第1話

文字数 2,823文字

「白い海」
 もう六樹年以上前のことです。
北海道の石狩湾の奥の小さな町の、二月のことでした。朝、目を覚ますと、外がざわついているのです。
母と出て見ると、いつも見ている目の前の海が真っ白なのです。
何が起こったのかわかりませんでした。
海岸の波打ち際には、春告魚(にしん)がピチピチと跳ねていました。
「群(く)来(き)だ。群来(くき)が来たんだ」
母が呟きました。
産卵のために岸に近づいてきた雌の春告魚(にしん)に雄が大量の精子を放ったのです。
まだ背がちっちゃかったせいか、水平線まで真っ白な海に見えました。
不思議な光景でした。記憶の一番奥にある、忘れられない思い出です。
母に手を引かれていった漁場では、みんな腰まで春告魚(にしん)に埋まってスコップですくって、馬橇(ばそり)に積んでいました。
「大坂屋さん!持って行きなさい!脂乗ってるよ!」
浜のおっかあが大きな声で叫びました。
これが故郷に来た何年ぶりの群(く)来(き)でした。
母はこの町では大きなお店、山二大坂屋の長女でした。昔、春告魚(にしん)で町が栄えていた時は質屋でしたが、その頃は呉服衣料品店でした。
がっしりとした二階建ての店舗を兼ねた家でした。隣には、質屋の名残の石造りの二階建ての蔵がありました。
でも、その年を最後に春告魚(にしん)は来なくなりました。今年こそ、今年こそと網を用意した漁師はみんな破産し町を離れていきました。
だんだんと寂しい町になって行きました。
それから、少しずつ少しずつ景気がよくなり、日本が高度経済成長に入り、故郷の町にもテレビをつける家が出てきました。炊飯器も、洗濯機も冷蔵庫も手に入れられるようになりました。
この小さな町から汽車で一時間の、港のある大きな町の高校に通うようになりました。田舎の少年には珍しく驚きがいっぱいの町でした。ホテルもデパートもありました。
もう「白い海」のことは忘れていました。
夕食に並ぶ春告魚(にしん)も、小さくて脂が無くあの時の美味しさは在りませんでした。
唯一、母が大根を水で洗って干して作る春(に)告魚(しん)漬けの美味しさだけが、冬の楽しみでした。
「群来(くき)」と言う言葉も使われなくなってしまいました。
東京オリンピックで、日本中が沸いたのも高校生の時でした。
一浪して受験した札幌の国立大学、母は合格発表のラジオ放送で息子の名前を聴いて泣いていました。
でも、その時既に母の体は病魔に侵されていました。末期の子宮癌でした。
もうほとんど意識が無く、骨と皮だけの状態の時、高女時代の親友がお見舞いに来てくれました。
「鎌田さん、鎌田さんわかりますか。藤井ですよ。頑張らないとだめですよ」
母は何の反応も示しまませんでした。
帰り際に、最後のお別れの声をかけてくれました。
「岸田さん、岸田さん、刑部ですよ、刑部ですよ!解りますか。しょっぱい川渡って二人で旅行に行くって約束したでしょう!死んだら駄目ですよ!駄目ですよ」
その時、母はゆっくりと目を開けて親友の顔をしっかり捉えました。
旧姓に、昔の約束に反応したのです。
そしてまたゆっくりと目を閉じました。
母が死の間際に一人の娘にもどったのを見てしまいました。
病室の窓の外には、はらはらと風花が舞っていました。
母が最期に遺した言葉は
いいお母さんでなくてごめんね」でした。
高女時代の親友のお見舞いから三日後、母は静かに亡くなりました。
放射線治療の所為か、骨は、子宮の部分が黒く焦げていました。
山二大坂屋も人手に渡り、取り壊されてしまいました。みんな遠い思い出になりかかっていました。
 
故郷の砂浜の海岸に、秋の波が荒れた翌朝に、石炭の小さな粒が大量に打ち寄せるようになりました。浜(はま)炭(たん)と呼んでいました。
浜がにぎやかになります。
皆、胴長を着けて、先に金網のついたタモで波の様子をうかがいながら、この石炭を掬い取るのです。砂や木くずが混じるので、砂炭とも呼ばれていました。四・五時間も掬っていると、結構な小さな山になりました。
これを天日にさらしておきます。
浜のあちこちに、この浜炭の山が並んでいました。
秋の終わりに、篩(ふるい)にかけて小石や燃えないものを取り除き冬の石炭に混ぜて使うのです。
火力は弱いのですが、そこそこ補助になりました。ただ、どうしても塩分が遺り、ストーブヲ痛めるのが欠点でした。
 ただ、この石炭がどこからくるのかが謎でした。真面目に研究も調査もされることはありませんでした。
北海道内から集められた石炭を船に積み出す炭港・小樽築港でこぼれた石炭ではないか。
内陸に或る炭鉱(やま)の選炭でこぼれたものが、石狩川で運ばれて、石狩湾の潮の流れに乗ってこの小さな町に集まったのだ。
いや、石狩湾の海底に石炭の層があって、それが露出していて削られたものだ。
昔、石炭を積んだ船が、時化で沈没して石炭が流れ出したんだ。
どれもありそうな話ですが、説得力のある説明にはなりませんでした。
不思議な海からの恵み「浜炭・砂炭」
「春告魚(にしん)が来なくなったからその代わりだべさ」漁師が捨て鉢にそう言っていました。
燃料や煖房が、石炭から石油やガスにとって替わるようになり、炭鉱も閉山してこの不思議な浜炭、海からの恵みも幻になって行きました。

五年前の朝です。新聞を開くと
「群来(くき)くる」という見出しと、一枚の写真が載っていました。
あの故郷の海が白くなっているのです。
あの時見た白い海よりずっと小さいけれど、春告魚(にしん)が還って来たのです。
何十年ぶりに、故郷の大坂屋の跡を訪ねてみました。
二階建ての石蔵だけがひっそりと残っていました。三重の扉もそのままで、火災の時に塗り込めといわれた粘土の入った大きなかめも割れずにありました。見上げると、二階の小さな石の両開きの窓の上に大坂屋の文字が残っていました。
そこだけは昔のままでした。
カモメが鋭く鳴いて頭の上を飛び去っていきました。突然風に乗って雪が舞ってきました。
白い海に向ってゆっくりと近づいていきました。
「群(く)来(き)だよ。春告魚(にしん)が還(かえ)って来たよ」と呟きがきこえました。あの時と同じに。
手を握っていた母のぬくもりを思い出していました。
浜のおっかあのあの声が聞こえてきました。
「春告魚(にしん)だよ!大坂屋さん、持っていきなさい!」
目頭が熱くなってきて、白い海が滲んで見えなくなりました。
鴎が飛んで、突然風が吹いて、風花が舞い散りました。大坂屋の二階建ての石蔵だけが佇ずんでいました。
「ヨースコイ、ヨースコイ
 ソーレ、ソーレ、
 ヨイセ、ヨイセ、エイヤァーソーラン」
沖揚げ音頭が遠く雪に舞って聞こえてきました。
北海道の春告魚(にしん)曇りの二月、日本海が広がっていました。
再び東京オリンピックを見ることが出来ます。新幹線が故郷の近くを走る日が来ます。
この白い海を孫に見せたい、群来(くき)のことを母のことも話してやりたい、そう思いました。


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