第1話

文字数 3,739文字

 今日は、私、瑠奈にとって勝負の一日です。日付は二月十四日。そう、女の子にとって一年で一番大事な日。クリスマスはあんまり好きじゃないので、二番目です。
 私が居るのは昼休みの空き教室。呼び出した相手は学校中の誰に訊いても一番モテると噂の達樹先輩です。おそらく今日はチョコの受け取りの予定だけでびっしり詰まっているであろう中、わざわざ時間を割いてもらいました。
「というわけで、これ、お願いしますねー。割ったりしないでくださいよ?」
 私はそう言って一つ学年が上の達樹さんに包みを手渡しました。カサリと軽い音がしたけれど、そこに込めた思いはずっとずっと重いものです。
「えーと……これ、俺宛じゃねぇの?」
「自惚れないでくださーい。達樹さんは散々チョコくらいもらってるでしょう。まだ欲しいんですか? 私があげたいのは裕哉先輩ですよ」
 新田裕哉先輩。美術部所属で、中学の頃からの知り合いです。私と達樹さんがよく話していて、たまに裕哉先輩が一緒に居る……という関係でした。
 第一印象は、どこを見ているのかよく分からない人、という感じでした。この学校は染色オッケーの珍しい校則なのに真っ黒けだし、背は低くて分厚い眼鏡の奥の瞳は人を寄せ付けないように鋭く細い。きっと私みたいなタイプの女の子は好きじゃないんだろうなって、そんな気がしました。
 すると、達樹さんが大げさに肩をすくめて首を左右に振りました。
「何だよ。めんどくせえな。瑠奈なら自分で渡せるだろうがよ」
「いいじゃないですか。またどうせ裕哉先輩にチョコ食べさせるの手伝わせるんでしょう。その時にちゃちゃっと渡しちゃって下さいよ。裕哉先輩にチョコ渡したなんて噂流れたら、迷惑ですからね」
「ま、別にいいけど……なんで、裕哉のこと好きになったの?」
 その一言に、かっと耳まで血が上るのを感じました。今時の女の子を気取っていても、私はまだまだ直球には弱いみたいです。
「別に……そんなわけじゃないですよ。ただの、お礼なんですから」
「お礼?」
「先輩、美術部じゃないですか。私、先輩の絵はまあ、好きで……でも、ぼーっと見てたら足から力が抜けちゃって破っちゃったんです。あの絵ならきっとコンテスト入賞だって狙えたでしょうに……。だけど、先輩は笑って許すどころか、私の心配までしてくれたんです。無愛想なくせに、精一杯の笑顔を浮かべて……」
 好きになったのは、その時かもしれません。そう言いかけて、私は口を閉ざした。そんなことで気持ちが揺れるなんて、ダサいですから。ちょろいことなんて、分かってますから。
「とにかく! 先輩と仲良いのは達樹さんくらいなんですから、お願いしますよ。今度ジュース奢ってあげますから」
「はは。ジュースはいいや。あんなチビで根暗な奴にチョコ贈るのなんて、お前くらいだろうからな。それだけで俺も嬉しいし、手間賃はそれで十分だ」
 こういう嫌味の無い物言いも、達樹さんのモテる秘訣なのかなあ、なんてふと思いました。
「ま、あいつには最高のお返し用意させとくからさ。期待しとけよな」
「ああ……そうですね」
 多分、そんなことないでしょうけど。そんな言葉を私は口の中で転がしました。だって、あの包みに添えたメッセージカードには、こう書いてあるんですから。

