水魔 ―安倍野家の伝承—

文字数 10,236文字

          ◇おことわり
            文の途中、半角分の空白があらわれる場合があります。これは、作者
           の意図によるもので、句読点につぐゆるい区切りを示します。作者はこ
           れを、「半読点」または「アケマス」と呼んでいます。ただし、行末
           (ぎょうまつ)には使用しません。
  
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   水魔 ―安倍野家の伝承—
                        鵺 村  静 語≪ぬえむら せいご≫

 文題の姓を見て、聞いたことがあると感じた人も少なくないと思う。ご推察のとおり、ぼくは、あの安倍晴明の血をひく者だ。直系ではないらしいが、濃いつながりがあると言い伝えている。ぼくにとって、これほど誇らしく嬉しいことはない。なにしろ、時の帝さえ、その言に従うことがあったというほどの人物だ。
 しかし、晴明にまつわる形のあるものが我が家に伝えられているわけではない。すべて言い伝えである。その言い伝えも、歴史家や陰陽道の研究者たちが明らかにし、定説化している内容と食い違うものはない。しかし、ぼくの頭の中には、どの書籍にもインターネット上にも載っていない晴明にまつわる記憶がある。
 安倍晴明について、ぼくにいろいろなことを話して聞かせたのは祖父である。今思えば、明らかに祖父の願望を織り交ぜた作り話が多かったようにも思うが、「スイマ」という言葉だけは、執念《しゅうね》くボクの頭の中にこびりついている。
 「…… セイメイ様、知っとるやろ。遠いご先祖様じゃ。そのセイメイ様がな、いちばん恐れておったもん、それはな、‶スイマ〟やったそうや。スイマーやないで。水の魔物と書くんやろな。占(うらの)うても当たらん。祷《いの》っても治まらん。大雨続きのときにはな、十日も祷り続けて、セイメイ様のほうが命を落としそうにならはったこともあったそうやからの。暦作りも、実は不得手やったが、それはまあどうでもええことやな …… 」

 二千二十五年の夏。異常に暑い日が続いていた。気象当局が、秋分の日現在で集計したところでは、最高気温 四十二度超を記録した地点が、全国三十五か所にのぼり、十二か所で四十三度を超えた。これは言うまでもなく、観測史上初めてのことだ。そして、その猛烈に高い気温自体が直接の原因となって高齢者が死亡するという、前代未聞のことが各地で現実に起きた。
 これに不安を感じなかった人は多分いないだろうが、また、驚いた人もほとんどいなかったと思う。なぜなら、ここ何年もの間、平均気温が上昇し「猛暑の夏」「酷暑の夏」が、一年おき、いや、毎年のようにやって来ていたのだから。テレビが映しだした、氷の上で生きるシロクマの、とりつく島を失っている姿があわれだった。

 この年の七月。ボクは一泊二日の予定で山歩きをした。特に山が好きだったわけではない。目的というほどのものもなかった。要は、ほかの暇つぶしに飽きての暇つぶしである。この時ぼくは学生という身分ではあったが、学校にはほとんど行っていなかった。いわゆるニート状態だった。昔の流行語、三無状態である。無気力・無感動・無責任 …… 。必然的に友達もなく、家庭内でも社会的にも存在感の薄い状態だったと思う。自身でも、自分は必要ない存在のような気がしていた。
 山歩きに選んだ場所は、二千メートル級の山が連なった、実に自然豊かなところだった。比較的に有名なハイキングコースで、かつて一度訪れたこともあり土地勘があったが、最新のガイドブックは用意した。いつどこで何が起きるかわからないし、自堕落な人間ほど、遭難や事故、トラブルを恐れる気持ちは強いものである。
 予定は大まかで、一日目の午前、電車とバスでコースの入り口まで移動。午後、十キロ強のハイキング。夜は民宿泊。宿はネット上に小さく紹介されているだけの「水車」という名の農家で、料金が安かったのと、実際に水車を動かしていること、そして「料理の野菜はすべて自家作」というキャッチフレーズが気に入ったからだ。
 二日目の予定。宿を出る。三十分ばかりバスで移動。その日のハイキングコースの入り口に近いバス停で降りる。二時間ほど歩き、コースの中間点で休憩。軽食を出す山小屋のようなものがあるはずなので、そこで軽く昼食。午後、後半のコースを歩き、途中で道を変え、帰るのに都合のよいバス停に向かう。全行程十二~三キロ。夜の七時か八時には自宅に戻る。実にざっくりとした計画だった。

