何気ない一言

文字数 3,920文字

何気ない一言が、人生を良くも悪くも変えてしまう。
そんなことを、割と真剣に考えています。自分の場合は、中学の時に言われた「ガリ勉」という言葉でした。僕は小学4年の時に塾に入って中学受験し、中高一貫の男子校に入ったのですが、元々勉強は好きではありませんでした(今も勉強の重要性は感じてきましたが、好きではありません)。

中学受験していた兄の影響で、なんとなく中学受験を身近に感じていたので、親に「受験する?」と聞かれた時に、特にこだわりはないまま「うん」と答え、受験生としての小学生生活が始まりました。ただ、机に向かうよりも鬼ごっこの方が好きだったので、初めて通った、家の近所の集団指導塾では、宿題も一夜漬けで、授業中も「あくびをしていました」と連絡帳に書かれてしまうような生徒だったので、成績はほとんど伸びませんでした。4人しかいないクラスの中で一応ランク付けされるのですが、そこで下のランクになってしまったのが4年生の終わりごろでした。結局、より厳しくチェックされる個別塾に転塾することになったのですが、とにかくそれくらい勉強が好きではありませんでした。

そして、何気なく中学受験を決めたので、もちろん特別に行きたい学校があるわけでもなく、親の「受験勉強はなるべく少ないほうがいい」という持論によって中高一貫校ばかりを受験し、なんとか合格できた男子校に進むことになりました。

中学入学時点で、僕は自分自身のことを「勉強よりは運動」の方が得意だと自己評価していました。そして迎えた登校初日。同じ教室にそろそろと入ってきて、「最初はあまり目立たないように」といった感じでお互いを探り合っているような空気感をひしひしと感じながら、席に座っていました。チャイムが鳴って教室の扉が開くと、入ってきたのはトトロを凶悪にしたような、強面で太っていて、レンズに色がついた眼鏡をかけている先生が入ってきました。

僕は、誰かに怒られることと、誰かが怒っている空間がとても嫌いだったので、「怖そうな人」は一番出会いたくない人間でした。それなのに、典型的な怖そうな人が入ってきたので、僕の緊張は頂点に達し、登校初日にして「この学校合わないかも」とネガティブな感情が支配していました。最初の1週間は、緊張で胃が痛くて弁当を食べきれなかったほどでした。

小学校ではほぼ全ての教科を担任の先生が教えていたのですが、中学になると教科ごとに先生が変わるので「この教科の先生は優しそうか」ということばかり考えながら毎時間過ごしていたのですが、ほぼ全ての教科で「怒ったら死ぬほど怖そう」な人ばかりで失望というか、絶望していました。

しかし、人間色々考えるもので、当時の僕が出した答えは「怒られるくらいなら、勉強しよう」というものでした。いい点数を取れば怒られないだろう、というマイナスからスタートしたモチベーションで、僕は宿題をしっかりと提出し、テスト前にはきちんと勉強するような人間になっていきました。その結果、学年でも上の方の成績を維持するようになり、いつの間にか周りの評価が「勉強好きな人」というものになっていました。これは、僕にとってとても不本意でした。だって、勉強より運動の方が好きだったから。スポーツテストの学年順位は、勉強の順位よりは低かったけど、それでも上位30人くらいには入れていたから。運動の方を褒めて欲しくて何度も何度も、「勉強は好きじゃない」と言っていたのに、「じゃあ、好きでもないのに成績がいいってことは天才なんだね」とか「やっても成績取れない人のことバカにしてんの?」と言われるようになり、僕の願望とは反比例して「勉強好き」というイメージを付けられていきました。

そして、中学2年の時「お前はガリ勉だから」と、いじられるようになりました。おそらくそれを言ってきた人達は大した思惑もなく、何気なく「ガリ勉」という言葉を発したのでしょうが、当時の僕にとってその言葉はとてつもなく鋭利な棘を持っていました。一度ガリ勉と誰かが言い出すと、それはどんどん伝染していって、いつの間にか「勉強しか出来ない(しない)人」という「ガリ勉」の持つネガティブな意味が、僕のコンプレックスになっていきました。

勉強は、怒られたくないからやっているだけなのに、「好きでやっている」と思われ、その反対に好きでやっている運動は、実際の姿を注視される前に「苦手」だと判断される。そんな日々が続いた結果、僕の心には「勉強が出来るやつ=ダサい奴」という価値観が巣食い、その価値観に自分自身が嵌っていくようになりました。

