第1話

文字数 3,429文字

 自分で言うのもなんですが、僕は自分のことを良い人だと思っています。
 そうですね。ただ「良い人」なんて言っても漠然とし過ぎていて、なにが良いのかわかりませんね。
 僕なりの考えを述べます。つまり「良い人」というのは、いつもニコニコしていて人の悪口など言わず、誰に対しても優しく接し、むやみやたらにべらべら喋らない人のことを言うのです。
 お前は聖人かって顔をしていますね。大袈裟ですよ。あなたが気づかないだけで、こういう人は結構いるんですよ。ただそういった方たちは皆物静かなので見逃してしまうのも無理はありません。
 話が逸れましたね。とにかく僕は自分のことを良い人だと思っています。実際良い人なんです。そうに違いないんです。それなのに、ああっ、どうしたことか、彼女に対して、その、なんていうか、怒っているのです。

 彼女と出会ったのはバイト先でした。新人としてやってきたのです。「よろしくお願いします」と頭を下げる彼女を見た瞬間僕は胸が高鳴るのを感じました。ええ、一目惚れですよ。言っちゃいました。いや恥ずかしい。もう本当にビビッとくるくらいタイプな子だったんですよ。
 それからは大変でした。彼女が気になって気になって仕方ない。でも気軽に声をかけることもできない。僕はとても内気なんです。僕だけじゃなくて、「良い人」は皆内気なんじゃないかな?
 仕事中手が止まったり、つまらないミスをすることが何度もありました。一度先輩に怒鳴られているところを彼女に見られたときは死にたくなるくらい恥ずかしい思いをしました。彼女からすれば僕だって先輩です。情けない姿を晒すわけにはいかないと、その日以来集中して仕事に取り組むようになりました。相変わらず彼女のことはチラチラ気にしていたのですが。
 
 一ヶ月ほど経って彼女も徐々に慣れ始めた頃、突然僕は話しかけられました。
「先輩はいつからここに?」
「一年とちょっと」
「そうなんですか? なんだかベテランって感じがするんですけど」
「そうでもないですよ。ちょくちょくミスはするし」
 喋ったことは何度かあったけれど、会話らしい会話はこれが初めてです。大した内容じゃないけれど、僕は声が弾まないようにするのに必死でした。
「仕事には慣れましたか?」
「まだちょっと緊張します。同じことを人に訊いちゃうときもあるし」
「焦ることはないですよ。僕なんて一通りできるようになるまで半年以上かかりましたから」
 彼女を安心させたくて嘘をつきました。本当は半月で全部覚えました。「良い人」はとても真面目で努力家なんです。
「そうなんですか。意外です」
 信じる信じないは別にして、彼女が笑ってくれたことに僕は満足しました。単純な男だと思いますか? 仕方ないじゃないですか。惚れちゃったんだから。

 三ヶ月も過ぎると彼女もすっかり馴染み、名前で呼び合う友達もできていました。元々が人懐っこい性格なのか皆から愛されている様子です。そんな彼女を見ているのは正直複雑な心境でした。
 彼女が楽しそうに仕事をしている姿を見るのはとても微笑ましいです。ですが手がかからなくなる分、ただでさえ少ない彼女と話をする機会が減ってしまいます。
 仕事以外の話? そうですね、確かにその通り。けれど僕は雑談というものが本当に苦手なんです。「良い人」はべらべら喋らないなんて偉そうに言いましたが、実際はなにを喋っていいのかわからないから黙ってニコニコしているというのが本当の理由なのです。