 一日目当日。
 バス停から五百メートルほど国道をあがると、「コース入り口」の標示があって、そこから林道に入った。天気は予報どおりで、曇りがちの晴れ。森の中だからただでさえ涼しいところへ、道が広葉樹におおわれて日差しが遮られ、快適というより、小寒いくらいだった。
 ときおり樹々のあいっだに、ゆったりとした暮らしぶりがうかがえる民家を見かける。標高千メートルの森の中で、よく暮らしが成り立つものだと感心し、また内心ほっとする。
 コースは思ったより上り下りが多くて、息が上がった。あと二、三キロかと、先が見えたような気持になったあたりから、樹々の間に見え隠れする空の色が急激に変化しだした。山の天気が変わりやすいという言葉は人並みに承知していたが、そのときの色の不気味さ、変化の急なことには、ただならぬものを感じた。
 思いのほかに肌寒く感じたのも、この雲のせいだったかもしれないと思いながら、走り歩きの状態で民宿へと急いだが、あれっという間もなく降り出した。ぼくが目指す民宿は、この樹々のトンネルが一旦途切れて少し開けた場所にあった。他のペンションや旅館などが何軒か競うように営業している、その中の一つだった。
 宿に駆け込むと、老人夫婦と中年の夫婦が、四人そろって出迎えてくれた。ぼくは、濡れ鼠というほどではなかったが、雨が下着にまでとおっていた。
 老女が、「もう少し遅うならはったら、えらい目に遭うところでしたがな。納屋の火で乾かしますよってに、はよ着替えとくれやす」と言うので、予定よりもよほど早めだったが、直ぐに風呂に入らせてもらって、着替えた。ぼくにあてがってくれた部屋は、眺めの好い四畳半だった。しかしこの後、眺めなどとは言っていられない事態がぼくらを襲うことになるのだが。
 部屋からの視界は、百八十度ひらけていた。窓から百メートルほど先の、傾斜も凹凸もない、平地のような一帯が見下ろせる。そこは三つの凸地《でこち》の底のような場所である。草地で樹木もまばら、下からくる二本の林道が交差して一本になり、三ツ辻になっている。宿は、相当に大きな家で、部屋がいくつあるのか、家庭生活の部分と営業用の部屋との区別がつかない。後ろは、竹や杉の木まじりの崖である。
 リュックは防水だったので、中の着替え類など、すべて濡らさずにすんだ。雨がものすごい音をたて、時折、雷が鳴りだした。真夏の午後五時だというのに、外は真っ暗になった。
 老主人が、「このぶんやったら、また停電になるやもわからへんさかい、今のうちに夕飯もすまされたがよろしかろ思いますわ」というので、若いほうの女将が、奥座敷つまり宿泊者が食事をする広い部屋に案内してくれる。二人連れが二組、すでに奥の方の、たがいに離れた座卓に座っていた。四人とも自分より少し上の年齢に見えた。三つの座卓に食膳が整えられた。
 ぼくが食事をしている間、女将はずっと横座にいて話し相手になってくれた。あいにくの天候でもあり、一人にするのは気の毒だと思ってくれたのかもしれない。風呂場の位置などの必要事項、ゴルフのドライバーの練習ができる設備、卓球台があることなどのほか、翌日のぼくの予定をたずねて、そのコースには、標識が少ないから注意が必要であることなど、いろいろなことを話してくれた。話し方から正直な人柄が感じられた。
 「 …… わてはこの下の町から嫁いできましてん。この家は、明治の初めころからこの場所に住み着いたんやそうです。初めは林業をしてはったいうことです。時の流れいうんですやろか、林業には早々と見切りをつけて、夫の祖父の代には山をほうって、いろいろなことに手を出しよったようで、民宿も、その爺さんが始めたいうことです。おいでたときにご挨拶したんは夫の父親です。父親は、この民宿をやりながら、出稼ぎにも行ってはりました。夫は今、会社勤め一本ですねやわ ……」。
 「 …… 民宿は夏の間だけ営業してますねん。賄いはおもにわてと夫の両親とでやってます。わては、下の町で生まれ育ちましたよってに、便利な暮らしのほうが好きですわ。子どもらは三人とも、将来、都会で暮らす言うてますねん。ここはわてらの代でしまいだっしゃろな。わてらは、玄関の向こうの部屋におりますよって、ご用のときは声かけて下さい …… 」
 ぼくは酒を飲まないので、食事がすめば、あとは寝るだけだが、がらんとした雰囲気で、かえって落ち着かない。ナツメソウセキという人の「夢十夜」という文庫本を用意してきたが、集中できなくて、全然読みが深まらない。ただ、夢十夜と言っても、これは夢ではないなと思ったりしていた。
 強い雨音にまじって、家の者たちが声をかけ合いながらせわしげに動き始めたようだ。しっかりと雨戸を閉《た》てる音、窓を閉める音、物を運ぶ音、階段を急いでのぼりおりする音… 。やはりこの雨を尋常でないとみて、備えを厳重にしているように思える。若い主人がぼくの部屋に来て、「お部屋の窓、雨戸たてよう思います」と言って閉めていった。とんでもない時に、とんでもない所に来てしまったなと、正直、思った。