中高6年間で、多くはないけれど親しい友達もでき、「勉強を好きでやっているわけでない」ということを理解してくれる人間も次第に増えていったので、高校2年くらいから、その前ほど「ガリ勉の呪い」に苦しむことはなくなりましたが、僕は重大なミスを犯してしまっていました。それは「勉強が出来るやつ=ダサい奴」という誤った価値観をいつまでも持ち続け、ダサい奴を回避しようと行動したことでした。

高校という狭いコミュニティの中で一般的だった価値観が、世界全体に普遍であると思ってしまう視野の狭さに、高校を卒業してから気付かされました。いわゆる、学校が僕にとっての全てだったということだと思います。中高一貫という特殊な環境で植え付けられた「勉強=ダサい」という価値観。僕は高校でもいい成績を維持していたので、付属の大学に進学するのではなく他大受験することを担任教師から何度か勧められましたが「みんなが遊んでいる間に勉強するなんて、この世で一番ダサい」と、断り続けていました。今考えれば、「他大受験すれば良いのに」の裏にある「普通なら受験してもいけるレベルなのに、なぜしないの?」など、「あいつは世間一般の考えとは違う考え方をしている」という見られ方が気持ちよかったのだろうと思います。そして、詰まるところ「努力したくない」という自分を、その気持ち良さの影に隠して正当化していたんだと思います。

そして、高二の終わりから、よりレベルの高い大学を受験する「受験組」がちらほら出てくるようになり、その人らに対しても「あいつらはいつも勉強している」というイメージはついていきました。それを見て、初めのうちは「やっぱり受験なんてしないほうが格好いいんだ」と、勘違いを信じ続けていたのですが、あることがきっかけでその価値観はぐちゃぐちゃに壊されました。

高三に入ると、受験組は休み時間も勉強することが当たり前の風景になっていたのですが、「あいつらいつも勉強してるよな」という言葉には、僕が向けられたような嘲笑のニュアンスがなかったのです。

なんで?あんなにお調子者で、休み時間はしゃぎまくっていた奴が、常に机に向かってるんだよ?格好良かった、面白かった奴が、「ガリ勉」になってるんだよ?それなのに何故誰も「ガリ勉」って言わないの?なんで「いつも頑張っている」とか「周りに流されずにすごい」とか、尊敬が根底にある言葉で形容しているの?じゃあ、俺の頑張りを認めていた人は誰?何人いる?今更受験勉強なんてもう遅いじゃん。なんで今更になってそんな態度なんだよ?

僕は、周囲の「勉強するクラスメート」に対する見方が変化していたことに、今までの自分のアイデンティティが溶けてなくなるような感覚を覚えました。「勉強は好きじゃないけど、成績はいい」ことや「努力しない」ことは、「格好いい」という範囲の外になっていたことに、そのとき初めて気が付きました。まぁ、その時点で浪人を覚悟して受験に切り替えていればまた話は変わっていたのですが、勉強や頭の良さが賞賛されるものという事実を大学に入ってからようやく気がついたので、結局は煮え切らず努力できないまま付属の大学に進学しました。

大学に入ってから、ようやく「旧帝大・早慶」というステータスは、社会的にも性的対象としての魅力としても大きなアドバンテージになっているということや、「優秀」という言葉の持つ本当の意味を知りました。

少し歪んだ僕の学歴コンプレックスは、未だに解消していません。僕より早い段階で、正しく「勉強」の意味を捉えて、「勉強という努力」に価値があると信じて、努力できた人達と、周囲に惑わされているのに、「他とは違う自分」を演出して努力しないことを正当化していた自分。そのギャップに、というか、ともすれば他人のせいにして自分を棚上げしてしまいそうな僕自身に、劣等感を抱いています。

もし、中学受験していなければ。
もし、違う高校に入っていたら。
もし、「ガリ勉」と言われなければ。
もし、勉強の意味を理解していれば。
もし、浪人する勇気を持っていれば。
もし、自分の想像以上に浪人生は多いということに気がついていれば。

何か変わっていたかもしれません、というか、良し悪しは別として間違いなく変わっていました。
何気ない一言で気がつかないうちに大きな選択をしていたり、人生を変えられていたり。
そんなふうに、いつまで経っても過去を過去として精算できずに後悔し続けている間に、「就職活動」という新しい壁が目の前に迫ってきました。

「リスクを取らないことがリスク」
「効率的に時間を使え」
「勝ち組になりましょう」と、マッチョなエリートたちに言われる。

いつまでも過去を振り返って、うじうじとしている自分は、求められてないのかも。
いやいや、待てよ。お前また「自分は就職活動なんて向いてない」って、他人と違う自分を演出してないか?それを隠れ蓑にして、また努力しなくてもいい逃げ道を探してないか?

もうおかしくなりそうです。
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