的な言い回しで場つなぎしようとするが、よした。ダイスケのバックショットを見つめるハルミ。少し寒そうなのでバッグパックからマーモットのフリースをとりだし、頭にかぶせてやる。
「キミはいつもやさしいよね、わたしのこと好きなの?」
「というかハルミはだれでも好きなの?とかきくよな、そういうのやめたほうがいいよ」
「もういい歳だから?」
「いや年齢とか関係なく」
「愛に餓えてるのよ、きっと幼少のころ家族からそそがれる愛情が足りなかったのね、両親仲悪かったし」
そんなわけはない、ハルミは20歳くらいまで父親と風呂に入っていたし、その父親は仲のいいハルミの母親と10連休を利用してフィジーにいっている。フィジーの天気はいいのだろうか、話の間も持たないので検索してみる。
「10連休で20日分くらい晴れてるみたい、おまけに気温も摂氏30度くらいあるらしいよ」
検索を終えるまでもなく、スマホを覗きながらハルミが答える。
回転灯の赤をチラチラふりまきながらパトカーが目の前の通りを過ぎた。夜の名残をたたえた雨水のベールの奥、朝っぱらから制服を着込んだ年配警官は指の腹で目をこすり、若手がステアリングを握っていた。
かたわらのハルミも手のひらを両目に押しつけて首をすくめている。そろそろ、横になりたいのだろう、なんとなく身をよせてきた。潤いを含み、おさまりがつかなくなったショートボブの髪が肩に触れる。その間が心地よすぎウトウトしてしまいそうな刹那、頚部ポケットのスマホがふるえダイスケからのメッセージが伝えられた。
「ダイスケってやさしいね、きっとキミのこと好きなんだよ」
「なにいってんだよ男同士だぞ」
「男同士だからそういう風にしか愛情表現ができないのね」
不覚だったのは、手元でスクロールされたそのメッセージがハルミにはバレバレだったこと。
「あとはよろしくやってくれ」

界隈ひとおりのマンガ喫茶、PC 빵やらを廻り、覚悟を決め、その手のホテルまで踏み込んだが、すべて満席満室。歌舞伎町のど真ん中、24時間営業のバッティングセンターにたどり着く。こんな天気のこんな場所に、この時間からバットを振り回せるのはありがたい、とくにこんな朝には。
「たまにはかっこいいとこ見たい」と150キロ直球レーンに押し込まれる。朝の7時だというのに、カッコイイところを見せたい男や見たい女子に占拠された110キロや120キロといったレーンからは雨空に不釣合いな快音が軽やかに響いている。
湿潤も速乾しそうな熱気ラブラブゾーンと緑色のネットで仕切られた150キロレーン。投球マシーンに向かうフィールドはオープンエアーでビル風にまかれた雨粒が吹き込んでいる。打ち返すべく彼方はネットで囲われ、上の方に電飾をあしらい「ホームラン!」とかかれたボードがぶら下がっている。
誰かの頭をボコボコにしたようにへこんだメタリックバットを雨どいパイプを輪切りにしたようなホルダーから抜きだし、ネチネチしたクリップを握しめ、ベースの横に立つ。
「ホームラン打ったらやらしてあげるよ」
1ゲーム分のコインを投入したあと、ハルミはネットで隔てられた場所へ避難した。
そんなことすべきではない、とわかっていたのだが振り返り彼女をみると、ハルミはいつもの笑みを浮かべている。次の瞬間、飛び降り自殺に出くわすと、こんな感じだろうという衝撃。時速150キロで激突する球体の勢いに、へたりそうになる。1球損した。
あらためて、往年の読売ジャイアンツ左投げ投手の顔がデジタル映像であしらわれたマシーンに向きなおる。その一部、アームらしきが、ゆっくりと旋回し、背後の筒状構造物から1球受け取る。一瞬の間ののちバネにに引っ張られた鋼鉄のアームが激しく回転、白い閃光が視界を横切った後、背後から先ほどの鈍い音が…速い。
「なにやってんの、私ってそんなに魅力ないかしら、キミの愛情ってその程度なのね」
「見てればわかるだろ、速いんだよ、150キロだぜ」
「でもダイスケは打ってくれたよ、そのアトも早かったけど」
ナニをいっているんだ。振り返るとハルミはいつになく、目元を赤らめている。さらに目があうと、親指の腹を耳の付け根に押し当てるように両手のひらを、見事にシェイプされたムーンフェイスの下半分に添えた。羞恥がこぼれないように、でもあり、たんに面白い顔で笑わかせているようでもある。首を軽くかしげて、さらに両手の押しつけ色濃いグロスと雨しずくで艶っぽい唇をつきだしている。
ドスン!
ふたたび、鉄柱の枠にくくりつけられた強化ゴムに時速150キロの玉が突き刺さる。その波動のせいで、意識の中、エロチックというにはやや切なく具体的すぎるビジュアルが瞬時に気化した。そういえば、ここ1ヶ月くらいだろうか、ダイスケから「ハルミのことで相談したことがある」などと持ちかけられていた。

