文を編む

文字数 10,238文字

 あなた様は信じますでしょうか、運命を。私は運命を信じません。信じたところで意味がないからです。でも、もしこれが運命だというのなら、なんと幸せなことだろうと思います。私は幸せになっていいのでしょうか。その権利がある人間なのでしょうか。私は、私自身ではなく、あなた様に問いたい。 
 ――私は幸せになる権利のある人間ですか。

 私は文を編む人間です。それしかできない無能な人間です。そんな私でも、幸せになっていいのですか。幸せになる権利はあるのですか。三十五年間虐げられた人生でした。祖母と母から虐待を受け、結婚した夫からもDVを受け、それでも笑って幸せな文をしたためる毎日です。少しでも幸せな文章を皆様に届けるために、命を削る毎日です。
 今は残念ながら泣いております。執筆するときは笑って、リラックスしなくては良質な文は生まれません。それなのに、悔しいことに涙が止まりません。
 私は生きていていい人間でしょうか。脅迫され、職を追われ、現在は文を編むことでしか生きていくすべがありません。このまま文が公表されることがなかったら、私は誰にも知られないところでただ死にゆくだけでしょう。
 どういった死に方を私に望みますか? 私は呪われたり、恨まれたりする人間です。生きているだけで悪だと言われる人間です。かまゆでにするのがいいですか? 皮膚がはがれるところが見たいですか? それとも鮮血に染まるところが見たいですか? いいでしょう、いくらでもお見せいたします。それが文を編む人間の仕事です。あなた方のお好みの死に方をして見せましょう。バッドエンドでしたら、そういった文を編むことが可能です。
 しかし、残念ながらハッピーエンドをお見せすることはできません。私を殺したのは、皆様です。死人が生き返ってハッピーエンドを迎えることは、ナンセンスです。ファンタジーの世界です。私はファンタジー作家ではありません。ただの無能な、頭のおかしい作家崩れです。できるのは自殺だけです。他殺でしたら、楽に殺してください。さすがに痛いのや苦しいのはもう嫌です。生きているうちに散々経験させていただきましたので。
 それでも惨殺を願うなら、私より苦労された方々だけにお願いいたします。親のせいで家を無くし、公園で生活した方、親のせいで食事がなく、段ボールを食べて飢えをしのいだ方、親から虐待を受けてすでに亡くなっているお子さんにその権利がございます。
 逝くの時代も「親の責任は子の責任」と申すではありませんか。少なくても私は、齢十歳にしてこの言葉を自ら発し、大人に頭を下げた経験がございます。あなた方に、その経験はございますか? 親の不都合の責任を取らされたことはありますか? 親に監禁されたことはありますか? 親や祖母に「お前が生きていなければよかった」と言われたことはありますか? 忌み子として扱われたことは? 鬼子として悪口を言われたご経験は? それがない方には、私の苦悩というにはつまらなすぎるトラウマなど、わかりはしないでしょう。
 私の作品は読者を選びます。つまらない作品をご提供するつもりは毛頭ござまいませんが、私の作品を読む方には、私の苦悩に付き合っていただくことになるかと思います。胸糞が悪いというご不満は受け付けられません。そういった作風ですので。
 私の作品に共感する方は、ごく限られた方々です。その皆様はどうぞ、ご自身を誇っていただきたく存じます。あなた方は生まれるべくして生まれてきた稀有な存在です。あなた方は特別です。どんなに今まで苦労しましたか。どんなに今ままで涙をこらえて、もしくは流してきましたか。どんなに血を流していらっしゃいましたか。どんなに飢えに堪えてきましたか。どんなに寒さに凍えてきましたか。私ではなく、あなた方に幸せは訪れるべきなのです。そんな世界になるべきなのです。あなた方は堪えてきた。私はあなた方を祝福します。生まれてきてくれてありがとうと。私の作品と出逢ってくれてありがとうと。私を知ってくれてありがとうと。私とのことだけではありません。すべての人々は、本当は祝福されるべき存在なのです。しかしながらそうはいかないようだ。世の中には悪人が多すぎる。
