第1話

文字数 1,997文字

戻りたい過去、やり直したいことはないですかと問われたら、きっと「はい」と答えるだろう。パソコンでデータを保存するマークをクリックするように、上書きできたら。その時まではそう思っていた。
 近所のコンビニへ行こうと歩いていたら、電柱のところでうずくまっている高齢の女性がいた。
「大丈夫ですか」
 近づいて声をかける。
「ああ、ちょっと足がね。若い時みたいに動けないね」
 おばあさんは、足をさすっていて、その手には杖を持っている。ゆっくりと立ち上がるのを手伝う。心配なので、目的地近くまで送ることにした。
「悪いねえ、もうこの辺でいいよ。ありがとう」
 そう言って離れようとしたが、おばあさんは、思い出したように何かを差し出した。
「何ですか、それ?」
「過去を上書きできるサプリだよ。お礼にあげる」
 と微笑んだ。まるで飴でも差し出しているかのようだ。急に笑顔が嘘くさく思えてきた。いかにも怪しい。このままセミナーでも連れて行かれるのだろうか。それとも、おばあさんはボケているのだろうか。一応、確認してみる。
「過去を上書きってどうするんですか? そんなこと本当にできるんですか?」
「ああ、できるよ。上書きしたい過去を思い浮かべて飲むんだよ。そして、寝て目が覚めると変わるんだ」
「そんな、冗談ですよね?」
「冗談じゃないよ。一番は試してみることだね。気を付けないといけないのは、過去を変えると未来も変わるってことだからね。じゃあ」
 そう言って杖を突きながらゆっくりと去って行った。過去を上書きってそんな漫画とかじゃあるまいし。
 いっそ投げ捨ててしまおうか。よくネット検索すると出てくる広告バナーで、本当かどうか怪しいサプリが出てくる。分かりやすいのが、ダイエットサプリだ。ビフォア、アフターの写真が出ており、そんなもので簡単に痩せられたら苦労しないって、と心の中でつっこむ。本当に痩せられたら、それを飲んだ人みんな痩せたことになる。個人的には、爽やかイケメンも胡散臭いと思ってしまう。笑顔の裏には何かありそうだ。
 爽やかイケメンではなかったけど、そういえば孝也はどうしているだろうか。ふと思い浮かんだ。二年前に別れた恋人である。あの時別れていなかったらどうなっていただろう。考えても無駄なことだ。食べ物の好みや好きな映画のジャンルも違って、価値観が合わなかった。歩み寄ろうとすることに、だんだん疲れてきた。でも、いい人だった。ヨリを戻すなんて今さらだ。どうしようもないことだから、もしも、あの時と仮定するのであって、こんなサプリ1つでどうにかできるとは思えない。
 きっとおばあさんに騙されているんだ。それか何かのサプリと間違えているんだ。もし、体に害があるものだったらどうしてくれるのか。でも、捨てられない。心のどこかでは少し期待していたんだと思う。迷いながらも、思い切って飲んだ。そして、怖くなってベッドに潜り込んだ。
 何だかあたたかい。猫なんて飼ってなかったはずだが。ただ、猫にしてはだいぶ大きく感じる。いや、猫じゃない、人だ。泥棒にでも入られただろうか。まさか、そんなマヌケな泥棒がいるわけない。おそるおそる目を開ける。
「わーっ」
 こんなこと起こるはずがない。思わず叫んでいた。隣に男の人が寝ているだけでも驚くのに、そこにいたのは孝也だ。
「どうした、沙未?」
 叫び声で起こされた孝也は、目をこすっていた。
「何でいるの?」
「いや、何でって言われても。いたら悪いのかよ。そりゃいるだろ」
 答えになってない答えを返された。一体、どうなっているんだろう。本当に、おばあさんの言った通りになってしまったのか。
「おい、どうしたんだよ。どこいくんだよ」
 呼びかけにも返事をせず、急いでベッドから起き出すと、スウェットにサンダルで家を出た。
「おや、やっぱり来たね」
 杖は持っているが、別人のようにしっかりと立っているおばあさんがいた。そばの電柱にうずくまっていたとは思えない。
「どういうことですか? 起きたら元カレいるし。あなたの言ったことが本当になったということですか?」
 肩で息をしながら問いかける。
「私は嘘は言わないよ。過去が書き換えられて未来が変わったんだ。望んだことが起こったんだよ」
これが本当に望んだことなのか、少し違和感を覚える。
「戻せないんですか?」
「できないよ。過去を書き換えるのは、運命に逆らうことだからエネルギーも使う。寿命も削られるんだよ。それぐらいの覚悟がないと簡単に書き換えてはいけない」
「それなら、どうしてサプリを私に?」
「それは、自分で考えるんだね。じゃあ」
 そう言って杖を突きながらも、ちゃんとした足取りで去って行った。
「誰かいたの? さあ、帰ろう」
 いつの間にか孝也が追いついていた。差し出された手は、あたたかくて大きい。
 彼と過ごしながら、宿題となったサプリをもらった意味を考えていく。
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