おとな ようせい たんてい

文字数 2,000文字

 明日はクリスマスだというのに浮かない顔ですね。そんな貴方に一つ助言を差し上げるとするなら、幾つになろうと困った際には気心の知れた昔馴染みを頼りなさい、といった所でしょうか。その友人が私のように世界最高と称される探偵なら尚更の事です。

 ——なるほど、今朝目覚めてみれば夫婦の寝所に怪文書ですか。手元にあるそれを拝借してもよろしいでしょうか。失礼。ふむ。釘で引っ掻いたような筆跡で、おとな(adult)ようせい(fairy)たんてい(detective)、と書かれていますね。確かに怪文書と言えなくも無い内容ですが、まあ、そう焦らずとも、先ずは一杯お茶を召し上がってください。……ところで話は変わるのですが、子供というものは遅かれ早かれ大人へと成長していくものだと貴方も思われますか? ……ええ、ええ、そうでしょうとも、貴方のように先の大戦で活躍された立派な紳士でしたらその様に答えるのは至極当然の話でしょうが、しかしながら社会の規範から少々逸脱している人間というものは時に奇妙な思考を重ねるものでしてね、私などはこの文書を拝見してからというもの、子供なる存在は将来的には大人、妖精、探偵、の何れかへ成るのではないか、との思いが止まらなくなりまして。……妖精に成るとはどういう事だ、ですか。そうですね、貴方の顔見知りを例に挙げるとするなら二人の人物が頭に浮かんで来ます。一人は村の郵便局で毒入りのジャムを売っていた彼女、もう一人は邸宅美術館の一件で監獄送りになった彼です。そうですね、確かに彼女は見た目からして妖精そのものでした。内面にせよ適度に無垢で適度に残酷という、御伽話に出てくる妖精とはかくあるべしと思わせるような、そんな老女でした。彼女には善悪の基準だけでなく想像力も欠けていた点が我々には幸いしましたね。そしてもう一方の彼ですが、刑に服した今となっても罪を犯した自覚が無いままだと聞いています。歪みのない精神のまま、ほんの気まぐれで無慚を成してしまった。そんな彼もまた妖精と呼べるのではないでしょうか。……私の言いたい事は分かっている、ですって? 妖精と目されるようなごく一部の、特異な事例を引き起こした人物を除けば、この世で特別なのは私のように名声を獲得した探偵だけだって言いたいんでしょう、ですか。なるほどなるほど。ふむ。何か誤解があるようですね。確かに私も探偵と呼ばれる身ではありますし、犯罪捜査に於いては最高の追跡者であると自負もしているのですが、私に言わせれば貴方もまた立派な探偵である事に疑いの余地は無いのですがね、それも特定の分野に限れば私などより遥かに優れた探偵です。おや、どうされました、顔が赤いですよ。もう一杯お茶を召し上がる事をお勧めします。それはともかく若き日の貴方ときたら、犯行現場で出会ったばかりの御令嬢を血痕が乾く暇もなく午餐へと誘い、その投げやりな眼差しを見つめて凍てついた心を溶かしたかと思えば、ボードレールよろしく墓だらけの教会にて永遠の愛を誓い合う始末です。しかもその偉業を当該事件の解決に私が費やした一週間が過ぎ去る前に成し遂げたのです。これは並大抵の偉業ではありません。そんな貴方を称するとしたなら、そうですね、さしずめ至高たる恋の探偵といったところでしょうかね。おやおや、また顔が赤くなっているようですが、大丈夫ですか? ……さて、お茶の席での戯れはこの辺りで切り上げるとしまして、御自宅に戻られたなら確か今年で六つになられましたかね、貴方のお嬢さんに尋ねられる事ですね、明日のクリスマスプレゼントは何が欲しいんだい、とね。でも、まあ、私が貴方なら、そうですね、昨日の朝刊を取ってもらえますか、そこの棚の、そう、それです。貴方も定期購読している全国紙です。其方の家では読んだ後にまとめて捨てられるか子供の工作にでも用いられているのでしょうが、私はこうして何時もきちんと分類した上で保管しているのです。ああ、これこれ、ここの広告欄をご覧なさい、ええ、それです。どうです、貴方にも見覚えのある商品でしょう? 騙されたと思ってそれを購入して今夜の内にツリーの下に置いておきなさい。ええ、そうです、それをです。去年招いて下さったクリスマスパーティーにて、無邪気で向こう見ずな奥様が柘榴色のドレスの背中から生やしていた妖精の羽です。もっとも、パーティーもお開きという時分には羽というより蜘蛛の巣の残骸といった有様でしたけど。奥様にはもう少しだけお酒の量を控えて貰いたいものです。それにしても、童心に帰りたい大人(adult)向けの妖精(fairy)の羽、決定版(definitive edition)、ですか。今年のパーティーでこれを身につけたお嬢さんはさぞかし愛らしく映えるでしょうね。ただ、まあ、年端も行かぬお子さんでしたら決定的(definitive)探偵(detective)と見間違えたとしても驚くには値しませんがね。しかもそれが世界最高の探偵である私という友人に恵まれた貴方のお嬢さんなら尚更の事です。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み