 何も知らない若者に、起業を勧める悪い大人。仮想通貨というか本当に仮想のものを勧めるバカ者。犯罪を助長する炎上作家。彼らに私の編む文のよさは理解できないことでしょう。いつの時代も、泣くのは大人ではない。無力な子供なのです。

ここでひとつだけ、盲目な愛の文をしたためましょう。

 十年間愛した人がいた。彼とは赤坂迎賓館で知り合った。しかし、彼は私を愛してはくれていなかった。もしくは、愛してくれていたのかもしれないが、家族にはなってくれなかった。彼とは結婚をしたが、結婚という概念が彼の中では欠けていた。私はただ、夫婦として普通の生活がしたかった。それなのに彼は、私が仕事をすることを当然とし、私を馬車馬のように働かせ、その金で私腹を肥やした。自分が稼いだ金は自分のもの。家賃と水道代金、光熱費は自分が払っている。それ以外は私が支払っていた。
 私は自営業者だった。そのため、経費がかかる。夫は自営業を辞めて、扶養の範囲内でパートをしろと言ってきた。だが、私には才能があった。物語を書くという才能だ。そのさいを生かして、ゲームシナリオライターを務めていた。仕事は楽しかった。夫の言う通り金を稼げるから。しかも自身の得意なことで。仕事は多忙を極め、私も精神的に追い込まれた。不眠に燃え尽き症候群。自殺未遂もした。だけど夫は助けてくれなかった。手を差し伸べてはくれなかった。それでも私は彼のために尽くした。
 毎日の食事は手作り。一切冷凍食品や総菜は使わなかった。冷蔵庫が小さく、冷凍食品などがはいらなかったのだ。昼におにぎりが欲しいと言われれば、早朝握った。夫の仕事の資料を朝、印刷もした。夫の仕事の愚痴も聞いた。私の仕事の愚痴は一切言わなかった。行ったとしても、聞いてもらえなかったから。
 彼は私を守ってくれなかった。彼は子供をくれなかった。私が被虐児童だったことから、子供が生まれても育てられないと勝手に決めつけたのだ。だから私は彼を一切拒んだ。それでも浮気も不倫もされなかったのは、一概に私がそれほど彼に尽くしていたからだ。もしくは、浮気されていても気づかなかっただけかもしれない。私は彼を許していた。友達と遊びに泊りがけで行きたいと言っても許した。私が苦言を呈したのは、副業禁止の銀行員のくせに、自分の遊興費のために副業を始めたときと、先が見えない公務員に転職しようとしたときだけだ。
 私は常に先を見ている。しかし、夫は先を見ることができない。レーシックを受けたせいだ。レーシック手術を受けることによるダメージについて、安易に予想がついた。止めたのにも関わらず、彼や彼の両親は受けさせた。まったくもって無知だ。目がよくなるなんて嘘だ。角膜を傷つける技術が、目をよくするわけがない。現にレーシック手術を受けた患者たちが、現在目を悪くしている。卓球選手でもその後遺症を受けている人間がいる。私はそれを見越して反対していた。それなのに。だから彼は盲目なのだ。そして私も盲目だった。彼を盲目的に愛したのだから。

 いかがでしたでしょうか。このような愛の文はお好みですか。
 私は自分でしたためた文であるというのに、この文は好きません。なぜなら、自らのくだらない妄想ではなく、くだらない現実だからでございます。
 文を編むもの、現実と創作を混同させてはいけません。自らの現実から創作を生み出すことはご法度です。なぜならそれは、私生活を切り売りする行為だからです。
 すべてのエッセイストを敵に回すわけではございませんが、すくなくても作家を名乗るのであれば、そのくらいの分別はつけなくてはなりません。
 ある、自称作家がいらっしゃいます。この方を批判する気は毛頭ございません。しかしながら、作家を名乗るのはやめていただきたい。文壇の威厳がなくなってしまいます。なぜならその作家は、SNSでの炎上を生業になさっているからでございます。