 ある日事件が起きました。事件というと大仰に聞こえますが、それくらい大変だったのです。急遽休みが三人も出てしまい、ヘルプで呼んだ人が来るまで僕と彼女の二人で仕事を回さなければいけなくなりました。いくら慣れたとはいえ、複数の仕事を同時にこなす技術を彼女はまだ持っていません。頼みの綱は僕だけです。
「慌てなくていいから、できることからやっていこうね」
 内心では僕の方が相当焦っていました。それでも「良い人」は笑顔のまま、決して声を荒げたりはしません。それで彼女も安心したんだと思います「頑張りましょう」僕に向かってガッツポーズしました。その姿があまりに可愛くて今でも脳裏に焼き付いています。
 ヘルプが来るまで僕は三人分の仕事をこなしました。やるしかないとなったら案外できちゃうものなんです。帰るときにはさすがにくたくたでしたが。
 ですがこの日を境に僕と彼女の距離はグンと近づきました。苦難を共に乗り越えた男女がくっつくという定番のあれみたいなものですね。といっても僕は相変わらず内気のままで、近づいてきたのは彼女の方からだったのですが。
 休みの日はなにをしているんですか? 
 どんな音楽聴きますか? 
 映画は好きですか? 
 スポーツやります? 
 学生時代はなにをしてました?
 僕は丁寧に答えました。彼女に僕のことを知ってほしかったから。そして同じ質問を彼女にもしました。彼女のことが知りたかったから。
 お付き合いしてる人はいますか?
 ある日訊かれたとき、僕は鼓動が早くなるのを抑えることができませんでした。それは僕が待ち望んでいた質問だったからです。「いません」と答えた後「君は?」と返すことができます。僕が一番知りたかったのはそこだったのです。
「私もいません」
 目の前に彼女がいなければ、僕はその場でバンザイしていたと思います。ね? わかるでしょこの気持ち。あなたにだって経験あるんじゃないですか?
 頑張ろうと決めました。彼女が僕のことを好きになってくれるよう努力しようと。
 彼女を恋人にしたい。その思いはもう止めることができませんでした。

 とにかく行動しました。内気な自分の心を奮い立たせ、自分から彼女に声をかけました。彼女が好きなものは全部見たし読んだし体験しました。一緒に帰ろうと誘い駅まで歩きました。その間彼女を飽きさせないよう喋り続けました。
 食事にも誘いました。これはかなり勇気を振り絞ったのですが、彼女の方は気軽に「いいですよ」と言うので拍子抜けしたくらいです。
 でも即答するということは、それだけ僕に好感を持っているということですよね? そう思いますよね? 実際次もその次も彼女は嫌な顔一つ見せずに付き合ってくれました。
 気は熟した。
 そう判断した僕は三度目の食事をした後、駅での別れ際ついに言いました。「あなたが好きです」と。
 自信がありました。告白する前から僕の気持ちはもう伝わってると思ったからです。だってそうでしょ? 好きでもない相手と一緒に帰ったりご飯食べたりなんて普通しませんからね。それを一度も断らなかった彼女もきっと僕のことを好いているのだと思っていたのです。
 でも返ってきたのは「ええっ?」という驚きの声でした。
「そうだったんですか。ええっと、その・・・・・・」
 明らかに困っていましたよ。どうやったらキレイに断れるか考えていたんでしょうね。それでも僕は抗ったんです。「今すぐ答えなくてもいい」と。すると彼女、
「実は私、好きな人がいて・・・・・・」
 
 どう思いますか? 今までそんな話一度も聞いたことが無かったんですよ。嘘に決まってます。僕のことが嫌ならハッキリそう言えばいいじゃないですか。いや待てよ、だったら僕のお誘いに笑顔で答えた今までのあれはなんだったんだ。遊びですか? 一人で舞い上がってる僕を見て陰で笑ってたんですか? なんて女だ、悪趣味にもほどがありますよ。
 でも僕はやっぱり「良い人」だから。その場は潔く身を引きましたよ「いきなり変なこと言ってごめん」なんて謝って、ニタニタ笑って改札を通りました。彼女の顔は見ませんでした。見たくもありませんよ畜生がっ。
 あーあっ、嫌だいやだ。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ。僕なにか悪いことしましたか? ね? ね? でしょ? こんな「良い人」他にいませんよ。いないんだよ。あの女はそこがわかってない。人を見る目が無いっ。こんなに思ってるのによぉ・・・・・・。
 ごめんなさい。つい興奮してしまって、恥ずかしいところを見せました。今日の僕はダメですね。もう帰って寝ますよ。
 え?
 そう言ってくれるのはあんただけだよ。なんだか泣けてきちゃった。ああ、まったくもう、恋なんて二度とするかバカ野郎っ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み