第1話

文字数 1,928文字

小説の物語を顧みるとき何故か途中の内容だけ抜け落ちてしまっていたとする。オチは確かに覚えていたとしてもなんだか気になって腑に落ちないはずだ。人間関係も同じ事が言える。現在何故仲が良いのか、何故疎遠になってしまったのか、結果だけ知っていれば充分だとその過程を気に留めず今だけを見て生きられる人間がどれだけいるだろう。少なくとも僕は過程が気になる。遡及した結果がネガティブであれそれまでの過程が美しいと思えさえすれば時間が解決してくれるだろう。或いは新たな過程と結果が過去の産物を塗りつぶしてくれるに違いない。僕の好きな北欧のデザイナーカイ・フランクがデザインしたグラスやマグカップは無駄なデザインを排し本当に必要な形だけで成り立っている。そこに行き着くまで並大抵ではない思考と時間を使っただろう。しかし結果は必要最低限のデザインに留めた。そしてそれは美しかった。凝った装飾など必要としないシンプルで流麗なフォルムはその過程を肯定した。人間関係を築く過程においても同じ事象が起きていると思う。そうつまり結果が全てじゃないってことさ。
 僕は春の空を仰ぎながら記憶が美化した友情の一端を快晴と重ねた。知り合いの紹介でお付き合いしていた女性と十二ヶ月続いたが「友達に戻ろう」と切り出され男女の関係はそこで潰えた。よく考えれば交際中のデートも友達という関係で問題のない付き合いだった。そうつまり一線は越えなかった。始めから友達以上にならなければ、今も尚関係は続いていたのかと時々考えてしまうけれど不毛なたらればに過ぎないと自覚しているつもりだ。最後にあった日に言われた言葉が突然脳で再生された。
「この先なにがあっても付き合うことはない」
「君をどんなに満足させてもかい?」記憶の彼女に問う。
「ええ、絶対に有り得ないわ」
ハッと気がつき僕はこの不毛な問答をそこで終わらせた。特に美人でもなければ、高尚という訳でもない。どちらかといえば地味でなにを考えているのかわからない女性だった。そこに何故か僕は惹かれていたのかもしれない。
 ある時友人に誘われてバーに向かう。暗い夜の街はネオンと微かに春の心地よさを留めた空気の塊が街中を漂っている気がした。約束の時間よりも三十分程早く着いてしまったが、友人もその十分後に姿を表した。
「やぁ、元気かい?」陽気な友人の声。
「いや、そうでもない」少し沈んだ声で挨拶を返し二人は店内に入った。
「もしかしてまだ例の女性のこと引きずってるのか?」
「春になると、少し心が疼くんだ」
「それは一種のトラウマだな」友人は相変わらずの調子で話す。僕は黙って肯いた。
店のカウンターに並んで座り、ジャズに合うハイボールを互いに注文した。
「でもな、考えてみな。綺麗な女性ならこの店に沢山いるじゃないか。街にだっていい女性なんていくらでもいる。君が今持ち合わせている経験だけで幸せだったと思い込みたいに過ぎないのさ。」実際彼の言う通りなのかもしれない。懇意になれた気がしていただけで、俯瞰して見ると友情や愛情の類は僕と彼女に介在してなどいなかった。きっと思い込みたかったんだ。幸せだってね。
「なんだったんだろな、彼女と過ごした時間は」口にするつもりのない言葉が溢れた。
「友達に戻ろうなんて社交辞令なんだから、真に受けずこのアルコールで流しな」友人はそう言って手振りで酒を勧めた。夜が段々と深まるに連れってアルコールが進み意識は少し途切れた。
 あくる朝目が覚めると頭が重かった。時計は十一時半。昨日の記憶を辿ったが自宅まで帰った記憶が毛頭ない。恐らく友人がタクシーで送ってくれたに違いないが思い出せない。しかし友人との会話ははっきりと覚えている。ぼっーとしながら彼女のことをいろいろと考えてみた。何を考えているのかわからないのは、本音で対話しなかったからだ。畢竟僕たちはお互いを知ろうとはしなかった。知ってしまうと、途端に綺麗なガラス玉が音をたてて割れることを無意識に理解していたからだ。僕の幸せはきっと記憶の中の彼女にはない。わかっている。わかっているんだ。僕はもうこの過去を捨てようと思う。それが過去に費やした時間を無駄にする行為だとしてもだ。気がつけば、いつの間にか部屋は暗くなっていた。暗くなるにつれて記憶の片隅から彼女が少しずつ霞んでいき、それが消えかけたときはっきりと脳に浮かんだ。僕はベッドの上で自慰をしながら記憶の彼女を想像する。服の線を頼りに裸の彼女を想像し、絶頂の顔を思い浮かべた。そしてゆっくり孤独と快楽に溺れていった。全て終わると僕に残ったのは虚脱感だけだった。スマホの連絡先を開き、僕は彼女の連絡先と写真を全て消した。そして深い眠りに落ちた。





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