 涙が止まったようです。今の気持ちは無です。私はそれでも文を編みます。先ほどから何度も申しております通り、私にできることは文を編み続けることだけでございます。滑稽でしょうか。それとも苦悩にまみれた堅物とでもお思いでしょうか。いかに取っていただいても構いません。本来の文章とは、読み手それぞれに感想を抱かせるものです。いかなる感想も甘受いたします。感想をいただけるだけで恐悦至極です。それが文を編むものの生きがいではないでしょうか。
 悲しいことに、今の今、私のもとには一切の感想はいただいておりません。たまに春の浮ついた心がそうするのか、それとも冬の杞憂がそうするのか、よくわかりませんが、私なぞのために感想をしたためてくださる優しい方がいらっしゃいます。
 私はひねくれた人間です。お礼を言うのが下手な人間です。感想をくださってありがとうございますと言いたくても、言ったところで伝えることのできない無力な人間です。
 また涙がこみあげてまいりました。どうやら自分のことを書くときになると、涙などという人間には必要のなかったオプションが起動するようです。まったく、くだらないナルシシズムに浸るのは、文を編む人間として失格だ。なぜなら文章は、作者の自慰の道具などではない、崇高な存在なのですから。
 私は、感想をくださる心優しいお人のお時間を割くことに、心を痛めます。私などのために時間を割かないでいただきたい。その優しい時間を、どうか本当に愛しい人に注いであげてはいただけませんでしょうか。お子さんやご家族、愛する恋人に捧げていただけはくれませんでしょうか。私の文など、評価に値しない代物でございます。どうか感想をくださる時間より、本当に大切なものを見極めてください。私の文は、そのためにございます。
 感想をいただくことは、文を編むものの最高のご褒美であります。ですが、そんな人間のご褒美を作るための人生ではないでしょう。それよりも大事なことがあります。それが、あなたが幸せになることです。私の文が、少しでもあなたの人生の幸福になりますように。あなたの心の花になりえますように。こんなくだらないことを祈る毎日であります。文とは、もともとそういうものではないでしょうか。
 昔はきっと、政治的な思想を植え付けるためとか、いろいろな策略があったのかもしれません。しかし時代は平成の弥生からあらたな卯月を迎えようとしております。今は平和な時代です。無論、間違った文が出回ってはならないとは感じます。しかしながら、それを選ぶのも自由な時代です。ですから、少しでも私は、皆様の余暇となります文章を提供し、心を豊かにしていただきたいと思います。心を震わせられない文は、文ではございません。そのような駄文を読むくらいでしたら、お時間をもっと有効なものにお使いくださいませ。ですが、そのお時間の使い方も、読者であるあなた様のご自由なのです。
 文を編むものは、ただ黙々と編むだけです。あなた様の自由まで奪うことはございません。あなた様を苦しませる毒書にならないために、必死な毎日です。ですが、あなた様の幸せを願うことすら罪となるのでございましょうか。
 私は今まで勘違いをしてまいりました。文を編むことが楽しすぎて、本質を見失ってまいりました。私は今まで売文家でした。オーダーされた分量を納品するだけの仕事です。日本語が書ければ誰でもできる仕事です。汗水を垂らして書いた文ではございません。クーラーや暖房の効いた部屋で、コーヒーや紅茶をいただきながら、のんべんだらりと書いていた文章です。このようなもの、本当の文とは言えません。ただの娯楽です。私は社会で働くすべての方々に謝罪申し上げます。私は、今まで文章で稼いできたお金は、楽をして稼いできたものであると。このお金を返納したくても、すでに財は使い果たしてしまいました。悲しい道楽にお金を捨てたのです。
 ですが、この悲しい道楽は、私にとっては生命線でした。私が費やしたものは、音楽です。レンタルショップでCDを山ほど借りました。好きなアーティストのライブにも行きました。巷ではNO MUSIC,NO LIFE.というキャッチコピーがありますが、私の人生がまさにそれであります。音楽のない人生なんて、死んでいるのと同じなのです。