 不安な時を過ごしていたが、気がついてみるとまだ八時過ぎだというのに、宿の建物のどこからも、話し声や音がしなくなっていた。音と言えば激しい雨音と、裏の方で竹や木々がぶつかったりざわめいたりするのが聞こえるばかりだ。宿の人達も、備えを完全にし終えて、ほっと一息ついているのだろうと思った。
 そう思いながら廊下の障子を開けてみると、明かりがついているのはぼくの部屋とトイレまでの長い廊下の天井、それに玄関だけ。それも、部屋の明かり以外は、ひどくうす暗い。ほかの泊り客の部屋がどのあたりなのかはわからない。
 これはもう寝てしまうほかないと、ぼくも腹をくくった。とは言っても容易に寝付けるものではない。それでも二時間か三時間か、うとうとと したように思うのだが、ぼんやりと気がついたとき、ぼくは、いまだかつて聞いたことのない音を聞いた。このひどい雨風の音とは別に、それを押さえつけて響いてくるような音だ。
 「ヅヅン・・・ヅヅン・・・ヅヅン・・・ヅヅン・・・」
 「 …… セイメイ様のことやからのう、今でいうカンサツいうのんを熱心にやらはったんやろな。スイマはな、わるさをする前に、だあれも聞いたことないよなけったいな音を出すいうことに気がつかはったんや。どんな音なんか、とてもわしらの考えの及ぶところやないけれど、セイメイ様はこれに「ヂナキ」いう名前をつけはった。大地が泣くっちゅうことやろかいな …… 」
 ぼくの頭の中に、ひらめくものがあった。ぼくは急いで玄関口へ自分の靴を取りに行った。そうしてリュックと靴を両脇において、部屋の隅でじっとしていた。
 どのくらいの時間が経ったのかは思い出せない。いきなりぼくは、これまで想像したこともない力、この世のものとも思われない種類のものすごい力で、何メートルか投げ飛ばされかのように感じた。同時に、顔や手に、冷たくてドロドロしたものが塗りつけられたような感触があった。 それだけではない。自分のいる場所があきらかに水平ではなくなっている。部屋の中にいるという感覚ではない。
 何が起こったのか分からない。ただ、建物のきしむ音、相変わらずの雨の音、そしてさまざまの音がまじりあっていた。ほとんど真っ暗だったが真夜中というわけでもないらしく、一か所、青黒い空間が見えている。おそらく空だ。あわてて手探りをして回ると、身近に置いていたものがぼくと同じ飛ばされ方をしたと見えて、リュックも靴も手に当たった。リュックには、着替えの衣類、飲み水、小型の懐中電灯、タオル、ビニル袋、ティシユウ、新聞紙、スナック菓子、ガイドブック、スマートフォン、うすいビニールの雨合羽が入っている。スマホの電源を入れて見ると、案の定、午前三時半を過ぎていた。懐中電灯を点《つ》けてびっくりしたのは、建物全体が完全に変形し、建具や柱が大量の土と互いに入り組んで、巨大な怪獣の背中か何かのような様相を呈していたことだ。
 建物に押し込んできたのは、おそらく、裏の崖の岩石や土砂であろう。ぼくを突き飛ばしたのもそれで、さいわいにも地質の関係で、すべてが流体化するということがなかったものと思われた。しかし全体として、あきらかにじりじりと少しずつ動いている。
 一刻も早く逃げなければならない。逃げるなら、林道の交差している平地のあたりしかない。ぼくはもう無我夢中で靴に足を突っ込み、リュックを引っつかみ、変形した窓から見えている青黒い空を目印に、割れた窓ガラスに気をつけながら窓の雨戸を蹴破って外に出た。固いぬかるみが足を取ろうとする。
 相変わらずの大雨。懐中電灯で照らしながら、辻の草地までたどり着く。標識や看板がいくつか立っていて、ぼくはその根元にしゃがんだ。ただ呆然とするほかなかったが、民宿「水車小屋」の人や、四人の客がどうなったのかが気になった。
 空が時刻にしたがって白んできた。雨も少し弱まったように思われた。物の形が見分けられるようになった。ぼくは、民宿「水車小屋」の様子を確かめようと思った。ところがすぐに、建物には近づかないほうが身のためであることがわかった。どこからどこへ流れていっているのか、建物の近くに、すでに幅二メートルほどの深そうな早瀬ができていたからである。
 そのときだ。ぼくは見た。隣の山の谷に沿って、ひじょうに長く真っ黒い雲の塊のようなものが、上に向かってかなりの速さで這い上がって行ったのである。それはまさに祖父の話のとおり、巨大な龍のようだった。
 「 ……… スイマはな、悪さをする前に姿を見せることもあったそうや。せやけど滅多にないことやさかい、八十四歳まで生きたセイメイ様自身でさえも、目にしたのは二度ほどやったそうな。黒い雲の塊のような姿やそうや。けどその頭から尻まで、長さが分からんほどに長(なご)うてな、で、事を起こすときには、きっちりと固まって上の方へと這い上がるのやそうや。どないやろな。大蛇のようやろかな。龍のようかな。すっかり上がりおおせるとな、間なしに恐ろしいことが起きるのやと。……… 」
 やや遠目ながら、普通の雲や霧とは比べものにならない色と迫力、そして意志のようなものを感じた。ぼくはあれこそが水魔だと、強く確信した。そもそも自分自身、身の危険が迫っているなかにいて、頭の中は恐怖の極に達していた。