『精一杯の思いを込めました。お返しを考えたなら、あなたにとって好きな人にあげてください』

 ◇

 今日は、僕、新田裕哉にとって勝負の日だ。日付は三月十四日。そう、一部の男子にとっては一年で一番大事な日だ。クリスマスイベントなんて、僕には縁が無いから分からないけど。そう、本来は今日だって縁遠いイベントのはずだった。
 だけど、今年の僕は一つだけだけれどチョコをもらったのだ。それも、差出人も不明の手作りらしいチョコを。
「……なあ、結局誰にもらったんだよ、これ」
 僕は幼い頃からの腐れ縁である達樹にそう問いかけた。だけど、奴はスマホをいじりながら素っ気なく答える。
「しらねー。俺がいちいち誰にチョコもらったかとか覚えてると思ってんの?」
「……ま、お前はそういう奴だよなあ」
 達樹はモテすぎるせいか、恋愛に対して淡泊な節がある。未だに特定の彼女が居ないのはそのためだろう。だから、こいつにとってのチョコの重みは僕のそれとは大きく違う。
「渡したい奴にお返し渡せって書かれてたんだろ? だったらその通りにすれば?」
 そんなことを簡単に達也は言うが、告白なんて学生生活において公開処刑に他ならない。友好関係においても決して広いとは言えない僕にそんなことができると思うのか。ふざけんな。そう咄嗟に口にしなかったのは僕の美徳だろうと自画自賛する。
「誰かいねーの? そういう奴」
「うーん……。好き、っていうのとは違うけどさ……憧れなら、桜先輩かな。絵上手いし」
 僕は同じ美術部の先輩の名前を挙げる。だけど、彼女は言ってしまえば高嶺の花だ。桜先輩だってモテるのに、自ら彼氏は作らないと公言している。それでいて、ホワイトデーにかこつけて彼女に何かを贈ろうとする奴は沢山居ることだろう。
 そんな中の一人になるのは、何となく嫌だった。それに……。
「なんか、この送り主がさ……やっぱり気になるんだよ。この一ヶ月間ずーっと。ああ、笑えばいいさ。ちょろい奴だって。でも、普通はこんなのもらったら喜ぶんだよ! 達樹には分からないだろうけどさ!」
 僕は逆ギレしながら達樹を見ると、意外にも彼はどこか寂しそうな目をして僕を見返していた。
「……あいつが先輩って呼ぶの、お前だけなんだけどな」
「ん? ああ……美術部、今年は新入生も少なかったからな。あんまりそう呼ばれることはないよ」
「はあ……まあいいや。俺の知ったこっちゃないし。でも、用意してきたんだろ? お返しをさ」
 達樹は僕の手の中にある黄色い包み紙を見て言う。
「そうだけどさー……。もらってもないのに渡すってどうなんだろうなって思ってさ。相手が誰だか分かんないと、お返しもできないんだよ。きっとあのメッセージを書いた奴は相当捻くれてるに違いないね、うん」
「お前それ、本人に聞かれたら傷つけるぞ」
「この場には達樹しか居ないからいいだろ。はーあ……本当どうしよう」
 結局、誰が僕にチョコをくれたのか分からないまま、僕はいつものように美術部に行くのだった。

 ◇

 私は、午後六時半まで待って美術部室に向かいました。授業終わりに先輩はいつも美術室に籠もる。そして、必ず最後まで残るのです。私は扉の前で深く深呼吸して、いつもの心のスイッチを入れます。
「なんだ。まだ残ってたんですか? 先輩」
 美術室に入ってそう言うと、先輩はまたいつもの人を寄せ付けない厳しい顔で、口を結びながら筆を走らせていました。ついつい、その筆の先を目で追ってしまうのはいつの間にかついてしまった癖です。
「ああ、瑠奈。なんだい、君はホワイトデーで忙しかったの?」
「そですよー。私くらいになると、お返しもらうだけでいっぱいいっぱいなんですから。先輩みたいに暇じゃないんです」
 嘘だ。私は今年のバレンタインは特別なものにしたくて、友チョコすら作りませんでした。全身全霊を込めて、たった一つのチョコだけを作った。それが先輩の元に渡っただけで満足です……うん、満足です。
「先輩は誰に渡すこともなくいつもと変わらない平日を過ごしてたんですか?」
「おいおい、馬鹿にするなよ。僕だって今年は一つもらったんだからな。お返しだって用意してきたさ」
 先輩はそう言いながら、少し小鼻を膨らませて私に黄色い包みを見せつけてきました。そういうところが……もう、何というか。もういいです。
「そうですか。でも、この時間じゃもう皆帰っちゃったんじゃないですか? 運動部の人とかですか?」
 私は平静を保ちつつそう切り出しました。ばっこんばっこんと跳ねる心臓を、抑えつけるように。
「うーん……。いや、実はさ。渡せなかったんだ。誰に渡せばいいか分からなくなったっていうかさ……。そうだ。お前、クッキー好きだったっけ?」
「ほ? 私ですか?」
「ああ。どうせ後は帰るだけだしさ。ホワイトデーに自分で作って自分で食べるなんて虚しいからさー。僕からのお菓子なんてもらってくれるの、お前くらいだからさ」
 先輩は苦笑い気味にそう言います。いつも思いますが、先輩は達樹さんと一緒にいるせいで妙に自己評価が低い気がします。まあ、いいんです。先輩の良い所を知ってるのは、私だけで十分ですから。
「はー。しょうがないですね。先輩は。仕方ないから、もらってあげますよ」
 そして何より、この状況こそが私が目論んでいた全てなのですから。小心者の先輩が自らアタックすることなんてないでしょうし、義理堅い先輩のことですからお返しを用意はするはず。そして……先輩がそう言うのも、一ヶ月前から計算ずくです。

 ですから、頭から足の先まで熱くなって心臓が痛くなってるのも、気のせいです。あんなメッセージを送ったのも……怖かったからだなんてこと、ないんですから。
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