 私は音楽に度々命を助けられてきました。自宅の騒音や悪口に悩まされているとき、自殺を考えているときに耳につけていたヘッドフォンからはラジオが。そのラジオが流していたのは、流行の音楽です。八年間孤独にしてきた楽文の仕事に寄り添ってくれたのも、音楽だけでした。音楽を作る人間には、無から有を生み出す能力があります。文を編むものとは違う、本当の才能でございます。私など、このミュージシャンなる方々の足元にも及びません。
 ある若いミュージシャンがいらっしゃいます。私は彼らを心底尊敬しております。若くして人生というものをよくわかっている。どんなに苦しいことがあっても、生を歌う彼らには、生命力があります。私のような愚かな作家崩れに、生きる希望を与えてくれました。それはきっと、電子の精のいたずらでしかなかったのでしょうけれど。
 彼らとの出会いは突然でした。私の仕事道具の中に突如現れたのが彼らでした。もともと彼らの音楽は存じ上げておりました。朝のテレビで流れた曲を気に入り、レンタルショップで借りましたので。それも濡れ手に粟のお金で。
 誰からも評価されない販売用の文をしたためる毎日。それでもお礼を言われるのは、きっときちんと納期を守るから。決して私はよい文をしたためる人間ではございません。お礼を言われる筋合いもございません。私の能力など、微々たるものです。それでもお礼を言われると、天狗になりうぬぼれてしまうのが人間の性です。それを叱ってくれたのが、彼らの音楽でした。
 お礼をくださった皆様は、ただただ私を買いかぶっていた。私は褒められる人間ではございません。落ちた恋をうまく広い、愛に昇華することもできない、家族を作ることすらできなかった不出来者でございます。夫と二人の家庭は、仕事により破綻していた。子供を作ることすらできないとレッテルを張られた、女としても無能な人間でございます。それを彼らは私に問いかけてくれました。買いかぶりとはなんだろうと。そしてそれを、若い自らのことであると理解をしていました。自分たちが褒められる意味を、彼らはわかっておりました。十二も若い彼らにわかっていたことを、私は理解できておりませんでした。彼らの音楽を聴いた私は、頬を打たれた気がしました。
 彼らは様々なことを私に教えてくれました。私は甘えすぎていること、私は私を愛していないということ。どちらも自分では気づかなかったことでございます。
 今も彼らの歌を耳にしておりましたが、今度は違うアーティストの話をいたしましょう。もう一組、私に人生を教えてくださった方々がいらっしゃいます。彼らは私が五歳の頃、デビューをなさいました。そして、私とともに人生を歩んでいってくださった本当に強い方々です。
 彼らは平成という過ぎ行く時代をひと月ひと月積み重ねてきた、歴戦の勇者です。彼らに助けられてきた人はきっと数多くいるでしょう。私はその中の一人です。
 先ほど、音楽に助けられてきたと述べさせていただきましたが、私の中の騒音をかき消しいてくれたのは、彼らのロックです。歪むギターは歪んだ私の心を正してくださいました。ボーカリストのシャウトは、私の魂の叫びを代弁してくださいました。彼らはすでに完成しきっているというのにも関わらず、今も絶えず鍛錬を続け、私たちに歌を提供してくださっています。そんな方々を人生の兄のように慕わず、どうしろというのでしょう。
 また涙がこみあげてまいりました。何度も何度もお恥ずかしい限りです。私は、彼らに最大級の敬意を払います。音楽というものに何度も命を救われてまいりました。ですが、私の文はそうもいかないようだ。私の文には毒がありすぎる。猛毒危険。私の文では人の命は救えないようだ。力及ばず、情けない限りでございますが、その違いがあるからこそ、私は彼らに敬意を表すことができるのだと思います。
 私は不甲斐ない、弱い人間です。だからこそ、彼らに支えてもらうことができる、幸運な人間です。きっと強かったら、彼らの音楽と出逢うことはなかったでしょう。弱くてよかったと痛感しております。弱いからこそ、彼らとの逢瀬を楽しむことができるのです。それは弱者の特権です。