 間もなく、その黒雲の最後尾も見えなくなった。その直後だ。何の前ぶれもなく、その斜面の樹木が垂直に沈み込むという理解不能の現象、そしてそのあと、複雑に入り混じった色の巨大な濁流が、すべてを飲み込みながら物凄い勢いで下っていった。
 ぼくはそのただならぬ光景に息をのんだ。そこへ、ぼくと同様に辛うじて難を逃れた人たちが、五人、六人と草地に集まってきた。男性も女性もいたが、その中には、民宿の家族も客の四人もいなかった。みな、恐怖におののいた眼差しで、たがいの目を見合っていた。
 多分、朝六時を過ぎたころだ。男女合わせて十四人になった。すべて初めて見る人ばかりだった。誰も言葉を発しない。怯《おび》えた目を見合わせるばかりだ。着衣は役に立っていないが、寝間着姿がほとんどで、みな、言葉どおりの濡れ鼠である。手ぬぐいか何かで足をくるんでいる人が一人いたが、ほかはすべてはだしだ。みんなの視線がぼくに注がれた。当然のことだ。ぼくだけがリュックを持ち、合羽を着、靴も一応履いている。だが、ぼくには説明のしようがなかった。
 その分、役に立たなければと思って、ぼくはすぐにスマホを取り出した。そして110番、119番、その他、登録してある番号などにかけ続けた。ほかにもう一人、携帯電話を持って避難してきた男性がいて、その人も、必死の様子で操作していた。みんなの眼がぼくたち二人に注がれた。しかしどうしたことか、二つの電話機は一向に機能しなかった。山の中だとはいえ、最近の機種ならこの程度の高さであれば通じるはずだから、何かほかに原因があったとしか思えない。ぼく自身を含め、みんなの落胆がどれほど大きかったか、とても言い表しようがない。泣き出す女性もいたが、みな力なくしゃがみこんで、ただただ雨に打たれている。地獄の入り口にいるかのような時が流れていた。
 一人の中年男性が、たまりかねたように声をあげた。
 「ここでじっとしていても埒があきません。とにかく国道に出ましょう。近道すれば、二時間足らずで国道に出られると思います。ここよりは安全でしょうし、車に出合わないとも限りません。最悪でも、国道に出れば四、五時間で下の町にも着きます」
 しかしそれに反応する人はいなかった。それもそのはずで、履き物なしに、道なき山道を歩くなど、とても無理なことだ。国道に出る道が分かっているわけでもない。雨がまたさらに強くなり出して、みな無言で地面を見つめていた。ただただ死後の世界のような時間が流れていた。
 そのとき、下から来る林道二本のうちの一方の林道から、われわれのいる辻に向かって、真っ黒な大きい雲の塊のようなものが、道幅をはみ出しながら上がってくるのが見えた。輪郭は はっきりしないが、近づくにしたがって、先刻 となりの山で見た黒い塊とそっくりだ。二十メートルほどのところまで迫ったとき、ぼくは「水魔に違いない」と思った。その重量感、濃密さ、スピード、うねるような動き …… 。
 あっという間にわれわれは、その黒い悪魔にすっぽりと覆われ、一時はとなりの人の顔も分からないほどになった。肌には、何かぬるぬるとした液体をかけられたような気持ちのわるい感触があった。そうしてその一団は、二本が合流した一本の林道の方へなりの速さで這いあがっていった。上の方には、ペンションがいくつが並んでいる。人々はみな茫然自失していて、この異変に関心を持つ人はいなかった。われわれの前を完全に通り過ぎるのに何十秒か かかった。
 水魔が自分たちを襲ってくることは確実だ。一刻も早く、その通っていった道筋から離れなければならない。ぼくは思い切って人々に呼びかけた。
 「みなさん。信じられないかもしれませんが、今通り過ぎていった黒いい大きな霧のようなもの、あれはスイマというものです。意志を持った魔性の水の姿です。あれがもうすぐ上から土石流となってくだって来ます。信じてください。この場所はひじょうに危険です。道筋は避けて、草木の多い高いところへ移動してください。五メートルでも十メートルでも上に行ってください。急いでください」。ぼくはこれまでの人生の中で、このように大声で人に呼びかけたことはなかった。
 同じことを再度呼びかけて、言い終わるやぼくは急いで道筋から離れた山にとりついた。そうしてできるだけ上に上にと這いずっていった。二十メートルばかりも上に行ったところで、ここまで来れば、と思って下の辻に目をやると、なんと、みな相変わらず気が抜けたように、同じ場所にしゃがみこんでいて、動こうとする気配がまったくない。
 『おおおおい。上がれえ。上に行くんだああ。そこに居てはだめなんだあああ。どこでもいいから高いほうへ逃げろおおお。はやく。はやくうううう」。
 その直後、ぼくの推断は的中した。黒い一団がのぼっていった方向から、「ズウウン… ズウウン…」と、低いが大きい音、奈落の底を破るような轟音が聞こえた。と次の瞬間、複雑に濁った色の巨大な流れが、大岩はおろかあらゆるものを飲み込みまた吐き出しながら、低いほうへと暴れ下っていったのである。
 一瞬のうちに、十三人と、辻や草地のあたりにあったすべてのものの姿が見えなくなっていた。と言うより上から見る地形が完全に別物になっていた。これは多分 七時過ぎ頃であったと思う。

