第1話

文字数 1,502文字

 仕事だけはきついが、楽しみなことは一つだけあった。それは仕事でよくお世話になっている先輩の面白い作り話を聞くことだ。先輩はとにかく、ユーモアがある人で人望も深い人だ。最近は仕事終わりに同僚や後輩たちを呼んで、飲食店や先輩の自宅での飲み会をしているらしい。先輩は一人暮らしをしているみたいだ。しかし、この面白い作り話は誰にも知られていない。僕だけが知っている。一番面白かった話は、「給料2875円」という上層部や上司、先輩などの会社に喧嘩を売りまくった結果、なぜクビにならずに2875円というとんでもない給料へと減給された話だった。今日も二人だけの飲み会で、面白い作り話を聞くことになるから、とても楽しみだ。
「今日は何を話してくれるんですか?」
「三つ用意してあるよ。『課金の法案化』、『炎天下の寒がり屋』、『靴を食わせようとする上司』。どれ聞きたい?一つ選んで!」
「全部じゃダメなのですか?」
「うん、どれか一つね」
 どれも面白そうだが、逸脱したタイトルなのは『靴を食わせようとする上司』という話で、その話がすごく気になった。
「じゃあ『靴を食わせようとする上司』でお願いします」
「オーケー。ある会社でおかしな上司がいたんだ。簡単にいうと、パワハラをする上司だ。でも暴言を吐くわけでも、暴力を振るうわけでもないんだ。なぜか靴を食わせようとしてくる」
「靴、ですか」
「そう。仕事の失敗をしようとするならば、自分の履いている革靴を食べさせようとしてくる。当然、誰もが嫌に決まってるよね」
「まぁ、そうですね」
「そんなある日のことだ。上司は料理にはまっているらしくて、後輩たちを家に招いたみたいなんだ。料理を振る舞うために」
「それでどんな料理を出したのですか」
「いたって普通の料理だった。ご飯、サラダ、味噌汁、そして天ぷらを大量に揚げて、大皿に乗せて取り放題にさせた」
「天ぷらですか。なんとなく美味しそうですね」
「後輩たちもみんな美味しそうな顔をしたみたいなんだ。それで食べようとしたけど、普通の天ぷらと違って、ちょっと大きいことに後輩たちは気づいたんだ。その中身ってなんだと思う?」
「え、なんだろう。大きい以外で他にヒントはないんですか?」
「これまでの話を振り返ってみれば、わかるんじゃないんかな?」
 僕は話を整理してみた。上司は料理にハマっていて、後輩たちを家に招いて、ご飯、サラダ、味噌汁、そして大量の天ぷらを振る舞った。そんな上司は靴を食べさせようとするパワハラ気質の人。そのようなプロセスで考えた瞬間、僕はこれまであった面白さへの好奇心とワクワクが一気に消え去っていった。
「ま、まさか、その中身って」
「その反応は気づいたようだね。そう、20センチの革靴なんだよね」
 先輩は笑いを堪えながら話し始めた。
「後輩たちは、普通よりの天ぷらより大きいことはわかってはいるものの、革靴が入っていることもわからずに完食しちゃって、完食したところで、上司が中身の種明かしをした。後輩たちはそれを知って以来、靴を見るのも怖くなって、天ぷらも見るのも怖くなってしまった」
 先輩の話は終わった。先輩はまだ笑いを堪えていたが、すぐに笑い始めた。
「なぁ、面白いだろ?この話!俺、面白すぎてこの話ができたばっかりの時は笑いを抑えるのに数時間はかかったよ!」
 僕は何が面白かったのかがわからなかったが、先輩にとっては最高傑作なんだろうと思いながらも、先輩と関わったことをちょっと後悔してしまった。僕にとって、こんな恐ろしい話を、先輩は本気で面白いと思いながら話しているなんて・・・。明日以降の仕事は、憂鬱な毎日が続いてしまうかもしれない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み