第1話

文字数 3,732文字

 

「こいが全国模試の結果チャートだっぴ。五角形のびーどる方が、成績優良で、芯に近いほうが、ばぐんどる。わがんな。涼真さはデコボコだっぴ。
 英語はとっぴし。国語、理科も、がっぱういけろ、んだが数学、社会は平均をへこっとる。
この二教科が悪瓢(あくびょうたん)だば、足かせで全体がばぐる。教科んバランスがねど目がかすん。新馬鞭打(しんばむちう)って走んねば、わが(もち)くわれねーど」
秋風がそよぐ窓からの景色を一瞥し、僕は「はあ」と気のない返事を吐く。連山の落葉樹の緑葉が、僅かな黄みを得ている。秋の実りが恨めしい。視線をもどすと面前の白鳥先生も、九月の景色を眺めていた。
 彼は世界史教科の若い教師だ。フチなし眼鏡の長髪で色が白い。にもかかわらず方言がひどく、気に障る。
「ゆくは進学コース、目標大学はだんだ、東京都・・東京都立大だっぴ。ういけろ大学だっぴやさ。まんだ足りねど学力。
地元はどやさ。こいは公立大があんど、家から通えるっぴ。いいど、そがんせそがんせ」
「いや、です」と苛立ちを抑えず即答した。
「そこが無理なら、都内のどこかへ進学する。僕は東京に帰りたいんです」
教師は「涼真さは東京にけろっぴが、あんだやー」と、納得した顔を返した。
話は終わったはず。なのに、面談時間をフルで使いたい先生は、こんどは生活指導を始めた。
中学時代から続けたバスケットボールを活かして部活に参加しろ、体育会系のサークルに加われっていう件だ。レベルが低すぎて参加する気がしない。絶対群れないって。
「世田谷ん中学校時分は全国レベル。ういけろな。涼真さパワーフォワードで、背がびーどるんでポイントゲッターか。いんやわいもバスケ選手だら補欠でぼ。いってくだんねっぴ。
まーだ高二だ。勉強も丸福だで、体走らすのも丸だでな。どっちもあにやんで。地蔵どんかるって石階段昇るは朝が丸福(まるふく)て、決まっとるっぴ。彼岸またねど地団駄(じだんだ)ふんで、赤べやかっぱろけ・・・・」
成績票を丸めてポケットに沈め、僕は職員室を退席した。

 三階から四階の教室に戻ると、栞奈(かんな)が僕の席を占領していた。
セーラー服にタオルを首にかけた姿。スマホをイヤホンで聴いている。
「うあーっ、がっぱぼんぼー」僕の気配を察知して、彼女は窓に向かって胸を反らした。
「だいぶ疲れたようだな、こっちもほんと疲れた」
学生カバンを手にして促すと、彼女はタオルをスポーツバッグに丁寧に仕舞い、軽く髪を梳いて立ち上がった。
 二人して階段を降りる。掃除された長い廊下を歩く間にチャイムが鳴った。
下駄箱でスリッパを脱ぎ、靴を履く。僕はバスケットシューズなので時間がかかった。
校庭で野球部員が、土埃を揚げて紅白戦に励んでいる。奥のテニスコートからは大きな掛け声が聞こえる。下手くそなのに練習好きな連中だ。
駅は近く、石畳の坂を下り、信号を曲がると見える。
(かんな)が指導面談の話を聞くので
「しゃべりがよくわんない。勉強して運動しろってことだろ」と答えた。
「バスケのことよく知ってたな、中学の内申書読よんだのか」と独り言を言うと、栞奈は、
「そんもあんけど、体育の授業だっぴ。
涼真さ、バスケでドリブルやんですぐ他にパスはっぱすで、そのパスがういけろパスだんで、
ただのびーどるじゃねどわかったんだっぴ。白鳥先生は元バスケ選手だで」
「ははは、でも補欠じゃん」
「いんでねが、そんばやんでなど」
「わかったよ」
僕は彼女の重いバッグを持ってあげたいが「わいでできんが」と前に断られた。重荷の彼女の隣で歩くのはつまらない。
 単線レールのホームを無言で待って、僕らは電車に乗った。
空いた席で横並びに座り、彼女のスマホで、同じ音楽をイヤホンで聞く。
栞奈の好みは古い洋楽。先週はクイーン、今週はアースウィンド&ファイヤー。
「Badeya 憶えている?九月二一日のこと。決して曇ることなのない、踊ったあの夜をさ、明るい夢が輝いた日々を・・・・」切ない歌詞を僕が訳すと「んなだね」と長いまつ毛の瞳を細めた。
二人とも英語が得意。僕はヒアリングは自信があるが、彼女の発音はネイティブっぽくてかなわない。ちょいハスキーな声が波打ち、聞く人の心を魅了する。
フレディが先生だと彼女は言った。本当かな。英語を喋る時、栞奈はイギリスのシンガーみたいに映る。誰だってそう思うだろ。
 車窓の景色は、校舎からの景色と変わらない。盛り上がる丘陵は、常に優しく、時に険しい。山の手の地下鉄にない深い遠景・・・・。


