第1話

文字数 1,664文字

人生で初めてもらったラブレターは、残念ながら読むことができなかった。
私に読解力がなかったわけではない。単純に、漢字が間違っていたのだ。

「花ちゃん、大入になったらけっこんしよう」

本来、「大人」となるべきところが、見事に「大入」となってしまっていた。
当時の年齢を考慮すれば、今となってはかわいいエピソードに思えるのだが、小さかった私は二つ上の姉に手紙を盗み見られ「ヒロト、漢字間違ってるじゃん!」と笑われたことがひどく恥ずかしかった。その恥ずかしさから、まともな返事もせず、大入を赤ペンで訂正し突き返したことを覚えている。
「『大人』くらいちゃんと書きなさいよ、バカヒロト!」と。
以来、ヒロトは大人という字を書き間違えることはなくなったが、年を経ても人より誤字脱字が多いところは変わらなかった。気持ちに余裕のないときは、それがより顕著になる。だから、今朝スマートフォンに届いたメッセージを目にした瞬間、私は重い腰を上げて彼に会いに行くことを決めたのだ。
電車を降り人の利用が少ない小さな駅を出、歩くこと約10分。ヒロトの住む学生向けアパートに辿り着く。二週間来ていないうちに、いつの間にかアパートの前では梅の花が咲いていた。

「ヒロト、来たよ。……って、ちょっと大丈夫!?」

ドアを開けた瞬間、床に倒れ込んでいるヒロトの姿が目に飛び込んできて、私は慌ててなかへと入った。幸い、数回呼びかけただけで、彼はすぐに目を開ける。

「ああ……花。おはよ」
「『おはよ』じゃないよ! 具合悪いの?!」
「ううん、だいじょーぶ。寝落ちてただけ」

その返答に気が抜けて、息を吐いた。

「もうびっくりさせないでよ、連絡もらってちょっとは心配してたんだから! どうせ、また課題とバイトに追われて徹夜してたんでしょ?」
「あはは。花、名探偵じゃん」
「この部屋見たら、誰だって分かるよ」

テーブルには、電源が入ったままになっているノートパソコンとカップ麺の容器。
狭いワンルームの至る所に本とレポートが散らばっていて、衣服も脱ぎ捨てられている。

「まともなご飯も食べてないんでしょ。とりあえず、なんか作るから待ってて。部屋の片付けはその後ね」

立ち上がり、私は冷蔵庫へと向かおうとする。
すると、

「花」
「何?」

振り返った私に、ヒロトが居住まいを正す。

「来てくれて、ありがとな。それから……この前は約束忘れてて本当にごめん」
「……もういいよ。私もキツイこと言ってごめん」

互いに頭を下げ、長い喧嘩に終止符を打ったところで、私はあることを思い出した。

「あ、でも、これだけは言わせて。ヒロト、また漢字間違えてたよ!」
「え、マジ? どれ」
「ほら、これ」

スマートフォンを取り出し、私は今朝ヒロトから送られてきたメッセージを見せる。
そこには「救援を妖精します」とあった。もちろん、正しくは「救援を要請します」だ。

「うわ、『妖精』になってる……」
「いつも言ってるけど、ちゃんと確認しなよね。まあ、これ見て『よっぽど余裕ないんだな』って思って、私も来る気になれたから良いけどさ」

スマートフォンを仕舞うと、私は今度こそ料理の支度を始めた。

「でも、『妖精』なんてあんまり使わないでしょ、普通。予測変換で一番上には出てこなさそうなのに、よく間違えたよね」

言いながら、冷蔵庫の扉を開けて中を確認する。
うどんならすぐにできるかな……と考えているうちに漢字の間違いなんてどうでもよくなっていた私は、ヒロトが一人苦笑を浮かべていたことには全く気付かなかった。



*  *  *



花に会いたい。
会って、この前のことを謝りたい。
でも、素直に会いに行くことはできなくて、連日の疲れで重くなった頭で俺は考えた。
「救援を要請します」
優しい彼女は、きっとこのメッセージを見れば来てくれる。
けれど、もし、来てくれなかったら?
少し考えて「要請します」の部分を削除し、わざと間違った漢字を選択する。
初めて書いたラブレターを突き返されたときのように、「ちゃんと書きなさいよ!」と彼女が言いに来てくれるような気がして、メッセージを送信した。




<終>
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