 いつに間にか雨が上がった。雲の切れ間が見え始めた。さっきまで、ぼくの眼下に、最初の危機を逃れて同じ場所に避難した十四名がいたのだ。それが、ぼくだけを残して一瞬のうちに消え去るという、信じられないことが起きたのである。ぼくの頭の中は、空っぽになっているのかごちゃごちゃになっているのかさえ、自分でも分からなくなっていた。ただ、地獄というものはこの世にも本当に存在するのだなという思いだけがぐるぐると回っていた。
 それにしてもあの人たちはなぜ逃げなかったのか。ぼくの呼びかけに人を動かすだけの説得力や迫力がなかったことは間違いないだろうし、かれらにとって、信じるに足りない空虚な言葉であったのだろう。あの黒い気体の固まりが、あの人たちの目にどう映りどう感じられたのか、それは分からない。だがもしぼくだけが異常を感じ、「水魔」という言葉に思い当たったのだとすれば、あの安倍晴明の血が、ぼくの体の中を流れていたからだと思わざるを得ない。
 頭に痛みがあった。何かに当たったのだろう。頭に手をやるとやはり出血があった。ぼくは心身ともに虚脱状態になっていて、長い時間、その斜面から動くことができなかった。頭の中には、パソコンの壁紙のように、海の景色があった。
 陽がさし始めたので、ぼくはすこしずつ斜面をのぼって、木立のまばらなやや開けたところで、仰向けになった。かつてない疲れを感じた。身の周りに、光るものや明るい色のものを、あるだけ広げて助けを待った。
 身を横たえると、頭の中が勝手にまわり始めた。
 「人間の血液と海水とは成分が似ていると聞くが、それは多分、深いつながりがあることを示している。だがそれにしては、人間のやっていることは相当におかしい。今、海は人間の廃棄したゴミでひどいことになっているという。ヘドロも、どれほど積もっているかわからない。汚水もずいぶん垂れ流してきただろう。処分に困れば、こっそりと川や海に投げ込む。毎日、何万という船が海や川の平穏を乱している。水は、われわれ人間によって、絶えず汚され、害され、侮辱され続けてきたのではないだろうか ……… 」。
 「もしかすると、水魔というのは実は海神・水神の反面なのではないか。そして、その本務は、水を軽んじ侮る行為に対して、厳しい天罰を与えて警告すること。もしそうだとすれば、われわれはいつか、もっと手ひどい、もっと情け容赦のない報復を受けることになるのではないか ……… 」。

