猫と恋人

文字数 1,996文字

「家の近くにいた黒猫がいなくなったんだ」
 通学路を二人で歩いていると突然ヒロキが言った。
「黒い毛に黄色い目をした猫」
彼はその猫を随分気に掛けていた。餌をやったり毎日登校前に見に行ったり。
「いつからいないの?」
「結構最近だよ。バレンタインもらった後ぐらいだから一週間ちょっと前くらいからかな」
 いなくなって一週間。結構長いなと考えてしまうのは私だけだろうか。毎日そのことを考えていて飽きないのだろうか。
 少し呆れた気持ちは隠してヒロキに尋ねる。
「黒猫って不吉なんじゃなかったっけ」
 確かそんな都市伝説を聞いたことがあった。前を横切られると不幸なことが起きるとかなんとか。でもヒロキはそれをきっぱり否定する。
「そんなことないよ」
 どうも、明治後半くらいまでは日本でも黒猫は福猫だったそうだが、猫が魔女の使いだと恐れられていた欧州の風習が日本にまで伝わって今のイメージができたらしい。
 全く知らなかった。確かに招き猫など幸運の象徴として猫が使われることはあるが、人を襲ってその人に成り代わる猫又や化け猫などの妖怪を想像して、猫——特に黒猫にあまりいい印象を抱いていなかった。
「勝手に嫌っちゃ可哀想だ」
 そう言ってヒロキは微笑んでいる。
ヒロキは生粋の猫好きで家でも数匹猫を飼っている。猫に対する愛情は半端じゃない。
「死期が近くなったんじゃない?ほら。猫って死期が近づくと人前から姿を消すっていうし」
「うん。そうでないといいけど」
 なおも心配そうにしているヒロキを急かして学校に行く。早くしないと始業時刻に遅れてしまう。
 始業ギリギリで教室に入り、鞄をおく。黒板に書いてある日付が目についた。三月十日火曜日。もうすぐホワイトデーだ。
 バレンタインにはクッキーを渡した。ヒロキが猫が食べるといけないからと言っていたのでチョコレートはあげなかった。猫がチョコレートを食べると中毒症状が出るらしい。
 そしてホワイトデーに限らず、ヒロキのプレゼントは面白いものが多かった。いつかはわからないけど薄紫の目覚まし時計をもらったこともある。それは今でもベットの横で私の起床の役に立っている。
 だから今年のホワイトデーも少し期待しているのだ。何か予想外のプレゼントがあるかもしれないと。
 まあ、後四日もある。楽しみは考えすぎるとサプライズ感が薄れてしまうものだ。期待は心の中にそっと閉じ込めておくことにした。
 帰り道は少し暖かかった。これから寒くなったりまた暖かくなったりを繰り返して春になっていくのだろう。そんなことを考えながら、依然猫のことを心配するヒロキと共に家に帰った。
 水曜日、木曜日、金曜日と日は過ぎていく。

ジリリン
 ヒロキにもらった目覚ましが鳴った。起きて急いで支度をする。服を着替えて朝食を摂り、そわそわしながら一時間を過ごす。そして時間通りに待ち合わせ場所に向かった。
「おはよう」
 そこには既にヒロキがいた。
「おはよう」
 落ち着いた声で挨拶が返ってきた。
「えっと——、これ。バレンタインのお返しね」
 そう言ってヒロキが取り出したのは茶色い袋でラッピングされたものだった。
 ありがたく受け取ってパーカーのポケットに入れる。
「ああ、ちょっと食べてみてくれない?ちゃんと作れたか自信なくて」
「えっ、いいの」
 一刻も早く中身を見たかったのだ。ドキドキしながらリボンを取って袋を開ける。
 中に入っていたのは、
「チョコレート?」
「うん。初めてだったんだけど、上手くできたかな」
 私は黄色の包装紙をめくって取り外し、口に入れる。
「少し苦くて美味しいね」
「そう?よかった」
 余っているものも食べて包装紙を丁寧にたたみ、ポケットにしまう。
 チョコレートの苦味が口に残っている。
「ねえミヤ、小学校の発表会でのこと、覚えてる?」
 ヒロキが話し始めた。
「劇をやった時に、ミヤがセリフ間違えちゃって終わった後に大泣きしてさ」
 そんなこともあっただろうか。少しの懐かしさと他人の口から自分が語られる新鮮さを覚えながら相槌を打ってヒロキの話に耳を傾ける。
 人のいない公園のベンチで私たちは二人、話をする。
 これまでの体験をヒロキは言葉にしていく。
「体育祭の百メートル走、ミヤが意外と速くてびっくりしたんだよ」
「文化祭の三年生の劇、格好良かったよね」
 ヒロキが話す体験が徐々に今に近づいてきた。
「あっ。そうそう、バレン——」
 あれ。気づくと意識が朦朧としてきた。なぜか息も荒くなっていて頭も少しガンガンする。
「大丈夫?」
 私の異変に気付いたのだろう。ヒロキが心配そうに言った。
 でも不調は一向に治まる気配がない。
 ふっ。一瞬意識が飛んだ。顔を上げるとベンチから落ちたのか視点が低い。そんな私を見下ろすヒロキの目。それは冷たかった。

「ミヤに手を出した奴は何だろうと許さない」

 そう呟いた彼の目には黄色く光る目を持った黒猫が映っていた。
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