 私もいずれ、文で人を支えられるようになりたい。そのように願うことが私の幸せでございます。この願う心ですら否定される世の中でございます。バンドマンや作家崩れはお金がなくて解散させられるか、日銭を稼ぐためにアルバイトに励んでおります。しかしながら、報われはしません。私もきっと報われることなく朽ちて消えゆくのでしょう。今の世の中は、人の幸せを願うことすらできない、悪しき現代なのであります。
 私は今、離婚をして夫と別れ、少なかった財産も失い、実家で暮らしております。ですが、幸せではございません。離婚をしたからではなく、私にトラウマを植え付けた母と同居しているからでございます。私は母が憎くて、顔を合わすと殺してしまいそうになります。そのような殺意をなんとか誤魔化して、毎日を過ごし逝くのでございます。
 自分が死んだ方がどんなに楽だろうかと考えたことはございますか? 人を殺すよりも自分を殺すほうがいかに楽か、あなた様に理解できますでしょうか。私は自分を何度も殺しております。自分の感情はもちろん、自分の命も絶とうと何度も試みております。それでも死ぬことができず、毎日苦痛な日々を過ごしております。
 その慰みとして、このような無益な文を編んでございます。私の好きな音楽を、今日もまた聴き、自分を何とか振るい立たせ、どうにか生きる意味を探してまいります。その意味が、このくだらない、とるにたらない文でございます。私には先ほど申しました通り、文を編むしか能がありません。その能も、普通に世の中を立派に生きる方々とさして変わらない能力でございます。今も母の醸し出す音に怯えております。いなくなってほしいと思っております。できることならば、彼女には生きたまま失踪していただきたく思います。認知症になってからでは、私の罪になります。罪を負うのは罪を犯したものでなくてはなりません。私は何か罪を犯したのでしょうか。私は今まで恐怖におびえてきたものの、精一杯生きるための努力をしてきただけです。
 その際、人を手にかけようとしたことがございます。小学生のころだったでしょうか。母の友人の子供を、金づちで殴る真似をいたしました。彼女に恐怖を与えたことが罪だというのなら、そこまで追い込んだ母は、私の罪も負うべきです。もちろん、私も彼女にトラウマを与えたことの罪は背負わなくてはなりません。それは覚悟の上でございます。
 今も母の乱雑で下品な足音や、扉を半開きにしたままの音が恐ろしい所存でございます。なぜなら、いつ私が彼女を殺すかわからないからです。私は卑怯な人間です。できることなら、彼女を殺すことなく人生をつつがなく生きていきたい。刑務所には入りたくないと思ってしまう弱い人間です。私が真に強い人間でしたら、このような生きていても害悪にしかならない人間は早々に殺害しておりました。生きていても、他人に害をなす人間など、生かしておく価値もございません。
 そんな狂気に今日も悩まされております。人を殺すなどという物騒なことを考えてはなりません。その禁忌すら乗り越えた殺意を、私は秘めております。こんな人間に、人を支える文など書けるわけがございません。だからこの文も駄文で、毒文なのでございます。あなた様はどうか、この駄文に迷わされることなきよう、切に願います。

 それでは、最初の運命についてのお話に戻らせていただくことにいたしましょうか。私は運命というものは信じません。目に見えないものが、偶然の歯車がかみ合うことなど、一生ないのでございます。もし私の運命というものが真に不幸なものであるのならば、もうすでに命を絶っていることでしょう。この文章も亡霊が書いたものということになります。それはそれで面白そうな話ではございます。そうですね、私が死んだら、インターネットの精になり、人様の文章作成ソフトに現れ、勝手に文をしたためましょうか。ですが、やはりそれもファンタジーの世界のお話でございます。死んだ人間は妖精にはなれず、なるのは無でございます。