「惜しかったわね、うまくやってれば、いまごろ、いいとこいってヨロシクやってるとこだったのに」
32型テレビがに向かいコの字に配列された古めかしいソファーに身をゆだね、くつろぐ。ほのめかされた親友の肉体関係にたいする、あたり前のリアクションとして、激降りの雨にうたれ歩き回ったあげく、たどりついた銭湯。
「しかし、こんなとこに銭湯があるとはな」
大久保通りをちょっと入ったロケーション。くわえてこんな時間から営業しているというのも驚きだが、けっこう混雑しているのも意外だ。朝まで働いているタクシー運転手や色っぽさをご商売にされている女性たち、男風呂には2丁目から来たのだろうか、その手のメイクを落としヒゲをそっている、ちょっとガタイのいい、お姉さんもいた。
「あの娘、すごいおっぱいだった、こんな場末の飲み屋街までやってきて不法ナントカして働かなくても、どこにいてもチヤホヤされそうなのに」
たしかに体のラインやあらゆるパーツ、仕草や立ち居ふるまいなど、すべてが東洋文化を激しく挑発しているような南米女子に目配せをする。
「おい、聞こえるぞ、彼女たちだって多少の日本語はわかるだろうし、だいたい違法ではない滞在者かもしれないだろ、日本国籍の娘かもしれない」
「へえ、キミもそんな、属性的なこと気にするほうだったんだ、わりと女子っぽいね」
「なんだよ、おんなっぽいって、それに俺は属性によってヒトを判断しない」
「おんなっぽいじゃなくて女子っぽいなんだけど…」
こういった場合、「お前も入浴してこいよ」というと、タオルを借り身体にまとわりつく水気を拭うだけで、入浴したフリをするのがスタンダードな女子だろうが、ハルミは、気づかって早め、20分くらいで出てきた自分より、さらに30分後に浴室から戻ってきた。化粧は落としているようだが、ルージュはしっかりと引いている。先ほどとは違い真っ赤なルージュ。
「なに口元みてんのよ、いやらしいわね」
「いや、さっきと雰囲気が違うと思って」
「さっきはボーっとしてて打ち返せなかったくせに」
「あたりまえだろ時速150キロの玉なんか打てるかよ、それに…」
「わたしがダイスケと関係をもったことを知ったから」
「本当なのか」
「許せない?」
「許せないというか」
「あなたはどうなの?」
「どうなのって」
「わたしと、そういう関係になれる?」
ダイスケとの関係を知る前、知った後、それぞれの立場での答えてほしいというハルミ。問題の前提自体が寝耳に水で、それなりの月日世間に身をさらし、要領やヒトあしらいなども手馴れてきた30歳前後の自分としてはここ数年でもっとも混乱するような状況だった。にもかかわらず、こころもちはなぜか平穏で心地よい。朝っぱらで、風呂上りだからだろうか。
「わたしは、いいのよ、キミのことも同じくらい好きだし」
なんと答えればいいのだろう。思い起こすと、ハルミと相対するとき、俺はつねに、彼女のもとめる単語やフレーズを口走っていた気がする。しかしこの状況では、もはや自分の思いというのを伝えるべきだろう。しかし、いまさらだし、こんな状況だし。

結局、我々は新宿駅南口で別れた。さきほどまでの豪雨が意地の悪い冗談のように晴れあがった5月の空。その透き通る感じが狭苦しく感じるほど爽やかで、ハルミも、そして再び合流したダイスケも晴れやかだった。
結婚式では友人代表のスピーチをお願いしたいという。「まあ、やってやるよ」といい、ついでに弾き語りでもしてやろうかというと、ダイスケは「奏」がよく、スピードラーニングで英語を頑張ってブリトニースピアーズを歌って欲しいとハルミはいった。
どうやら、結婚に際し、2人の間で俺がハルミのことが好きだったらどうする?という話になったらしい。そしてその気持を確かめるため下手な小芝居をぶった。
「ホームラン打ってたらどうしてたの?」多少憚る気持ちはあったが、こっちだって酷い目にあったのできいてみた。ダイスケは疎ましさが滲むような小指の指先で目じりを掻き、ハルミはいつもの表情で、もちろん抱かれた「当たり前でしょ」といった。
きっと2人は上手くやれるだろう。そして、おそらく、おれと2人も上手くやるだろう。どうしようもなく落としどころのない想念を成仏させるためソープランドにでも行きたい気分だったが、それにしては豪雨の後の連休の空は晴れすぎている。
それでも一緒にいるのが友達なら我々ほど友達な間柄というのはそうそういない。とくにハルミは自分にとって死ぬ瞬間まで忘れることができず許さざるべき存在なのだが、であるがゆえにかけがえのない間柄。次の30年もよろしくやれたらいいと心から願っている。
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