 雨が上がったとはいえ、そこら中 水浸しなので、ぼくは一本の太い木の根方に寄りかかって一夜を過ごした。ひと晩中、不安とともに過ごしたが、僥倖感も大きかった。朝が来たとき、なぜかぼくは、助かるという気がした。自分が阿部晴明と繋がっていることが、大きな意味を持っていることを実感したからである。実際に救助されたのは昼前である。オレンジ色のヘリコプターが飛んできて、ぼくを発見してくれた。

 この災害を通告してくれたのが誰なのか、それは知らない。帰宅した翌日、警察から電話があって、いろいろと質問された。しかし、「逃げるのに精いっぱいで、ほとんど覚えていない」という言葉を中心に、極力ひかえめに話した。起こったとおり見たとおりを話しても、どんな受け取られ方をするかわからないと思ったからである。十四人に同じ災難が降りかかって、一人だけ助かったと聞けば、誰でもできるだけ詳しくその経緯を知りたいと思うだろう。ぼくは、それには触れられたくなかった。取材といって、自宅に来たマスコミもあったが、一切 応じなかった。ぼくを被災者としてでなく、勝手な扱い方をされても困ると思ったからである。
 翌々日、この災害についての最初の報道があった。しかし内容はいたって大づかみで、現場の上空を飛び回るヘリコプターと、機内から撮っている映像ばかりが、繰り返し映し出されていた。被災の現場に何があるというのだろうか。この災難に遭った人の関係者はもちろん、テレビを見ている人にとっては、さぞかしもどかしく感じられたことだろう。

 ぼくは、そのときのことについて、特殊な部分、細かい点については今でも誰にも話していない。自分だけが生き残ったという、一種の負い目のようなものがあることも、理由の一つである。
 いずれにしても、ぼくが遭遇した災害の ❝地獄絵図❞ を、現場で目撃した者は、ぼく以外にはいない。もしも、ぼくが安倍晴明と何のつながりもない人間だったとしたら、この大災害の目撃者となることも、今こうして生きていることもあり得なかったことになる。     (完)
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