 父の仕事の事情で転勤が決まった時、母は「涼真が進学する三年間、旅行と思ってパパに付き合うか」と言った。
食品会社の技術職の父は、ずっと都内の本社勤めだったが、この地の新設の研究所に選別されてしまった。
栄転じゃないはず。家族はとばっちりだ。
僕が高校へ進学していれば、母共々残れたのに、進学前のタイミングが悪かった。
 慣れたマンション生活、ラインが絡まる地下路線図、時々会うヤバイ友達、フィンガーロールを競ったバスケのライバル、全部なつかしい。四角い空が僕の故郷なんだ。
 父は目的がある。研究所に行けば、素材があって、地元の職員と喧々諤々騒いでりゃいい。驚いたのは感化のされようで、初日の夜から「がっぱぼんぼー」と、自分の肩を叩いて帰って来た。地元の言葉を進んで身につけ、考え方が変わってきた。
どう変わったかというと・・・・凡庸(ぼんよう)。エッジがないって感じ。
母はあきれ、僕を見て首を振る。
 専業主婦の母は標準語を外さない。ここで仲間はつくらないと決め、Webで東京の友達とランチする。ミニクーパーを運転して、フィットネスクラブで黙々と体幹を鍛える毎日。
「私は旅人、長い旅路で心身を壊さないように注意して暮らすだけ」と、
達観した物腰で平常心を保つ。
洒脱な母が言うとカッコいい。その母が珍しく驚いたのが栞奈を街で見た時で、
「すごいバランスの子」と呟いた。長い手足の体形なのか顔のパーツか知らないが、的を得てる。駅が同じで、生活圏が重なるから遭遇した。
母はほとんど人を褒めない。彼女と話せるようになる前だったけど、誇らしかった。

 目を瞑り音楽に没頭する栞奈をうかがう。
おでこと鼻筋の横顔の輪郭がきれいだ。
頭の中にはダンスを踊る恋人がいるのかも。そんな表情をしてる。
 彼女は東京外大を志望してて、有言実行の努力家だし、多分いける。
「映画にかわる仕事してな。広報にとっぴし興味あんべ。北欧のういけろ作品をべんべろ紹介して、おおわさ、はずんでもらいたいに。がっぱ国めぐりたいっぴ」と、
夢の話をしてくれた。
そうさ彼女は、日本語なんか話さず、流麗な発音で、外国人たちと交友するのさ。そして多分きっと、輝きを正当に評価され、僕からは遠のく。嫉妬は募るが仕方がない。
彼女の可能性は知っている。
 いつの間に憂いを含んだ瞳で、栞奈が膝をさする。
大会前で練習がきつい。バトミントンは見た目以上に故障が多い。バックハンド側の片足着地で、膝の靭帯を痛めていた。
「栞奈さん、そのままだとほんとに切れちゃうよ。適当に力を抜くか、
いっそバト止めちゃえば」
軽口を叩くと
「いんさこいで、やんだけやんさ」とさする手を止めた。
彼女と目が合う、慈しみと尊敬の感情が沸いた。枕木を渡る線路の振動が、心音となって響いた。
 二人で駅に降り、並木道を歩く。僕はポケットに手をいれてアスファルトをなぞり、彼女は空を仰いで。
「背筋のばしど、ダゴムシなんど。ほれ、びーどるはっぴ」と彼女に背を叩かれ、視界をもちあげる。すると、捉えた雲の形が、スカイツリーに見えた。
「わっあれ」
巨大な積雲の形に驚き「なににみえる?」と声を張った。
茜色(あかねいろ)のあいか、なだな・・・・んだー・・・・クジラだ、マッコウクジラ」
「うそだろ、どこがだよ、めっちゃスカイツリーじゃん、ギューっと登ってすらりとして、
指さすあの雲だぜ、マジか」
「なげなこと、シューとしとるは尻尾(おっぽ)だっぴ、
クジラが気分ういけろ、海をほうらほうら、せぐ姿だっぴ。涼真さ目がばぐんどる」
真顔で言うので真剣だろう。この違いはなんだ・・・・。
 楓の森の三叉路で、僕は西の通りに、彼女は東の小径へ分かれる。
「あのさー」と言って唇を噛んだ。ふらりと落ちた楓の葉が、頭の上に留まり、バカっぽくて気まずい。言うなら今日で、今だろう。しっかり言えるかわからない。やっぱ無理かなー。
急かされたら止めるのに、栞奈は黙って待っている。
「あの、栞奈さん・・・・」落葉を払って息を吸う。
「かんなさ、こいまでわいと、いでて、ぼんぼーだっぴか?ありがとな・・・・
あの・・・・東京もんの悪瓢箪(あくびょうたん)で、ばぐんどる男で、
ただ、びーどるだけのもんだで、目がかすんどな。
おいは考え、なおすど、ほんとに。かんなさ・・・・がっぱけろっぴ」
言い終わった安堵感でほっとしたいところが、彼女は見事に赤面し、バッグを路面に落としてしまった。
いやまて、思ってた反応と違う。どこしくじった。慣れないことするからこうだ。がっぱのとこが悪かった?「けろっぴ」は愛着あるとか、気に入った、の意味のはず。別の濃い愛情表現もありかよ、まてよおいちがうって、ちがわないけど。
「わだいの家まで送れっぴ」
栞奈は顔を背けてそう言うので、僕は彼女の荷物を引き取り、肩に担いだ。
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登場人物紹介

涼真。

17才 好きな球団は、ヤクルトスワローズ。

栞奈。

17才 好きなアイスは、赤城乳業㈱のガリガリ君。

白鳥(悪瓢箪)史郎。

小学校時代にeスポーツにハマり、

バトルロイヤル系シューティングゲームで、

小2で世界ランカーとなる。

戦況に沿った武器の選択、瞬間的な勝負勘に優れ、

安全圏からの射撃、背後からの襲撃が得意。

引退までの4年間、チーム戦では仲間からはやっかまれ、敵からは背後霊と恐れられた。

好きな言葉は「それ、はんそく」

てんびん座。右利き。

ハンドルネーム「メスラクダ」


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