 運命というものはときに残酷でありますが、夢を見せてくれることもございます。私にとってもったいないとも思えるくらいの夢が、今でございます。大好きな音楽とともに、文をしたためることができる毎日。日銭はございませんし、生活することもできないくらいの極貧生活でございます。それでも、どうやら小説の賞に最も近いところにいると言われているではありませんか。噂とはげに恐ろしいものでございます。私は職を奪われました。夫を捨てました。母に殺意を抱いてございます。そんな人間に賞を与えるなど、文壇はやはり頭がおかしくなってしまったようだ。
 しかしながら、面白く、人々に夢を与えることのできる文ではなければ、賞を与えることはできないようでございます。それも当然であります。混沌とした世の中に、暗い文など不必要でございます。インターネットを流れる、電子媒体の暗い文など、い抜き言葉で射貫いてしまってくださって結構です。
 もしもこの運命が、真実となるのならば、どれだけの人が救われるでしょうか。少なくても一人の老婆の命は救われるでしょう。私が賞を獲れば、お金が入ります。そのお金で私は家を借ります。そしてそこで孤独死をいたしましょう。死ぬまで一人で文をしたためる毎日を送りましょう。三十五歳の私に、もう生涯の伴侶など望めません。幸せな結婚など望めません。私は老いた。感性も肉体も。もういいではないですか。私は一人で。でも、できることならひとつだけ、個人の願いがございます。私はただ、普通の幸せが欲しかった。信頼できる夫とかわいい子供とつつましくも幸せな毎日を過ごしたかっただけなのです。それすら叶わぬ世の中なのか。だとしたら、この世の中は地獄としか言いようがありません。早々と退場させていただけませんでしょうか。
 幸せを手に入れられない人生など、生きる価値のない人生でございます。
 私は幸せを願うことすらできない運命なのでございましょうか。だから私は、信頼するあなた様にお聞きするのです。
 ――私は幸せになる権利のある人間ですか。
 私の幸せは、自分の幸せを願うより、他人の幸せを願うことでございます。
                                文蔵 願 拝


 文蔵願という人間は、晩年の遺書でこのようなことを残していた。私はこの遺書を見て反吐が出そうになった。何が文は自慰であってはいけないだ。この作品こそが壮大な自慰ではないか。
本当にくだらない人間だ。このような人間が作家にならなくてよかった。日本の文壇もこれで安泰だ。愚かな作家崩れの文章が、世間に広まらなかったんだ。わが編集部は有能だ。落選させて本当によかった。
 文蔵願は、自らの願いが叶った。服毒自殺を試み、それが成功したのだ。どうやら近所の小学生には、『才能のない太宰治』というあだ名がついて、近所では変人扱いされていたという話だ。元からあの文蔵という人間の祖母は、うつ病だったらしいな。だから彼女も同じように精神がいかれてしまったのだろう。文を編むといいながら、書いている文章はすべて生前の愚痴だから笑止千万だ。
 自分の幸せを願うより、他人の幸せを願うだと? 本当にどうかしているとしか言いようがない。自分の幸せのために自殺しているじゃないか。結局はわが身が一番かわいかったんだろう。  本当に彼女を選考から落として正解だった。本当に他人の幸せを願うのであれば、その文で世界を救うことだってできたはずだ。ペンは剣より強しというじゃないか。自分の命を懸けて文を編むのならば、もっと挑戦してきたはずだ。何度落選しても、不死鳥のように選考を駆け上がってきたはずだ。それがなかったから『才能なし』と判断されたのだ。
 悔しくて泣きそうなのはこっちだ。この作家崩れを、作家にしてあげられなかった、若い自分。彼女が文壇に出ていたら、世界は変わったのだろうか。苦汁を味わってきた彼女に幸せを見せることができたら、作風は変わっていたのだろうか。
 ああ、彼女の書いたハッピーエンドが読みたかった。その夢も、叶わぬものとなってしまった今、私は早く死ぬためにタバコを吸いに、屋上に出た。
                              【了】
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