第1話 起動

文字数 2,708文字

君はヒト。僕はヒト型アンドロイド。君はずっと子どもの姿で、僕はずっと大人の姿。君は3200歳、僕は3190歳。僕は君の10歳の誕生日に起動され、それからはずっと一緒。君は覚えてないけれど。


「はじめまして」


その言葉を何回聞いただろう。何回聞いても慣れない。言われる度に、心が痛む。僕に心なんてないはずなのに、君が見事に形作ってくれたんだ。


*****


始まりは3190年前。山奥にひっそり佇むこのお城で、とある少女の10歳の生誕祭が執り行われた。参加者はたったの3人。主役の少女と、魔術師の父と、感情のない生まれたてのアンドロイド。城主であるキタハイザー家は代々、山の麓にある「約束の地」と呼ぶ村をいかなる厄災からも守る役割を担い、それを誇りにしている。口伝で受け継がれる魔術と英知を駆使して、確固たる自信と技術で平和を維持してきた。


「我が娘、最愛のエルフリーデよ。汝は神に選ばれた。自らが結界となり、これより先の御世をこれと共に守るのだ。永遠の身体に不屈の精神を携えた、この鉄の塊がお前を支えよう」

これ、と呼ばれた男性ヒト型アンドロイドは少女の背後で片膝をついて待機していた。20代のうら若い肌の質感や穏やかな息づかい。見た目はまさにヒトそのものだった。少女がそちらへ振り返ると視線を合わせたが、そこに一切の感情はなく、プログラム通りに動いているのみだった。

「これの名前は?」

「名前など不要だ。“もの”であるが故に」

「それじゃあかわいそう。名前をあげる。あなたはクリストハルト、私のお友達」

命名されたアンドロイドは、にこやかにプログラム通りの謝辞を述べた。

「ありがとうございます。我が主様(あるじさま)

父親は自身が作り上げたアンドロイドの動向には興味を示さず、娘の手を取った。

「さあおいで、エルフリーデ。この聖なる地と誓約を交わす時が来た」

キタハイザー家には、こんな言い伝えがある。10歳まで生き抜いた女児の子孫がいたのなら、その身をこの地に捧げよと。その存在が、その類いまれなる高い霊力がために、我らが守りし約束の地を末代まで守ると。たしかに、エルフリーデの叔父、父親の弟に当たる者は女児を授かったが、エルフリーデのように10歳の生誕祭を行うことはできなかった。 

父親に誘導されるがまま、祈りの言葉を捧げる少女。詠唱を終えると、その首筋にキタハイザー家の紋章が浮かび上がり、刻印された。父親は嬉しそうに彼女を抱きしめる。

「先祖代々の願い、そして私の想いが、お前を守る。だからお前は、私の跡を継いでこの約束の地を守るのだ。我らの大事な民を、きっと守るのだよ」

その時から、彼女は歳を取らなくなった。約束の地の豊かなエネルギーに繋げられ、永遠の若さと命を手に入れた。ここは世界の中心。ここが終われば全てが終わる。


*****


その後、疫病が流行の兆しを見せようとも、天災の予兆があろうとも、ひとたびエルフリーデが祈りを唱えれば一瞬のうちに収束した。その言葉は津波を抑え、嵐をも消し去る。そうして人々は当然のように平和を享受し、変わらぬ明日を確信していた。

けれど、彼女にも制御できないものがあった。それはヒトの憎悪。一度蔓延してしまえば、ヒト同士の抗争勃発を防ぐことはできなかった。

「お願い、やめて」

そんな甘ったるい言葉は届かなかった。彼女は泣いた。アンドロイドの僕に抱きついて、泣いた。

「ねえクリストハルト、なんでみんな聞いてくれないの?私はいつも、みんなのことを想っているのに」

「主様、あの者たちは調和という言葉が理解できないのです。自分の損益のみを追求し、望むままに行動する粗暴な生き物なのです。そんなものに、主様のお心を煩わせる必要などございません」

「でも私はみんなが大好きなの。だから、止める。みんなの明日を守りたいの」

そのとき、僕は彼女を止めなかった。彼女の意思が、彼女の決定が僕の全てだった。

「では、御心のままに」

彼女は祭壇の間で特別な祈りを捧げた。人々の怒りは引き潮のように去り、平和が保たれた。皆の変わらぬ明日が守られた。しかしエルフリーデは三日三晩寝込んだ。

奥の手として、自身の霊力を最大限に活性化させ、約束の地のエネルギー循環を一時的に止めるとき、ヒトの憎悪は鎮まり争いを沈静化することができる。だが同時に、エルフリーデと約束の地との繋がりが強くなりすぎるため、代償として彼女の記憶がこの地へ引き込まれ、なくなるのだった。そして目を覚ましたとき、彼女は僕にこう言った。

「はじめまして、私はエルフリーデ。あなたはだあれ?」

「はじめまして。わたくしの名はクリストハルト。主様にお仕えするアンドロイドでございます」

最初は特に気に留めることもなかった。そういうことが起こるのだと、記録媒体に残っただけだった。

そして事あるごとにヒトが争いを始め、エルフリーデが特別な祈りを捧げるたびに、彼女は僕にこう言った。



「はじめまして、私はエルフリーデ。あなたはだあれ?」

「はじめまして。わたくしの名はクリストハルト。主様にお仕えするアンドロイドでございます」




「はじめまして、私はエルフリーデ。あなたはだあれ?」

「わたくしの名はクリストハルト。主様にお仕えするアンドロイドでございます」




「はじめまして。あなたはだあれ?」

「わたくしはエルフリーデ様にお仕えするアンドロイド、クリストハルトでございます。この名は主様がくださいました。」




「はじめまして」

「わたくしはエルフリーデ様にお仕えするアンドロイド、クリストハルトでございます。この名は主様がくださいました。覚えていらっしゃいますか」




「はじめまして」

「わたくしはエルフリーデ様にお仕えするアンドロイド、クリストハルトでございます。覚えていらっしゃいますか」




「はじめまして」

「エルフリーデ様。わたくしを、覚えていらっしゃいますか」




お願いどうか、頷いて。淡い期待は塵となって払われた。

「ごめんなさい。覚えてないの。だけど、これからよろしくね」

「はい。よろしくお願いします。我が主様」

プログラムのおかげで、自然な笑みを浮かべることができた。だけど、本当は、笑う気分ではなかった。僕は自分の表情を選択することができなかった。君を安心させる表情、行動、言葉がいつなんどきも優先され実行される。だって僕は、君を守るための存在なのだから。

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